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どん、と衝撃とともに、煌めく光の中にキーエンスは放り出された。
全身を覆うひんやりとした水に、身に纏っていた気泡が前方へと逃げていく。
------そちらが上か。
まとわりつく衣服に絡め取られながらも、もがくようにして水面へたどり着く。吸い込む空気は清らかで、とても砂漠とは思えなかった。
見渡すと、そこはなめらかな乳白色の石が敷き詰められた中庭のようだった。無作為にいくつもの階段が造られ、隙間を縫うように大木が茂る。
ほとんどが木と観葉植物だったが、唯一背の低い一重の花が所々に生えている。
『水を飲まなかったかい』
岸辺へ向かって泳ぎ始めると、涼やかな声が降ってきた。
「大丈夫そうだよ」
階段状になった岸辺へたどり着き、水より上がる。腰に穿いた細剣と、最低限の武器や道具の無事を点検していく。
『もう泳がないのかい』
出口を探すように辺りを見回すキーエンスへ、姿無き声はさらに続ける。
『風呂とはどんなものだい?用意するよ』
「今の水浴びで充分だよ。…これがオアシスか」
照りつける陽の光は柔らかく木々に遮られ、絶え間なくそこかしこから清らかな水がわき出て中央の池へと流れ込む。
------気のせいか、カダール家の墓標に似ている。
あそこに水は湧いていなかったが。
『美しいと思うか』
「ああ。」
声は機嫌良く笑い、その笑いに巻き起こるように涼やかな風が吹いた。
『では踊るのか』
声に籠もる期待に気づき、キーエンスも笑った。
「踊って欲しいのか」
『願いを叶えるぞ』
くすり、と笑って頬に落ちてきた金の髪を払う。
「ここから出してくれればそれでいいよ」
人の身でこの場より出入りすることは叶わないだろう。勘が、そう教えてくれた。
『金も、名声も、永遠の命も…望めば叶えよう』
ずぶぬれの衣装のまま、キーエンスはくるりと身をくねらせた。身体に張り付くくたびれた旅装束の重さを感じさせぬ、軽やかな動きで舞い始める。
清らかな水のせせらぎを音色に、舞い続けると手首に巻かれた鈴が弾けた。生まれたばかりの精霊の歓喜を感じ、キーエンスは微笑む。
『稀なる名妓…舞姫か。無欲な事だ』
祝福の精霊により現れた宝剣を握り、キーエンスは舞い続ける。
「では瞳を。彼に戻して欲しいと思うが、なにか不都合があるのか?」
ひたり、と空を見つめ、動きを止めたキーエンスの手の中で、宝剣が一瞬輝いて消える。
『------あるとも。あれは人の見るものを見たいから手に入れた我の宝。美しい碧の至宝』
そんな理由で欲しがったのか、と呆れてため息をつく。
「ならばせめて片目だけでも。それ以外はいらないよ」
しん、と声は沈黙し、辺りには水のせせらぎのみが響く。
さて、機嫌を損ねてしまったかな、とわずかに心配になった時、ようやく声が降ってきた。
『仕方ない。我の宝を貸してやろう』
元々は彼の物だろうが、と言いたかったが、気を変えられては困るので黙っていた。
『だが片方だけだ。我の物のままということは忘れず伝えよ』
どういう意味だ、と問う前に突風がキーエンスを包む。柔らかな気配が唇に触れる。
「!」
『ふむ、良い味だ。気に入ったぞ』
「なにを------」
する、と叫ぼうとしたが、風に煽られ言葉は放てない。
どさり、と衝撃とともに温かな砂に包まれた。
身を起こし、わずかに口に入った砂を吐く。砂の海に放り出されたらしい。
「戻ったか」
キィン、と金属のぶつかり合う聞き慣れた音に、素早く立ち上がる。反射的に腰に穿いた細剣へ手を添える。
ぐるり、と見渡すと、砂漠の切れ目に岩が屹立し、その向こうで複数の人影が見えた。
「お逃げください!」
叫びと怒声、そして馬のいななきと剣戟。
------追いはぎか?
ずぶぬれの旅の衣装は再び砂漠に放り出されたせいで泥まみれで重い。だが、見過ごすことはできなかった。
子どもを背に庇うように立ち、剣を振るう男を囲む殺気立つ破落戸達。手に持つ武器は身に合わぬ手入れの行き届いたものばかり。どこかで奪ったか、不当な理由で与えられたものだろう。
音もなく駆け寄るキーエンスに、男達は気づかない。くるりと軽い身を反転させて遠心力の力を借りる。
すぱん、と小気味良い音をたて、狙い違わず特に筋力のありそうな男の足の腱を切り裂く。着地と同時に隣接した男の剣を跳ね上げ、利き腕を切り裂く。
「なんだこいつ!」
「護衛は全部買収したんじゃねえのか!?」
「くそ!」
足並みを乱した男達は殺気の矛先をこちらへ向ける。




