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「何をする!」
「我らデイイロが無事生き延びているのも、すべてルナリア王のご配慮なのです。吸血の恐ろしい一族と忌み嫌われ、皆殺しになってもおかしくはないのに、通過儀礼に必要な分だけ聖血を戴けるようご配慮いただいているのですよ?王のご不興を買えば、いつ殲滅されてもおかしくはないのです。あの姫君がもしも王の愛姫であったなら、もう我らに未来はありません」
しん、と会話が止み、ほどなく部屋がノックされユナと若い男が入ってきた。男の方頬は赤くなっている。そして、上目にキーエンスを睨みながらも片膝をついた。
「この度は…失礼をいたし、申し訳ありませぬ」
不承不承といった体で頭を下げる。あまりにわかりやすい態度に、キーエンスは笑いをこぼした。
「ご安心くださいませ。ルナリア王に言いつけたりなどしませんよ」
微笑むキーエンスを一瞥し、若者はぷい、と顔を背ける。
「これイージ」
ユナがたしなめるが、イージは態度を改めるつもりはないようだ。
「申し訳ありませぬ、姫」
ほとほと困った、とユナは悲しげに目を伏せ、持ってきた食事を卓に並べる。
そんなに気にせずともいいのに、と気まずくキーエンスは苦笑した。
「一つおねがいがございます」
にっこり、と笑ってイージとユナを見る。
ふん、とイージはバカにするように笑う。
「ほらみろ、ルナリア人はごうつくばりだ」
どうせ我らの工芸品が欲しいとか、そんなことを言うのだろう?と吐き捨てるように言う。
キーエンスは図星を言い当てられ、肩をすくめる。
「探している楽器があるのです。ご存じではありませんか?アニュス=ディという美しい楽器だそうなのですが」
あら、とユナは目を見開き、ちらりとイージを見る。
イージといえば、顔を赤らめ、キーエンスを凝視する。
「楽器だと?馬鹿な…」
赤らめた顔を背けるが、耳から首までが赤く染まっていく。
「ご存じなのですか?」
イージの反応にきょとんとしながらも、キーエンスは嬉しげに声をあげる。
だが顔を赤らめたままのイージは応えず、変わりにユナが笑いながら口を開いた。
「古き神々の言葉で、アニュスとは運命の女という意味ですよ、姫君。アニュス=ディということは、ディという名の運命の女、ということですわね」
くすり、と笑い、ユナはイージを意地悪く見上げる。
「デイイロでは、妻問う相手をアニュスと呼ぶのです。同衾の約束をした相手の事ですわね。貴方のアニュスは誰なのかしらねぇ、イージ。お前はもう聖血をいただいたのだから、アニュスを手に入れられるわねぇ」
よかったわねぇ、と笑うユナから逃げるようにイージはドアへと踵を帰す。
「お前、アニュスを楽器だなどと言いふらすなよ!姫君ともあろう者がはしたない」
真っ赤にした顔のまま、イージはそう言い捨て、出ていった。
「は…はしたない?」
あまりの言葉にショックを受けていると、ユナが堪えられないように吹き出した。
「初々しい姫君ですこと。たまたま同じ音の言葉なのかもしれませんね。けれど、アニュスを楽器だなどと言うだなんて、なんとも色気のある言い回しですこと」
楽しげに言い、さあどうぞ、と卓に並べた食事を勧める。野菜や果物ばかりの食事で、キーエンスは喜んで口に運んだ。
「では、アニュス=ディという楽器はないのですね」
「ええ。デイライでは彫刻などの細工をいたします。楽器の依頼もございますけれど、特にこの時期は湿気があるので、お引き受けいたしません。楽器が痛みますので。村にある楽器といえば、獣の皮を張った太鼓と警笛用の笛くらいでしょうねぇ。別段珍しいものでもございませんでしょ?」
柔らかく煮た根菜を頬張り、キーエンスは頷いた。ではここにはないのかもしれない。
「古き神々の言葉も、今はもうほとんど残っておりませんね。我らもアニュスという言葉以外知りませんもの。王城の神殿ですら、近代神語しか扱えないと聞きました。寂しいことですわね」
お茶を煎れて、ユナは呟く。
「王城の神殿に行かれたことがあるのですか?」
「ええ。我らは神官の護符に弾かれてしまう存在です。で、あるがゆえに、神殿の偉大さを学びたく、若い頃に神話などを学びに行ったのですよ。神殿に入れないのではないかと不安でしたが、神官の力が込められた物には触れられませんが、大丈夫でした」
私は少し他のデイイロと変わっているのですよ、と楽しげに笑う。
ふと思いつき、キーエンスは皿にソースで古代神語を書いた。
「ユナ様、この字は読めますか?」
ひ、と息をのみ、ユナは獣のような素早さで飛び退き、床にひれ伏した。その肩ががくがくと震えている。




