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「失礼いたします」
酒の入った水差しをとり、空になったヤマ王の杯へと向ける。
「そなた、随分と騎士に好かれているのだな。先だってそなたを守った騎士とはまた、別のもの達のようだ」
「彼らは、共に育った友人達でございます、王」
ふん、とつまらなそうに鼻を鳴らし、ヤマはキーエンスの細い顎に手を
かけた。
ここからでもわかるほど、騎士達の間に怒気が広がる。
「この器量だ。ただの友人とは思っておらぬだろうよ」
意地の悪い笑みを浮かべ、騎士達に見せつけるように指で頬を撫でる。
「『雄々しき王。王とは孤独な者なり』」
キーエンスが呟くと、ヤマは動揺して手を離した。
「そなた…?」
にこりと笑ってキーエンスは注ぎ終えた水差しを置く。
「南の果て、ロゼ族に描いてもらったのですね。…行かれたのですか」
額の刺青へ手を当てていたヤマは、不思議そうにキーエンスを見る。
「読めるのか」
「少しだけですが」
侍女らしく目を伏せて応える。
それを残念に思ったヤマは、再び軽くキーエンスの顎へ指をかける。
「そなた、別に我が怖くないのであろう。目を合わせよ」
「ご随意に」
目をあげ、野性味を帯びた輝く黒い瞳を見つめる。その奥に戸惑う気配を感じたキーエンスは内心苦笑した。
相変わらずこの方は、年下の娘が苦手なようだ。
「…名は…なんと言う」
「キーエンスと申します」
偽らずに済むことを嬉しく思い、思わず微笑む。
「なぜ笑う?」
困惑したヤマは、杯を煽ることも忘れキーエンスを見つめた。
「失礼いたしました」
笑みを押し殺し、キーエンスは頭を下げる。はぐらかされたヤマはおもしろくなさそうに杯を置いた。
「そなた、今宵閨へ参れ」
意地悪く目を輝かせ、ヤマはキーエンスの耳元に囁いた。
あきれて見返す薄青の瞳をのぞき込み、どんな反応をするか楽しむヤマの感情を読んだキーエンスは、冷ややかな笑みを向ける。
「そういうことは、磨かれた貴婦人におねだりくださいませ」
ヤマは息をのみ、絞り出すように呟いた。
「そなた…」
ぴぃん、とざわめく会場を走る弦の音が、一瞬にして静寂を作った。
ヤマもまた仕方なく口を閉ざし、大人しく座り直す。
イズニークの見事な演奏が始まった。
ざわめく精霊の気配を感じ、キーエンスは高鳴る胸を押さえながら聞き入る。王宮付きの踊り子達が演奏に合わせて踊るのを羨望に満ちた眼差しで見守った。
このように素晴らしい演奏で踊ることは、なんと幸せなことか。
そわそわと落ち着きなく、演奏に合わせて身を揺らしていた王太子妃は、突然立ち上がると、豊かな声量で響く美しい声で謳い始めた。
イズニークは嬉しげににこりと笑みを刻むと、演奏をわずかに控えめにして王太子妃の声が映えるようにした。
ルナリアに流れる大河を讃えた歌を歌い終えた王太子妃は、会場より溢れんばかりの拍手を贈られ興奮に顔を染めながらも優雅に礼をした。
「そうか、王太子妃はシールムの歌姫だったな」
思い出したようにヤマは呟き、演奏を終えたイズニークが立ち上がるのを見守った。
「こちらだイズク」
とても届かぬ呟きだったが、頷いたように見えるイズニークは真っ直ぐにヤマの座る場へと歩いてきた。イズニークが近づくと、彼の服に縫いつけられている小さな鈴の涼やかな音が響いた。