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「お願いよ、エリエ」
言わせたかった言葉を口にすることさえ厭わず、カメリアは扇を下げてエリエを見上げる。
「…危険はないのか」
心配気なエリエの低い呟きに、思わず口元を緩ませ、カメリアは柔らかに微笑んだ。
「ないわ。…だれも手出ししないで。わたくしが、仕掛けるわ」
言葉だけでは安心しようとしないエリエを見上げ、カメリアは笑みを深める。それでも、エリエは硬い顔をゆるめようとはしなかった。
インカーム大臣主催の宴の日が近づくにつれ、城内は慌ただしさを増していった。ヴァッスス達は警備の演習が増え、出入りの商人や職人の数もまた、増えていった。
ヤマは不機嫌に溜まっている懸案を処理していったが、日に日に深まる眉間の皺は留まることを知らず、キーエンスの煎れた茶を飲む時だけ、わずかに緩むのだった。
「見合いなど、初めてではないだろうに」
あまりの不機嫌さに、イズニークが呆れてそう言うと、ヤマはむすりとした顔を向ける。
「…西には行きたい」
情勢の不安定な国。今後どのように流れていくのかこの眼で見極めたい。
「どういう意味だい?」
不機嫌なヤマに、こうも次々と問いつめられるのは、親友であるイズニークだけだろう。ヤマは不機嫌ながらも、イズニークには八つ当たりする
こともなく、応える。
「カメリアに言われたのだ。側女でもよいから見繕えと。そうでなくば、西に行く事は許さぬとな」
さすが、とイズニークはため息混じりに呟く。先王の娘であるカメリアは、ヤマの気性をよくわかっている。
「なるほどね…、それは困った事だ」
ただひとりと決めた女が居る以上、本気でもない女など、見向く気になどなれぬだろう。ましてや、彼女がすぐ傍にいるのだから。
ふむ、とイズニークは思案し、軽く楽器をつま弾いた。
なんとはなしに、静かに控えるキーエンスを見ることが出来ない。そのまま、ただ思いついた事を言葉にした。
「皆の前で、彼女に申し込んではどうかな」
思ったより、なぜか口が重い。けれど、ヤマに届く声量は出た。
「!」
ぐふ、とヤマは口に含んだ茶を吹き出しかけ、慌てて呑み込んだ。
「イズクっ何を言う」
「…無理かい」
それが一番いいと思ったんだけれどね。と、肩をすくめる。
キーエンスの身分を明かすことはせず、ただ交際を申し込めばいいのだ。女をひとり選んだのだから、西に行くことは許されるだろう。
彼女の返答はどちらなのか、わからないけれど。
------知りたいような、気もする。
早すぎるだろうとは、思うが。
「まだ、早すぎる」
らしくもなくわずかに顔を赤らめ、ヤマは結われた髪をかきむしった。
出来ることならば、今すぐにでも自分の傍らに居て欲しいと言い寄りたい。けれど、それが性急過ぎることはわかっている。
「君は優れた武人の割に、冷静だよね」
もっとこう、血気盛んな感じはできないのかな。気持ちのはやるままに、行動するとか。
「…けしかけるのは、よせ」
バレたか、とイズニークは笑い、立ち上がる。ヤマが問うように見上げてきた。
「君はそろそろ用意しなくてはね。主賓なのだから」
不機嫌なヤマが逃げ出さないよう、侍従達が扉に立ち、ヤマと友の会話が終わるのを見守っていた。
ヤマは渋面を深め、頷く。
「わかった」
ひらりと軽く手を振り、イズニークは流れるような仕草で部屋を出ていった。
「では私もお暇いたします」
「…うむ」
なにか言いたげにキーエンスを見つめるが、結局なにも言うことが出来ず、金の髪が揺れるのを見送った。
部屋を出たキーエンスは、自室へ戻ろうと歩を進めた。けれど、向けられた殺気に身を翻す。
「…気配にすら、反応できるのか。ヴァッスス以上かもな」
面白くもなさそうに呟いたのは、長身を柱に預け、キーエンスを見下ろすエリエだった。
下げられた細剣に手を添えるのみで抜いてはいなかったキーエンスは、試すために殺気を放ったのだと気づき、苦々しく思う。
本気ではない気配に、反応してしまうとは…我ながら情けない。
「本気だぞ、俺は」
冷ややかに見下ろし、エリエは呟く。
「ヤマとカメリアに害があると判断すれば、全力で排除する。…覚えておけ」
「…私の存在は、けして益にはならないだろう。早めに出ていくよ」
この宴ににぎわう隙に、出国しようか。
------ヤマ様は、気分を害するかもしれないが。
エリエの脇を通り過ぎようとすると、彼は軽く腕を上げ、進路を遮った。
「カメリアが呼んでいる。…今言った事を、忘れるな」
そう言い残し、エリエはさっさと廊下の先へと姿を消した。
キーエンスはため息をつき、仕方なく今では慣れた、カメリアの居住区へと向かう廊下を進んだ。




