10
「さて、こんな人気のない所に長居は禁物だ。立てるか、キース」
軽い身のこなしで立ち上がったアルカイオスは、キーエンスに手を差し伸べる。
「はい---!」
立ち上がりかけるが、くにゃり、と膝が曲がり、座り込みそうになる。
それを支え、再びアルカイオスはキーエンスを抱き上げた。
「それを腰が砕ける、と言うのだよ、我が姫」
愉しげに笑い、ちらりと回廊の奥を見る。
「たのしみは取っておこう。…惜しいが」
回廊の奥には、かつての王が側室を住まわせた寝室がいくつかあった。
「我慢のし過ぎはよくない、と今回学んだ。また来よう、キース」
見下ろす瞳には、今にも燃え上がりそうな激情がくすぶっているのを感じていた。それでも、キーエンスは頷いた。その先に、何があるかは知らないが、アルカイオスを信頼していた。
「…はい」
しとやかに俯き、呟く声に、アルカイオスは愛しげに目を細めた。
「------縁談がいくつか来たが…、まだ早いからと断っていた。けれど、」
きゅ、とキーエンスを抱く腕に力がこもる。
「…恋人がいるからと、父上に打ち明けても、いいだろうか」
「こ・恋人っ」
湯気が出そうなほど耳まで赤く染まりながらキーエンスが言うと、アルカイオスは苦笑する。
「私が口づけをしたいのは君だけだよ、キース。そして君は、私の名を呼んだ。思わず腰が砕けるほどに、甘く囁いた。これを恋人を呼ばずになんと言う?」
じっとキーエンスの濡れた唇を見つめる。
「はい、と言うんだキース」
ゆっくりと顔を近づけながら、囁く。
わずかに震えながら、花びらのようにふっくらとした唇が開く。
「でも…」
「でも?君は私が本気だと知っているはずだよ、キース。あの口づけは、戯れなどではできない」
アルカイオスは吐息がかかるほどにキーエンスを引き寄せる。
「次は優しくしようと思っていたところだ…」
キーエンスを見つめながら、アルカイオスはそっと唇を重ねた。柔らかな唇を味わうかのように、優しく舌を這わせる。
ぞくり、と甘い戦慄が背を駆け上がり、キーエンスは悩ましげに小さく呻いた。
ぐ、っとアルカイオスの腕に力がこもる。
一瞬激しく唇を吸うが、慌てて唇を離す。
「私の理性を吹き飛ばすのは、君以外にはいないよ、キース。…言い方を変えよう」
腰がくだけて立てないキースを回廊にそっと座らせ、アルカイオスは手を取って跪いた。
「お願いだキース。私の恋人になって欲しい」
キーエンスは、握られる手にそっと力を込めた。
ふわり、とアルカイオスはその意志を感じ取り、微笑む。
「---はい」
控えめにそう囁き、キーエンスは羞恥で頬を染めた。
「やった!」
アルカイオスは勢いよくキーエンスを引き寄せ、抱き上げる。
「このまま父上に報告しに行こう」
王、と聞き、キーエンスの脳裏に、深刻な顔で俯く王の姿が閃いた。
「…イオ…、いいえアルカイオス王子、お話ししたいことがあるのです」
恋人ではなく、臣下として。
アルカイオスは仕方なく頷き、そっとキーエンスを降ろした。わずかにふらつくが、立てる。
「エレンテレケイア様と兄上の事です」
「…二人が深い仲であることは、気づいている」
手を離さずに、キーエンスを支えながら、頷く。
「姫が…ご懐妊なさっていたことも…?」
「なに!?…エディの身体では、産む事は難しいだろうに」
故意かたまたまか…、と呟くアルカイオスの表情に母のような怒りがないことを知り、キーエンスは安堵する。
「妊娠しない方法ならいくつか知っている。…婚約したら、ためしてみようキース」
握ったままのキーエンスの手に軽く口づけする。
「た…ためすって、そんな…」
動揺して震えるキーエンスに片目をつむって応え、アルカイオスは飄々と先を促すかのように小首をかしげる。
「ええと…、それで、夕刻に姫が体調を崩され、出血なさったのです。おそらく…」
「流れたか」
硬い声に、キーエンスは頷いて応える。
「他に知っている者は?」
「母上がすでに部屋におりました。医者を呼ぶとも言っておりました。そ
して、寝具をかたづけた侍女達」
「…多いな。すでに噂は広まっているだろう。…父上はアーシュと急ぎ、
婚約させるかもしれないな。…それはそれで、良いだろうが…」
ちらり、とキーエンスを見つめる。熱の籠もった視線ではない。何か、思案しているかのようだった。
噂、という言葉に、あの仮面の男が脳裏に閃いた。
「あの男が…言いました」
冷ややかな唇が首筋に触れた事を思い出し、悪寒に震える。
「あの男?------舞踏会での、仮面の男か」
頷き、青ざめた顔をアルカイオスに向ける。