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「傷物でも構わないから、ヤマ国へ嫁ぐように、と」
カッとアルカイオスの顔が怒りのあまり赤く染まった。
初めて見るそんな表情に、キーエンスは驚く。
「言っただろう?私の理性を吹き飛ばすのは、君だけだ」
「で…ですが、あの男が見初めたのは…」
「エディではない。------姿絵などきっかけにすぎない。舞踏会での君を見初め、他に深い仲の恋人がいても構わないから妻になれ、そう言ったんだ」
ふ、と息をつき、気持ちを抑える。
「これから父上と話をしてくる。…やはり、奥の部屋へ行くべきだったかな」
回廊の奥をちらりと見やり、悪戯っぽくキーエンスに笑いかける。
「奥に…部屋が?…え?」
回廊の奥とアルカイオスを見比べ、赤らむキーエンスの首筋に、アルカイオスはそっと指を這わせた。
「私の口づけの跡が残っている。…消えぬ頃に、またつけるとしよう。ではな」
さ、と身を翻し、アルカイオスは王の居室へと向かって足早に歩き去った。
首筋に這う熱い指先と、温かな唇を思い出し、キーエンスは首を押さえて赤面する。
慌てて回廊から庭に降り、池に映る自らの姿を見た。
ほっそりとした首筋に、赤い印が点々とついていた。
顔を赤らめながら、キーエンスは結い上げていた髪をほどき、肩に垂らす。
赤い印が隠れたのを確認し、ほっと息をつく。
「エディ…」
水面に映る着飾った姿に手を伸ばす。髪の辺りの水面に触れ、エレンテレケイアと同じ色になった、と少し寂しく思った。
曾お祖母様譲りの髪の色であったのに。
仕方がない、と自嘲ぎみに笑う。
「あまり水面の姿を見ぬほうがいい。美しさのあまり花になってしまった者がいるという。そなたはどんな花になるか…たのしみだが」
低く呟かれた声はあまりに近く、キーエンスは驚きのあまり動けなかった。
それは間違えなく、仮面の男の声だった。
「どうした?足に根が生えたのか?それは大変だ------」
衣擦れの音が近づき、大きく力強い手がキーエンスの腰を掴んだ。
「な!何をするのです!離して」
子どもにでもするかのように高く持ち上げられる。長身の男のさらに上へと持ち上げるので、急に視界が変わる。キーエンスは短く悲鳴を上げた。
「おや、花が騒いでいる。魔女は悲鳴をあげる薬草で媚薬を作るという。持っていくかな」
「離しなさい!」
仮面の男は愉快そうに黒い瞳を細めた。
「わかった」
男はぽん、とキーエンスを真上に放る。
「!」
キーエンスは咄嗟に間近にあったものにしがみついてしまった。
「…ふむ、なかなかいい育ち具合だな」
腕の中で、男はくぐもった声で呟いた。背に、男の腕がまわされる。筋肉質な太い腕は逃れられないほどに頑健だった。
「嫌!」
咄嗟に自由な手で男の顔を押しのけるが、びくともしない。
「それによい香りだ。…こら、爪を立てるな。逃げぬと約束するなら、離
してやろう」
鍛え抜いたこの男の腕から逃れるには、頷くしかなさそうだった。
「…わかりました」
に、と愉しげに笑い、男はそっとキーエンスを地面に降ろした。
逃げることを警戒しているのか、男が気を巡らすのを感じる。
「逃げません」
ぱっと手を払い、漂う男の気配を薙ぐ。
「ふむ」
笑みを消し、男はまじまじとキーエンスを見下ろした。
「我がヤマ国は武術に秀で、その武隊は他国に売るほどの価値がある。ご存じかな、姫」
「…はい」
満足げに頷き、男は池の畔にある四阿へキーエンスをいざなった。
「ゆえにその王である我は、国の最高水準の武術を素養としてたしなんでいる」
男の言わんとするところに気づき、キーエンスは表情を強ばらせた。