怜
「結局ダメだったわけね」
静岡へ向かうバスの中。
遠足の時に似た高揚感で騒いでいた部員たちの気持ちも落ち着いてきて、高速に乗る頃にはほとんどの部員が寝たり、静かに隣りと話したりしていた。
車に弱い部員が寝てしまえばマネージャーの仕事も一段落で、通路を挟んで隣りの席で爆睡する監督を起こさないよう、お菓子の箱を開けて小休憩を始めていた。
「んー、だって両親と出かけるって言うから。滅多にない大町家の団らんを邪魔しちゃいけないと思って……」
「……前からちょっと気になってたけど、直君の家ってご両親仲悪いの?」
「うーん、まあ、あたしもお母さんから聞いてるだけだから詳しくは知らないんだけど、共働きだし放任だし、直はあんまり構ってもらってないらしいんだよね」
「へー」
「昔はあたしもお世話になったし、そうでもなかったはずなんだけど、まあ色々あったらしくて。でもそのへんは人の家のことなので……」
「勝手に想像するわ」
「うん、そーして」
「でも、そんな風になっちゃってるのに、家族で出かけたりするかなあ?」
「へ?」
「嘘じゃないの? それ」
「……!」
今更気付いて口をパクパクさせると、千鳥は呆れた様子で薄笑いを浮かべる。
「あーあ、本当にこの子は人のこと疑わないんだから」
「ち、く、しょー……直のくせにぃぃぃ」
「嘘ついてまで来たくなかったんでしょ」
「うー……」
「直君、リトルリーグ肘だっけ? あたしも実際見たことはないけど、直君みたいに肘が伸びないとこまでいっちゃうと、治療結構大変なんでしょ?」
「……うん、大変」
直に肘の故障を告げられてから、治療方法やリハビリについて自分なりに色々調べた。
成長障害を起こすところまでいってしまった肘で、また野球をできるように治療していくのはかなり面倒で、長期的なスパンで、辛抱強いリハビリと治療を続けていかないといけない。手術をする手もあるけど、未成年の腕にメスを入れるのはあまり好ましいことではないらしい。
当然、リハビリには時間もお金もかかるし、家族の協力なしには成り立たない。
けれど、直が野球を続けることを、おばちゃん、直の母親は好ましく思ってない。その上共働きで家を留守にしがちな二人のことだから、リハビリを手伝ってもらうのはかなり難しいと思う。まずは直の両親を説得するところから始めないといけないけど、さすがにその領域に私は踏み込めない。
だから、まずは直本人にもう一度野球をしたいと願ってもらうしかないのだけれど。
「道のりは厳しいわねー」
「そんなん、百も承知デスヨ」
思い出すのは、バカみたいに野球が大好きで、試合の時も厳しい練習の時も、いつだって楽しそうに笑っていた直の顔。
その顔が好きだった。
野球を取り戻して、あの時みたいに笑っていてほしい。
ただ、それだけなのに。
「しかし残念。男手があれば少しは仕事楽になるかと思ったのに」
「……千鳥? まさか初めからそのつもりで……」
強張った表情で訊くと、千鳥は世にも愛らしい姿で瞳を瞬かせた。
「そうよ? だって部員でもないのに手伝いに来るって変じゃない。まあ、来てくれたら怜も私も助かるし、一石二鳥かな、くらいの気持ちで」
「ちどりぃぃぃ……!」
「榊! お前うるさい!」
怒りに声を震わせると、隣りの席の監督から、苦情と一緒に野球帽が飛んでくる。今まで監督の顔に乗せられて加齢臭と口臭をふんだんに纏った野球帽は、おだんごに引っ掛かって見事顔面に不時着した。
理不尽だ。