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日が沈む頃、バンキムはようやく馬を走らせるのを止めた。隣国ルナリアへの関所がある、大きな街のそばだった。隣国ルナリアとキダータの間には海のような大河が流れている。
その川縁で、野宿をする、とバンキムは馬から転げ落ちるように下りたキーエンスへ言った。
がくがくと震える膝と、飲まず食わずで走り続けた疲労から、キーエンスは立つことができない。けれど、聞きたいことがある。
「飲め。話は…火をおこしてからだ」
キーエンスの震える手に水袋を持たせ、バンキムはしなやかな動きで馬をつなぎに木陰へ向かう。夜明けからずっと走り通しだったのに、どこも痛まぬようだった。
だが、血に濡れた上着は黒く光っている。
キーエンスはばん、と強く膝を叩く。何度も繰り返すうちに震えが収まってきた。
「父上…その前に、手当を」
馬から荷を降ろしていたバンキムは、生まれたての子馬のようによろよろと立ち上がる娘を見て笑う。
「わかった。まずは火をおこしてからだ」
荷を置くついでに、キーエンスの額を軽く小突き、荷に埋もれるように寝かせる。
力を使い切ったキーエンスは、大人しく荷と休んでいることにした。
バンキムは手頃な小枝を集めてくると、軽く地形を見回して風の当たらぬ場所を選んで積み上げた。
荷から油をしみこませた布を取りだし、手慣れた仕草で火打ち石を打ち鳴らす。
見る間に炎が燃え上がり、冷えてきた空気が少しずつぬくもる。そのあまりに手慣れた様子に、キーエンスが目を丸くしていることにバンキムは気づき、荷から食事を取り出すついでにキーエンスを抱き起こす。
「火のおこしかたも、野宿の仕方も、知らないんだったな。…だがまぁ、教養や作法は、王族並に身に付いた。それはそれでいいだろう」
キーエンスの下に柔らかな毛布を置いてから、座らせる。慣れぬ乗馬で尻が痛んだが、キーエンスは我慢した。
「まるでもう…戻らぬような言い方をするのですね」
「ヤマ王のもとへ、嫁ぐ事になった」
ぐい、と水袋をあおり、バンキムはキーエンスから視線を動かさずに言う。
「---姫が…?そんな…兄上…」
予想通りの反応に、バンキムは内心苦笑する。
「いや、キィ、お前だ」
布に包まれたパンを取りだし、バンキムはキーエンスに渡す。パンにはチーズや卵が挟んであった。
「まずは食べろ。続きはその後教える」
「…い…嫌です…そんな、ヤマ王を騙すだなんて」
「だろうな。食べろ。まだ続きがある」
頷き、パンにかじりつく。
問いたい事がたくさんあったが、食べないと話してもらえないことはわかっていた。




