直
「直くーん、ゴールデンウィークヒマ?」
「断る」
「……」
其処此処に落ち着かない喧噪のわだかまる昼休み。教室の廊下側、一番後ろの特等席。「何で?」と問うこともなく俺が即答すると、顔を右斜め四十五度に傾けた状態で怜は笑顔を引きつらせた。
「何よー! 何も言ってないじゃないの!」
「いやいやいや、無理。お前がそういう顔する時ってろくなこと言い出したためしがねーもん」
「失敬な! 物凄く良い話だったらどーすんの?!」
「あー、ハイハイ、聞くだけ聞きますよ」
頬杖をつきながら先を促すと、怜はわかりやすく顔を輝かせて身を乗り出してくる。単純。
「あのね、こないだゴールデンウィークに合宿行くんだって、言ったじゃない?」
「ああ、聞きましたね」
「静岡なんだけど、直も良かったら一緒に行かないかなって」
「断る」
「何で?!」
「そんなん俺が聞きてーよ。だいたい部員でもない奴がそんなとこくっついて行くっておかしいだろ?」
「えー」
「えー、でなくて……」
「あ、マネジの仕事手伝いって名目でさ。あたしらも合宿中はやること多いから手伝ってもらえたら助かるし」
「……」
「観光もできるよ!」
頬杖をついたまま横目で視線を遣ると、懇願するような表情で答えを待つ怜の姿。ひとつため息をついて、椅子の背もたれに寄りかかった。
「いや、悪いけどさ、ゴールデンウィークは本当無理。親の実家帰るから空けとけ、って言われてんの」
「え、おじちゃんとおばちゃんと出かけるの?」
「そ」
「……そう、かぁ…おじちゃんとおばちゃんと一緒か。じゃあ仕方ないね……」
ちらりと、視線を上げれば、怜の顔からゆるゆると消えていく笑顔。小さく胸が痛んだのを打ち消すように、机の上に次の授業の教科書を乱暴に取り出した。
「そういうわけなので。悪ぃけど」
「……うん、わかった。じゃあ諦める。ごめんね無理言って。あたし教室戻るわー」
「うん」
顔を見ないで頷くと、視界の端に怜がすごすごと離れていくのが映る。しょんぼりと項垂れて歩く怜を半眼で見送りながら、ため息まじりに呟いた。
「魂胆が見え見えなんだよな……」
「なーなー、今のって榊先輩だよな? 直って知り合いなん?」
怜の背中から呼ばれた方へ視線を移すと、前の席に座っていた市村が細くてつぶらな瞳を好奇心で輝かせて、机に身を乗り出してきていた。
「知り合い、つか、幼馴染」
「マジで? 幼馴染かー。いーよな~」
「そーかあ? そんな良い物じゃないと思うけど。色々面倒くさいし」
「ぜーたく! いいよなー、俺超うらやましいけど」
「……いいの? 何で?」
「だって人気あるじゃん」
「はい?」
「美人だし」
その他にも、スタイル良いとか成績も良いとか色々並べ立てる市村の言葉が右から左に流れていく。情報の出所がどこだか知らんが、中学にあがる時女の子は野球部に入れないと知って、泣いて大暴れした男勝りな野球バカが人気あるとは驚きだ。
「いつも一緒にいる千鳥先輩も美人なんだけどさ、直知ってる? 泣きぼくろがセクシー、なんだよ!」
「ああ、千鳥先輩ね。あの人は確かに美人だけどさ。つーか、何でそんな詳しいわけ? 俺まだクラスの奴の顔と名前も一致してねーけど」
「部活紹介で二人が挨拶してただろー! 一年でも榊先輩可愛い~って言ってた奴結構いるんだからな。だいたい、高校つったらやっぱりラブじゃんか! かわいい彼女作りたいと思わね?」
「あー」
詳しいのは顔の良い女子だけか、とも、千鳥先輩はあまりにも高嶺の花すぎやしないか、とも思ったがとりあえず胸にしまっておく。
そろそろ移動しようと腰を上げると、市村もそのままくっついてきた。
「やっぱさー、どっちかは堀越先輩と付き合ってんのかな?」
「俺に聞かれてもわかんねーって。堀越先輩も一体誰やら……」
「あ、直、直、アレアレ、堀越先輩と榊先輩! 今まさに!」
保健室の方へと続く渡り廊下に出たところで、市村が下を指して声を上げた。渋々、手招く方に近づいて視線を投げると、中庭とは反対側の校舎の近くに、怜と背の高い男子生徒の姿が見えた。
「あれ堀越先輩。野球部のエースで主将! 確か」
「ふーん」
遠目にもわかる、バランスよく筋肉の付いた体とすらりとした上背。野球部らしい短い髪に、黒ぶち眼鏡が嫌味なくらいに似合っていた。こないだ怪我した肘を指さして何か言っているとこをみると、ノックしたのはあの堀越とやらなのかもしれない。
「アイツか、嫁入り前の娘に傷つけやがったのは」
「は? 嫁がどした、直?」
怜に向ける堀越の表情はどこか優しくて柔らかい。国宝級の鈍さを誇る怜はその意味になんて、全く気付いてないのだろうけれど。
「……邪魔しに行ってやるか、合宿」
「へ? 何何?」
「なんでもね」
「ところでさー、直。その鉄柵老朽化してるから、あんまり体重かけるとあぶねーよ?」
「な、もっと早く言えよ、そう言うことは!」
「今言ったじゃーん。でもこないだまで看板かけてあったのになー。危ないよな」
「風で飛んだとかじゃね?」
「うーん、そうかなあ。まあ、一年は普段ここ使うからみんな知ってるだろうけど、イタズラとかだったら悪質だよなー」
まだブツブツ言っている市村の声を聞き流しながら、怜たちから目を背けるように踵を返す。
親しげに笑う怜の顔は見えなかったことにした。