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すい、と軽く背を撫で上げると、しなやかな身体が反り、腕の中でぴたりと寄り添う。
それ以上は、と諦め仕方なく身を離すが、悪戯心がうずいた。
「ヤマは優しくしてくれたかい?」
「え?」
戸惑いながらキーエンスは眼布を見上げる。布に包まれていても、顔立ちの美しさは隠しようがなかった。間近で見上げると、つい見とれてしまう。
「ああ、はい、宴ではお相手をしてくださいました。…ですが、名を披露されてしまったので、早々に逃げ出しました」
キダータの特使や商人達もいましたから、と困ったように呟くと、イズニークは声を殺して笑う。
「そうか」
ひときしり笑ったイズニークは、再びキーエンスの手をとると、優しく引いた。
「では行こうか」
回廊を抜けた先はセリーニ宮殿の最奥、技芸の審査を行う天樹の間と呼ばれる大広間だ。四方に座する四季の名のついた広間とは巨大な扉で仕切られており、審査の際にはすべて開かれ、入りきるだけ多くの客を入れるのだという。
ギルドの本部は天樹の間を見下ろすように作られており、行くまでに階段を昇る。
相変わらず受け付けは混雑し、階段の下まで並んでいた。
イズニークは人の波から護るように、少女の身体を壁際へよせ、両腕で包むようにして寄り添った。
そのような扱いをされたことのないキーエンスは戸惑う。それを感じ、イズニークはまた機嫌良く笑うのだった。
「イズニーク様は…いつこちらに?」
「…宴の夜だよ。ラルキーズが無理矢理こちらに連れてきたんだ。君は?徒ならば、まだかかるだろう。苦手な馬で来たのかな」
「はい。宴の場にいたキダータの者が、どんな動きをするかわからなかったので、急いだのです。国境までは、ヴァッススが着いてきてくれました」
そうか、とイズニークは呟き、しばし考え込む。
------ヤマは、キーエンスが国を出ることに、気づいていたのか。
ヴァッススが付き従ったということは、ヤマがそう指示したのだろう。
「てっきりあのまま、囲い込むのかと思ったのに」
宴の後は王妃の部屋に通し、口説き落とすのかと思っていた。エリエなどの側近達は、そうさせようとしていたように見えたが。
「え?」
「…いや。書類は?そろそろみたいだ」
次の人、と相変わらず仕事の速い受付係が叫ぶ。
書類を取りだし、キーエンスが歩み出そうとすると、背後で歓声があがった。
「夏の間の歌い手だ!」
「なんだってっ」
「本物か!?」
打楽器の音が鳴り響き、発声練習をしているような甲高い声が響く。
「ア・アーア♪ララ!ラー」
声はどんどん近づき、楽器を担ぐ男達を従えて、ふくよかな女が身体をゆらし、階段を昇ってきた。
「ラララ!------ああ、失礼皆様。わたくし、常に音階をなぞるクセがありますの」
こほん、と喉の調子を整え、階下に集まる人だかりを振り返る。
「夏の間の歌い手、キヨネが、これより歌姫審査の申し込みを致しますわ!」
太い腕を振りあげて、握りしめた書類を大仰な仕草で取り出す。
「わあ!凄いぞ、歌姫の誕生か」
「やっと審査会を通る技芸が出るのか」
「がんばれよ!」
「歌姫になってね」
人だかりから声援を受け、派手に手を振って応えると、キヨネはキーエンスを押しのけて受け付けへ書類を差し出した。
「順番は守ってください」
冷ややかに突き放す受付の青年は興味なさげにキヨネを見据えた。
「ああーっ!」
悲鳴のように甲高い声をあげると、キヨネは打楽器を持つ男に寄りかかる。
「酷いわ!やっと、やっと書類を揃えることができたのに」
見物人へ向かって大声で叫ぶ。
「財の無いわたくしは、何年も巡回指導者を待ち続けて、やっと推薦書をいただけたのに!やっと!やっとーぉ」
わああ、と顔を覆い、派手な身振りで悲しげに身もだえる。
「なんだよ、受付てやれよ!」
「そーだそーだ!」
「冷てぇなぁ」
人混みからヤジが飛び、受付の青年はうんざりとしてキーエンスへ目配せする。
意を受け、頷くと、仕方ないと言った様子で手を差し出した。
「ではどうぞ」
「------はじめから大人しくそうすればいいのよ」
冷ややかな小声で脅すように言い、見物人には背を向け、キヨネは嗤う。
受付の青年が受け取った途端、打楽器が煩く鳴り響く。
「------受理します。審査日はおって連絡します。他の受験者と調整しますので、ご了承ください」
不快気にこめかみを引きつらせた青年は、淡々と言う。キヨネは嗤いを消し、軽く頷いた。そしてくるりと階下へ身体を向ける。
「ラー!ラララ!とうとう…とうとうわたくしが審査される日が来ました!一週間後よ!皆様いらしてね!」
音感のあるひとは、雨垂れの音も「♪」にしちゃうって言ってました。キヨネの場合は…、どうでしょうね。




