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月色に花ひらく  作者: 藤堂かのこ
第四回
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「お帰り」

 二階へ降りると、渡り廊下の入口で千鳥が待っていた。私を見つけると、ゆっくりと歩み寄ってきて社会の教科書一式を差し出す。

「次移動だって。視聴覚室」

「わわ、ごめん、ありがとう」

 教科書を受け取って、踵を返す千鳥の隣りに並ぶ。

「練習試合見に来てくれるって?」

「断られました……」

「ああ、予想通りね……」

「連休におばちゃんたちと出掛けるのもやっぱ嘘だったみたい。新しいお友達と遊んでたみたいだよ。一緒にキンキを歌ったって楽しそうに!」

「やっぱり野球やりたくないんじゃないの、直君?」

「千鳥ぃぃぃ!」

「あー、口が滑った。ごめん」

 涙目でにじり寄る私に苦い笑いを返しながら、千鳥は渡り廊下に出る扉を開ける。吹き抜けていく温い風に、濃い雨の匂いがした。立ち止まって見上げた空は、灰色の濁った水底みたいに不透明で暗い。

「雨降りそうだね」

「降るわよ、確実に。私の髪の毛がそう言ってるもの」

「うはは、天パだもんね。わかりにくいけど」

「そー。もうすぐ梅雨だし本当憂鬱だわ。クルクルして腹立つったら」

「ふわふわで可愛いと思うけどなあ」

 何気なく呟くと、千鳥は忌々しげに顔を歪める。

「癖っ毛の悩みはストレートの人にはわからない……」

「あ、それさ、直にも同じこと言われたよ。猫っ毛だからほわほわしちゃって髪型決まらないんだって」

「へぇ。直君もそういうお年頃ですか」

「みたい。でも、昔はヒヨコみたいだったよ。どこに行くにも「れいちゃん、れいちゃーん」ってふわふわ頭がぴょこぴょこ後付いてきてさ、えらい可愛かったんだから」

「怜がハードに連れまわしてただけじゃなくて?」

「……まあ、そうとも言うけど。これでも仲良くなるまでかなり苦労したんだよ。も、すーごい人見知りで」

 引っ越し後初めて家に挨拶に来た時も、ずっとおばちゃんの後ろに隠れていたヒヨコ頭。当時、遊び仲間はみんな泥んこ玉みたいな男の子たちばかりだったから、ほわほわした髪の毛と真っ白な肌は珍しくて仕方なかった。

 仲良くなりたくて笑ってほしくて、マメに誘いに行ったり、野球を教えたり、獰猛と評判の飼い犬に一緒にちょっかい出しに行ったり、トカゲのミイラをあげたり、蝉の抜け殻を箱いっぱいプレゼントしたりと、とにかく思いつく親切の限りを尽くしたのだ。私なりに。

「あ、あとダンゴ虫もビニール袋いっぱいあげたなー。あれだけ苦労したのにさ、市村君が既に仲良さげなの見ると、姉貴分としてはちょっと複雑で……」

「何でそれで直君が懐いたのか理解不能だわ」

「そおぉ?」

 首を傾けると、千鳥はひきつった顔でゆっくり頷く。そうかなあ。

「でも、それって本当に幼馴染として複雑、ってだけ?」

「え?」

「何か、さっきから聞いてると焼きもち妬いてるみたい。直君の友達に」

 心なしか楽しそうな千鳥の言葉に瞳を瞬かせた。

 市村君に焼きもち。何で私が。

「だって、市村君男の子だよ? 彼女さんにならともかく」

「え! 直君彼女作っちゃったの?!」

「うん。でももう振られたって」

「何だ、びっくりした。侮れないわね、一年女子……」

「へ? 何が?」

「こっちが経過を楽しみに見守ってるってのに、横からしゃしゃり出てきて台無しにされたら困るのよ」

 わけがわからん。

「うかうかしてると直君他の子に持っていかれちゃうよ、ってこと。あんなに格好良くなっちゃったんだから」

「……そう、かなあ。昔は確かに格好良かったけど……」

「あら、珍しい。ノロケ?」

 揶揄するような千鳥の言葉を聞きながら、ぽつりと呟く。

「だってピッチャーだったんだもん」

「……うん?」

「千鳥は、マウンドの上ってどんなに孤独で誇らしい場所か、考えたことある?」

 私の言葉の意味をはかりかねてか、千鳥は大きな目を瞬かせて首をかしげた。

「すごーく強い相手にあたってぼっこぼこに打たれても、エースは逃げちゃいけないの。エースが諦めたら、そこで試合は終わっちゃうから。だから、エースは逃げない。最後まで諦めない」

「うん」

「直も、腕が痛くても辛くても、試合が終わるまでマウンド下りなかった。だから格好良かった」

 肘の痛みを抱えながらあの炎天下、何も遮るものがない場所での投球。どれだけ辛くて苦しかったのだろうか。見ている方が目を逸らしたくなるくらいだった。

 指先で軽く触れた、自分の右肘。私の怪我はもう跡も残さずに綺麗に治ったけれど、直の痛みはまだ、ここの深い深い場所で今も消えずに残ってる。

「今は?」

 聞かれて、私は不意打ちを食って瞳を瞬かせた。

「え、い、今って?」

「昔は格好良かったんでしょ? じゃあ、ピッチャーじゃない直君は格好良くないのかな、って」

 言われてみれば確かに、今はどうかなんてそんなの考えたことなかった。

 だって、ピッチャーをやっててもそうじゃなくても直は直で、ずっと隣りにいることが当たり前みたいな存在だったから。そもそも格好良いかどうかなんて、割とどうでも良かったし。

 明後日の方向を見つめて、腕組みをして考え込んで、結局私は困って柵にもたれかかる。

「わかんね」

「そっか」

 湿り気を帯びた風が髪を撫でて吹き抜けていく。

 もたれた鉄柵が小さく軋む音がした。


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