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それきり、クレイモアは言葉を発せず、黙々と王宮へ向かって歩いていく。老人とは思えぬ脚力だ。
随分と長く世界中を旅していたとバンキムから聞いている。体力があるのだろう。
クレイモアはちらりと驚きながらも大人しく付き従うキーエンスを振り返り、無表情のまま顔を前に戻す。
ああ、とキーエンスは気づいた。
楽師であるクレイモアは耳がいい。キーエンスの足音がしないことが、気持ち悪いのだろう。
あるはずの音がないのは、気になってしまうのだ。
彼の視界に入るよう歩を早め、キーエンスはクレイモアの無表情を見た。
「すぐに挨拶へ窺わず、申し訳ありませんでした」
「忘れていたのだろう」
即座に返された言葉に、キーエンスは苦笑する。
「------はい。ごめんなさい」
素直に目礼すると、クレイモアは深く息をついた。
「帰ったらあいつに言っておけ。孫の特徴くらい、明記しろと」
不機嫌にそう言うクレイモアに、キーエンスは、あ、と気がついた。
「あの音色は、私を呼んでいたのですね」
クレイモアは応えず、ただわずかに鼻を鳴らす。
ざ、と人の気配が動き、キーエンスは素早く目を巡らす。衛兵が腰の剣に手を置きながら駆け寄ってきていた。
「宗匠!ご無事ですか!」
「その者は!?」
妖しい奴、とフードを被ったままのキーエンスへ鋭い視線を寄越す。
------あの丘から歩いてきただけなのに…、彼らには見えていなか
ったのか。
ただ者ではないことは、薄々感じている。
「孫だ」
クレイモアはただそれだけ言い、ちらりとキーエンスへ視線を寄越す。
やれやれ、とキーエンスは内心苦く思う。確か祖父はシールムの王族だ。その孫の姿が薄汚れた傭兵では、信用されにくいだろう。
クレイモアは、衛兵の疑いは自分でどうにかしろと言っているらしい。
仕方なくフードを下ろし、鮮やかな笑みを作って見せる。
「キーエンス=カダールと申します。急な来訪をお許し下さい」
略式ながら王族にふさわしい礼をしてみせると、衛兵の疑う目も和らいだ。
「そ…それは失礼を」
「ようこそシールムへ」
疑いの目は薄れたものの、半信半疑というところだろう。それでも同行するクレイモアが言う事に否は唱えられないのか、大人しく通してくれる。
「…義母の名をもらったのか」
複雑さのにじむ声で、クレイモアは呟いた。
「曾お祖母様によく似た髪だと、父上は仰います」
ああ、とクレイモアは頷く。
「声は…ディに似たな」
どこか柔らかな響きで小さく呟いた。
ああ、お祖母様のことだ、とわずかに遅れて、キーエンスは気づく。
前後を護るように衛兵が付き従い、王宮を囲む巨大な塀へ近づくと、馬車がぎりぎり通れるほどの門が現れる。
出入りの商人などが出入りする裏門の一つなのだろう。
衛兵が合図をすると、人が出入りできる程度の小さな扉が内側より開く。キーエンスが手を差し出すと、クレイモアは無言で手を添え、扉をくぐった。
温かく大きな手は、楽器を弾くせいか皮があつく、ごつごつしていた。
不意に銀髪の楽師を思い出し、キーエンスは微笑む。
------そういえば、イズニーク様はシールムのご出身だった。
キーエンスの手をとり、複雑に入り組む回廊を、王族の居住区へと進むクレイモアは、キーエンスを静かに見つめていた。
「お前は、あれの子にしては、行儀がいいな。…よい教育をしたのだな、あの妻は」
シーリーンの事を突然褒められ、キーエンスは咄嗟に笑顔を作れなかった。
「…ありがとうございます」
複雑な表情を読んだクレイモアは、それきりシーリーンのことに触れなかった。
「宗匠」
「まぁ宗匠」
「宗匠さまぁ」
妙齢の美しい女達が庭から駆け寄ってきた。
「お早いお帰り、嬉しいですわ」
「わたくし早くお会いしたくて…」
「お食事を用意いたします?」
連れのキーエンスの事など無視して、よく手入れされた爪先でクレイモアの薄布を優雅に払う。
露わになったクレイモアの顔に、キーエンスは息を呑んだ。
高齢であることをさし引いても、切れ長の目は眼光鋭く、すらりと通った鼻先、引き締まった唇、すべてがこれ以上ないほどバランス良く配置され、美しく整っていた。
「これの世話を頼む」
クレイモアは淡々と呟き、ついていけ、というように視線をキーエンスへ送ると、自室へと行ってしまう。
「ではこちらへ」
美しい女達は笑顔を浮かべながらキーエンスを案内する。彼女たちが動くたびに芳しい花の香りが漂った。




