13
「----参ったな…」
男はがしがし、と美しく編み込まれた艶やかな黒髪をかきまぜる。
「どうしたらいい、姫?我はどうしてもそなたが欲しい」
男の瞳にもまた、アルカイオスと同じ、熱い激情がにじみ出す。
キーエンスは後ずさる。
「そのお話しは終わったはずです」
「逃げない、と約定したはずだな」
男の言葉に、キーエンスは動きを止め、こわごわと見上げる。
ふ、と今度は男が笑った。
「突然押し倒したりせぬから安心しろ。これでも紳士なのだからな」
さてどうしたものか、と呟き、男は髪をかきまぜる。
「教えてくれ、姫。最後にひとつだけだ」
野性的でありながらも、理知的な輝きを持つ黒い瞳がキーエンスを見つめる。
「我はいつ、間違ったのだ?」
ああ、とキーエンスは悲しげに男を見返した。
「最初から…最後まで」
ごめんなさい、と呟き、キーエンスは王族専用の回廊へと向かった。男はもう、止めようとはしなかった。
ナナイであることが、人を傷つける事になってしまうだなんて。
キーエンスは重く沈むような気持ちを抱えながら、エレンテレケイアの元へと向かった。
「…血が、とまらないみたいよ」
「下腹部の痛みが続いているそう」
エレンテレケイアの世話をしている侍女が、そっと耳打ちしてくれた。
「お会いすることはできますか?」
「アシュトン様がずっとおそばにいらっしゃるわ…とても怖いお顔で」
ひそひそと言い、侍女は血で汚れた湯を捨てに、立ち去った。
「兄上が…」
自らの格好を見下ろす。
アシュトンがエレンテレケイアの格好をするキーエンスを不快に思っていることは知っていた。けれど、着替えはエレンテレケイアの眠る、キーエンスの控え室にあるのだ。
仕方なく、着替えることもできずに、キーエンスはエレンテレケイアの休む部屋のドアを叩いた。
「キーエンスです、入ってもよろしいですか」
くぐもった声が聞こえたが、なんと言っているのかわからなかった。アシュトンがなにかを呟いたのだろう。
そっとドアを押し開き、中へ入る。
血の匂いが、鼻についた。
「…キース、お帰りなさい」
かすれた声が、寝台より囁かれる。
寝台の横に椅子を置き、座るアシュトンはただキーエンスを一瞥した。
「姫、お顔色が、少し良くなりましたね」
嘘だった。
青ざめたままのエレンテレケイアの顔は、流れる血と共に精気も喪っていくようだった。
「今日はお兄様と踊った夢を見たわ…とても気持ちがよかった」
乾いた唇が、かすかに笑みを形作る。
「ええ、その通りです。エレンテレケイア姫は兄王子と踊っておられましたよ」
子どもの頃から、こうしてエレンテレケイアが寝込んでいると、夢でキーエンスがエレンテレケイアとして勤めた様子を見ることが多かった。
すでに知っているのか、アシュトンは無言でただエレンテレケイアを見つめる。
「…びっくりしたでしょう、キース」
言葉では応えず、キーエンスは控えめに微笑んだ。
「さきほど、あなたが来てくれてよかった。とてもシーリーンを止めることなど出来なくて」
「母上には会ったか?」
アシュトンが険しい口調で聞いてきた。
「いいえ。お呼びしますか?」
「いい。私から出向いたほうがいいだろう。戻るまで、付いていてくれ」
そっとエレンテレケイアの手を握り、離れる侘びを伝える。
「いってらっしゃい、アーシュ」
愛しさの溢れた可愛らしい声で、エレンテレケイアは囁く。
「すぐに戻る」
これまで聞いたこともないような優しい声で呟き、アシュトンは部屋を出ていった。
とても驚いてしまったキーエンスはしばし呆然としていたが、しゃくりあげる声に慌てて寝台へ歩み寄った。
「姫…」
「私の赤ちゃんが…死んでしまった」