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月色に花ひらく  作者: 藤堂かのこ
第三回
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 高く高く、澄んだ空に飛行機雲が伸びていた。嫌味なくらいに良く晴れた、ゴールデンウィーク初日。ファーストフード店の二階席から見下ろす駅前の通りは人であふれていて、家族連れやカップルが楽しげに通り過ぎてく。

 平和で平凡な、休日の風景。

 ちらりと横に視線を遣ると、市村が幸せそうな顔でハンバーガーを頬張っていた。思わず噴き出しそうになったのを堪えて視線を逸らすと、市村の怪訝な表情が追いかけてくる。

「どした? 直。食わねーの?」

「や、食べるけど。旨そうに食うなあ、と」

「だって旨いもん」

 むぐむぐと口を動かしながら器用に答えて、残りのハンバーガーを飲み下す。頬についたケチャップに気付くこともなく、市村はすぐさま二個目に突入した。

「でもさ、直がこうやってちゃんと来てくれるとは思ってなかった」

「……お前、あんな迷惑メール寄こしといて何を言うか」

 今朝目が覚めると、市村から着信が二件とメールが一件届いていた。

 半分寝ている頭でメールを開くと、『直今日ってヒマ? ヒマだよな? 十一時に駅前で待ってるから遊ぼうぜー。来てくれるまで待ってるから~~~』と絵文字満載の文が並んでいた。無視してやろうかとも思ったけど、駅前に放置しておいて後でぶーぶー文句を言われるのも面倒で、渋々ここまで自転車をこいで出て来てやった。

 貴重な二度寝の時間を犠牲にしてるというのに、この言い草。

 半眼でねめつけると、市村は悪びれた様子もなく笑う。

「やー、だって、部活全部午前中で終わるから、午後はヒマで。でも、何となくだけど直ってあんまり人と付き合いたくないのかと思ってたから」

 人当たりの良い笑顔で、けれどしっかりと核心を突いている市村の言葉に、内心驚いて続ける言葉に困った。けれど、市村はそんな俺の内心を知ってか知らずか、相変わらずの笑顔で答えを待たずに喋りだす。

「ま、でもいいや、実際こうやって来てくれたし。これからどこ行く? 映画?ゲーセン? カラオケ? あ、俺実は結構歌うまいよ。直は?」

 自分から誘っておいてノープランなのか、こいつは。

「……行ったことない」

「マジで? 超希少人種!」

「仕方ねーだろ。中学の時は放課後ずっと部活だったし。塾も行かされてたから遊ぶ暇なんかなかったし」

「へーえ。何やってたのか聞いても良いか?」

 ほんの少しだけ、答えることをためらった。

 けれど嘘を吐くのも答えないのも何となく違う気がして、正直に答える。

「……野球」

 と、市村は一瞬ぽかんと俺を見つめて、その後盛大に噴き出した。

「ウッソだー! 見えねー!」

「な、おま、失礼な! 汚ねーし!」

「だって爽やかと縁遠いもん。幸薄そーな顔してるしさー」

「おま、これでもピッチャーだったんだからな! 守備の要!」

 口の中が見えるのもお構いなしに大笑いする市村に、ムキになって反論する。椅子から腰を浮かしかけて、ふと、周囲からの痛い視線に気がついた。市村と気まずげに顔を見合せて、お互い体を小さくしながら椅子に座り直す。

「でも、高校ではやらねーの? やっぱ野球つったら甲子園じゃん」

 幾分、トーンを落とした声で訊く市村に、頬杖をつきながら頷いた。

「やらない。……目指してたけど、怪我してやめた」

 市村は途端に表情を曇らせた。気まずげに視線を泳がせて、それからゆっくり言葉を探すように唇を開く。

「怪我って、腕?」

「そ。肘。投手には致命的だろ?」

「……未練とか、全然ねーの?」

「全然。あったら今頃リハビリしてるって」

「そっか。そう、だよな」

 どこか安心したような表情を見せる市村に「そーそー」と軽く返事をして、烏龍茶のストローを口に運ぶ。

 嘘。

 本当は、ありすぎて困ってる。

 野球が好きで、投げることが楽しくて仕方なかった。

 毎日泥だらけになって、日が暮れて真っ暗になるまでボールを追いかけた。腕のしなる感覚、キャッチャーミットに真っ直ぐ届く球の音、手のひらに残る土の匂い、踏みしめたマウンドの感触。

 体の全ては野球に向いていて、それ以外のことが入る隙なんて作ろうともしなかった。練習したらそれだけ球威も増して、どんどん上手くなって強くなって、全国だって目指せるようになると信じていた。それが、成長期の体にどんな風に作用するかなんて、全く考えようともせずに。

 疼くように、蝕むように、重い痛みが肘にわだかまり始めたのはいつからだったろうか。最初は内側から。次第に、外側へと移りだした痛み。原因を知るのが怖くて、痛みから目を逸らして、毎日をやり過ごして。無視しきれないほどの熱を持ちだした腕をようやく医者に見せた頃には、もう野球を続けることが困難になっていた。

 突然消えた生活の中心。おかげで一日が物凄く長い。野球を辞めてから、ずっと。

 長くて、長くて、息がつまりそうなほど。

 だから、相変わらず野球漬けな毎日を送る怜を見ていると、正直苦しくなったりもする。そうなることがわかっていたから、会わないようにしていたのだけど。

「よし」

 市村の声に、俺は自分の世界から浮上した。見ると、市村のトレイの中のハンバーガーやポテトが全部空になっている。

「早……」

「じゃそういう直にはカラオケだ。カラオケ行こう! 記念すべき直のカラオケデビュー」

「えええ。俺あんま歌上手くねーけど……」

「問題なし問題なし! 大声で歌うことに意義があるんだって。つーわけで、直、早く食え」

 こちらの言い分をほとんど受け流して話を進める市村をねめつけながら、急かされるまま自分の分のハンバーガーを口に運ぶ。

「直はさ、明日も空いてるのか?」

「……残念ながら」

「じゃあさ、明日も遊ばね? 昼からなら俺もヒマだし」

「え」

 顔を上げて瞳を瞬かせると、市村の顔が得意げな笑みの形に綻んだ。

「二人でいれば退屈しないだろ?」

 ぽかんと見返すと、更に深くなる市村の笑顔。何だか毒気を抜かれたような気がして、力なく笑みをこぼした。

「野郎二人でゴールデンウィークとか、すっげー不毛」

「素直じゃない!」


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