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「王太子妃はどちらに?」
演奏を続けていたにもかかわらず疲れを見せぬイズニークは、ヤマに問うた。
「我の背後におられる」
軽く頷くと、イズニークは顔を上げた。
「素晴らしい歌声でした、王太子妃様。共に演じる事ができ、嬉しく思います」
「腕をあげましたね、イズニーク王子。あまりに素晴らしいので、謳わずにはいられませんでした」
「アニュス=ディを手に入れぬうちは、まだまだ未熟だと師には言われます」
「見つかる事を願っていますよ」
「ありがとうございます」
優雅な仕草で一礼したイズニークへと、キーエンスは立ち上がって近づいた。
「こちらへ。葡萄酒でよろしいですか?」
失礼にならぬようそっと腕をとり、ヤマの傍らへと導く。
なよやかな見かけよりがっしりとした腕を感じ、キーエンスは内心驚く。
何時間もの間演奏するには、相当な体力が必要だからだろう。
「ありがとう。葡萄酒でもいいけれど、強い酒があればそれを」
「かしこまりました」
座り心地のよい綿入りの敷布を軽くイズニークの足に当てると、イズニークはそっと腰を下ろした。
キーエンスは下働きの者と目を合わせ、強い酒の名を声には出さずに口にする。意を得た給仕はそっと酒瓶を差し出した。
空の杯をイズニークの手にそっと触れさせると、慣れているイズニークは杯を受け取る。
「失礼いたします」
受け取った酒瓶を傾ける間、イズニークはじっと見えぬはずの目でキーエンスをみつめていた。
「この間の侍女ですね。ヤマが虐めていた」
わずかにヤマへむけて頭を傾けて笑う。
「はい。虐められていた侍女でございます」
そうキーエンスが言うと、喉の奥で低く笑いながら、イズニークは杯を飲み干した。
「ふん。あんな所に隠れる方が悪い」
「そうでございますね」
イズニークに酒を注ぎながら、さらりとキーエンスが言うと、ヤマは言葉につまった。
「他国の王宮で潜んだ気配を感じたら、神経質にもなりましょう。あれは私の思慮が足りなかったのです。お許しください」
「…うむ」
唸るようにヤマが応えると、イズニークが再び笑った。
「ヤマを手玉に取る女性に初めて会ったなぁ。名を聞かせていただけないか?」
「キーエンスと申します」
「ああ、先代のルナリア女王の名だね。ルナリアの民なのかな?」
「…幼い時はキダータに。12の時にルナリアへ参りました」
あえてヤマを見ないようにしながら応える。
「そう。他国はいいね、いろんな文化が溢れていて」
イズニークは水でも飲むように強い酒をあおる。
「心が震えるほどの素晴らしい演奏でした」
「うん。てっきり貴女も謳うと思ったよ」
見えぬはずの目でキーエンスを見つめながら、イズニークは身体をよせて耳元に顔を近づける。
「精霊が騒いでいたから」
小さく囁き、にこりと笑ってから離れた。
騎士達のような巨体ではなくとも、やはり男性特有のがっしりとした身体を感じ、キーエンスは驚いた。
王子と呼ばれていたからには、なにかしらの護身術を学んでおられるのかもしれない。
「気をつけろよ、侍女殿。イズクは我より女に手を出す技に優れているからな」
おもしろくなさそうに言い、ヤマは杯をあおる。
「ふうん、めずらしいね、ヤマ」
君が釘を差すなんて。
エレンテレケイアの死により、ヤマの性格から傲慢さが薄れました。それでもまだ、なんかエラそうですが。
彼女の死については、いずれ彼の口から心情を吐露する場面がありますが、人の死とは、多くの人に影響を与えるものですね。