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月色に花ひらく  作者: 藤堂かのこ
第五回
9/16


 天気予報の通り、六限が終わる頃から雨が降り出した。

 入れていってやる、という市村の誘いを断って、少しでも小降りになるのを待っていたけれど、止む気配も小降りになる気配も全くないので、結局面倒になって出てきてしまった。

 灰色の空から降りしきる、大粒の雨、雨、雨。俯いて歩く視界はコンクリートの灰色一色で、少し視線を上げてみてもどこか色彩が乏しかった。

 バスが行ってしまったばかりなのか、たどり着いたバス停には生徒が誰もいない。

 見渡す周囲にも雨宿りができそうな場所がないことに小さくため息をついて、とりあえず鉄柵の上から繁っている木の影に入る。

 何気なく校舎の方へ目を遣ると、見慣れたおだんご頭が近付いてくるところだった。

「直!」

「げ」

「何やってんの? 風邪引くよ! ホラ、入って入って」

 思わず漏らした一言に怜は気がつかなかったのか、近くに寄ってきて傘をさしかける。俺が逃げるように一歩退くと、怪訝な表情で眉間にしわを寄せた。

「いいよ、もう、これだけ濡れたら今更傘入ったって変わらねーし」

「でも、」

「いーよ、誰かに見られると噂になってめんどくせー」

「……じゃあ、あたしも入らない」

 むすっとした表情で言っておもむろに傘を畳む。土砂降りとはいかないまでも、雨はかなり強めに降っている。そのせいですぐさま怜の制服のシャツの色が変わっていく。

「何だよ、その理屈! 怜は傘差してればいいだろ!」

「だって一人だけ差してたら感じ悪いじゃないの。だから入らない」

「わーったよ! 入る! 入らせてください!」

「年頃の男の子は面倒くさいわねー」

「……どーもスイマセンね……」

 最初からもっと素直に入っておけば良かったと後悔した。

 怜の濡れたYシャツが肌に張り付いていて、目のやり場に困る。

「ん。持つ」

「あ、ありがと。何か男前ー」

 揶揄するように笑って言う怜から傘を受け取って、少しだけ怜の方へと傘を傾けた。また風邪でも引かれたら大変だ。

「今日、練習終わるの早くね?いつももっと遅いだろ?」

「ん? うん。今日は筋トレくらいしか出来ることないから。病み上がりの奴は帰れって、追い返されちゃった」

「……堀越って人のこと、待ってなくて良いのか?」

 訊くと、怜はきょとんとした様子で瞳を瞬かせる。

「待たないよ。何で?」

「だって、付き合ってんじゃねーの?」

「はあぁぁぁ? 何で?」

「え、だって告られたんだろ?」

「何で知ってんの?!」

 赤面して後ずさる怜を傘で追いかけると、すぐに我に返った様子で隣りに戻ってきた。

「断ったよ。ちょっと、はじめてのことで知恵熱出したりしたけど」

「……まさか、それで寝込んでたわけ?」

 思わず呆れた声を漏らすと、怜はむっとした様子で俺を睨みつけて、不機嫌そうに口を尖らせる。

「仕方ないでしょ、今までそういうの無縁だったんだから!」

「まあ、男みたいだったもんな……」

「そうですよ、残念ながら。昔からおモテになって、入学早々彼女作れちゃう直君とは違うんですー」

 まずい。矛先が思わぬ方向に向かいだした。

「俺は今関係ないだろ? 第一モテてた覚えないし」

「モテてたよ! 中学の時とか、「榊先輩、直君と付き合ってるんですか?」って、目ウルウルさせて可愛い~女の子が聞きに来たもん。何人も」

「初耳なんだけど」

「だって言ってないもん。あたしが言っちゃったら意味ないでしょ。本人が直に言わなきゃ。「付き合ってないから頑張ってね~」って言っといたけど、直が知らないってことは結局告白出来なかったんだね。青春だわー」

「……あんま知りたくなかった情報だな、それ」

「へ? 何で? モテたのに?」

「何ででも。つーかさ、堀越って人だって人気あるんだろ? 振っちゃって後悔しねーの?」

「しないよ。だって好きじゃないもん」

 さらりと答える怜に少々面食らう。市村の言葉に惑わされてうっかりいらない詮索をしてしまったことに、今更のように気付いて逃げ出したい気分になった。

「……俺格好悪ー……」

「うん? 何が? ま、とりあえず拭け、ホラ」

 言いながら、怜はスポーツバッグにつめてあったタオルを取り出した。部員の洗濯物が突っ込んであることもある鞄から出てきたタオルを凝視して、呟く。

「……使用済み…?」

「前! ちゃんと洗ってあるわ失敬な」

 そうは言われても顔に当てた瞬間に男のムサい汗の匂いなんかしたら最悪だ。半信半疑で恐々顔に当てると、ちゃんと石鹸の柔らかい香りがした。

「ミズエの匂い」

「だから言ったでしょ、ちゃんと綺麗ってー」

「ミズエ元気?」

「母さん? 元気だよ。最近直が遊びに来ないから寂しがってた。たまにはご飯食べに来れば?」

「……考えとく」

「……直、髪の毛伸びたね」

 突然話の方向が変わったことに、疑問符を浮かべて怜の方へ視線を遣る。伏し目がちに前を見ていた目線が上がって、俺と目が合うと柔らかく笑う。その肩の向こうに、フェンスからこぼれるように咲いた藤の花。雨に濡れて、鮮やかな色彩を描き出す。

「本当はね、新歓の時もその後何回か顔合わせた時も、どうしようかかなり動揺してた。受験の頃、避けてたでしょう?」

「……別に、避けてたわけじゃない、けど」

「そお? でもまた話せるようになって良かった」

 見下ろす、雨に濡れた細い肩。Yシャツの白に溶けだす、肌の色。

 俺を見上げる瞳にざわりと胸の奥が揺れるのを、首を振って気付かなかったことにした。頭から被っていたタオルを外して無造作に怜に付き返す。

「返す。怜のが肩寒そう」

「え、でも」

「良いよ。風邪ぶり返したら困るだろ?」

「……うん」

 本当は、避けてた。会いたくなかった。

 会えば必ず、忘れようと努力して押しこめたはずの痛みを思い出すのがわかっていたから。


 怜と別れて、帰り着く灰色のマンションの部屋。

「……ただいま」

 返事がないことがわかっていても惰性で唇から言葉が漏れる。静かに響いて、消えていく。誰もいない、一人だけの狭くて広い部屋。

 おかえり、と温かく迎えてくれる手のひらや優しい笑顔を諦めたのは、どのくらい前だろうか。

 父親と母親の間に小さな亀裂が見え始めたのは、確か中学に上がって少し経ってからだった。父親のいない日が増えだして、母親の顔からは笑顔が消えていった。その頃から野球よりも勉強を強要しだした母親が鬱陶しくて、両親の間でゆっくり熱を失くしていく何かを見たくなくて、その分俺は野球に打ち込んで。

 そして、一番大切なものを失くした。


 暗い部屋に、雨の降る音が響く。

『あたしは直君の何なの?』

 そう言って、泣いていた今村の顔を今更のように思い出す。むしろ何になりたかったのかこちらが教えてほしい。思いを傾けた分だけ愛されると思っているのなら、それはあまりにも傲慢な思い上がりだ。どんなに好きだって、思いを傾けたって、振り向いてもらえないことの方が圧倒的に多いのに。

 けれど。

『また話せるようになって良かった』

 そう言って笑う、見返りを考えずに真っ直ぐ向かってくる瞳。向き合うのが苦しくて、痛くて、逃げてしまいたいのに、どうしても最後の決断が下せない。もう怜の思いに答えてやることなんてできないのに。

 未練がましくて、格好悪くて嫌になる。

「ちゃんと、手離さないと、な」

 多分、それが一番良い。

 俺のためにも。これ以上、怜に期待を抱かせないためにも。


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