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「あまり言って化けて出てこられたら困る。…なにか弾くか?」
そう尋ねると、淡い青の瞳が嬉しげに細められる。では、と頷き、思案する仕草を見やり、クレイモアは亡き妻を思い出す。
------では、星の歌を。
眠る時に聞くような、静かで温かな音を、よくねだった。
もっと複雑で技巧の凝った曲をたくさん聴かせてやりたかった。いつも弾き手の負担にならぬ曲ばかりねだった。
「では、星の曲を。…とても楽器を弾くのが上手な方が、よく弾いていたのです」
岩のように無表情を保つクレイモアが、驚いたようにキーエンスを見つめ、ふと不快気に眉をしかめる。
「だれだ、その上手な方とは」
本を置いたキーエンスは、そういえば、と思い出す。
「こちらの方ですよ、知ってらっしゃるかもしれませんね-----?」
ふわり、と突然辺りの精霊の気配が乱れる。
クレイモアは高齢を感じさせぬ力強さでキーエンスを引き寄せると、部屋の中央を睨み付けた。
ざわざわと精霊の落ち着かぬ気配が伝わり、キーエンスはクレイモアの背にしがみついた。人の力では、どうにもならない。
すぅ、と淡く光る線が空中に過ぎり、円を描く。不可思議な文字が浮かび上がり、円が完成すると同時に人の指先が現れた。
「…魔術師か。無礼な事だ」
不機嫌に呟き、背にキーエンスを庇ったまま、クレイモアは侍る女達を見た。
「こちらへ。宗匠にお客様のようですから」
意を介した女達は、キーエンスを連れ出そうと促す。
「さ、お早く」
その姿が見られぬよう、薄布をかけてくれる。
精霊のざわめきはさらに膨れあがり、異様な気配が室内に漂う。風が巻き起こり、キーエンスを隠す布が攫われそうになる。
「あ!」
「きゃぁ」
足下の敷布がうねり、女のひとりが足を取られる。
「!」
慌ててキーエンスは彼女を支えるが、力が足りずに二人して転んでしまう。
「ご・ごめんなさい」
「さあ立って」
女達は一生懸命先へ進もうとするが、敷布のみならず壁へ飾られているタペストリーまでも風に煽られたようにうねり始める。
その時、ぴぃん、とたった一音が室内に響いた。見れば、クレイモアが手元の楽器をつま弾いている。
音が響き渡ると同時に、ざわめきがぴたりとおさまった。
「------さすがは宗匠、助かりましたよ。お手を煩わせて申し訳ない」
「…この騒ぎは、そいつのせいか」
不機嫌なクレイモアが応え、一瞥を投げかけた先には、魔術師を従えた深紅の瞳を持つ青年。そして、その背後に立つ者を見て、キーエンスは驚いた。
ざわざわ、と再び精霊達がざわめくのも気づかず、じっと見つめてしまう。
「イズニーク様?なぜここに?」
キーエンスが呟いた途端、精霊達のざわめきがぴたりとおさまる。
ぱさり、と音をたてて、浮遊し始めていたタペストリーが元にもどった。
ゆっくりと首を巡らし、イズニークは小首を傾げる。ふわりと頬を撫でる精霊が、イズニークの方へと流れていったのを感じたキーエンスは、くすぐったくて頬をゆるめる。
「いつこちらへ?驚いたな」
ぼんやりとしているように見えたイズニークは、近づくキーエンスの気配を察し、そちらへと向かって歩を進める。
「それは私の台詞だよ、キーエンス。本物かい?」
ゆるゆると手を伸ばし、キーエンスの頬にそっと触れてきた。クレイモアとよく似た、皮の厚くなった温かな手だった。
「あーごほんごほん」
わざとらしい咳をして、深紅の瞳の青年が歩み出てきた。瞳以外はイズニークによく似ている。
「そちらの美しいご婦人はどなたかな、兄上?それとも、宗匠に聞いたほうがいいのかな?」
イズニークは面倒くさそうにラルキーズを一瞥すると、仕方なく手を放した。
「これは私の弟で、この国の世継ぎ。ラルキーズという。あまりいい趣味の持ち主ではないので、近づかない方がいい。ラルク、こちらはキーエンス嬢」
イズニークが示すと、王太子に対する礼としてふさわしい動きで、キーエンスは礼をする。
「舞姫の審査を受けに来たんだ。…もう手続きは済んだのかい?」
イズニークの静かな問いに、キーエンスは苦笑を返す。
「ええと、もう少しかかりそうです。師匠に推薦書をお願いしたので、もうすぐ着くんじゃないかな、と」
「空鳥便で送ったのかい?精霊便を使わせてもらえばよかったのに」
「なんです、それ」
「セリーニ宮殿の手前に------」
イズニークから離すように、クレイモアはキーエンスの手を取り引き寄せた。その馴れ馴れしい仕草に、イズニークは眉間に皺を寄せる。
クレイモアの周りには昔から女が絶えない。
この舞台、イズク派の方に捧げます。いるのかなぁ。ヤマ派が断然多いけど…




