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月色に花ひらく  作者: 藤堂かのこ
第六回
12/16


 朝から空に薄い雲のかかった日曜日。

 練習を終えて直と約束した場所に着いたのは、待ち合わせの少し前。見渡す視界の中にまだ直の姿は見当たらなかった。

 うろうろと指定されたコンビニの前をうろついて、落ち着きなくため息をつく。こういった形で会うことなんて初めてで、どう振舞ったらいいものやら全く見当がつかなかった。

 服も悩みに悩んで、結局、泣きついた千鳥に選んでもらったチェックのワンピースにレギンス、半袖パーカーという格好に落ち着いた。「髪の毛も下ろしていけば?」と言われたのだけど、鬱陶しくていつもと変わり映えのないおだんご頭にしてしまった。が、それでも気合いが入りすぎてるようで落ち着かない。幼馴染と会うだけだというのに。

「何か、ちゃんと女の子みたいな格好だな」

「!」

 心の声に続くような言葉に思わずびくりと体を竦める。首がぎしぎし鳴りそうなくらいぎこちなく振り向いて、そばに立っていた直の姿にぽかんと口を開けた。

 以前家に来た時と大して変わらないラフなTシャツにカーゴパンツ姿。唯一違うのは、手の中に使い古したグローブが握られていること。

「……野球、するの?」

「そ。俺も本当は嫌だったんだけど、市村の叔父さんがやってる草野球のチームが人数足りないとかで」

「市村君も来るの?」

「や、あいつは今日剣道部の試合。だからなんかもう、無理やり…」

 面倒そうに呟く直を見ながら、頬にゆるゆると朱がのぼっていくのがわかる。

「言っとくけど、怜も頭数に入ってるからな」

「うん! 良いよ! 全然かまわない!」

 勢いよく答えると直は一瞬面食らったように瞬いて、それから口元を淡く綻ばせた。

「あ、でも怜スカート……」

「問題なし! レギンス履いてるし。見えても別に困んないよ」

「……」


 試合は抜きつ抜かれつを繰り返し、接戦の結果、七対五で市村君の叔父さんチームが勝利した。 途中、直がマウンドに上がる場面もあったけれど、肘が痛むのか上手く投げられないらしくて、一回を投げただけですぐに交代してしまった。それでも、久しぶりに直がマウンドに立つ姿を見れたことが嬉しくて嬉しくて仕方なかった。


 祝勝会に参加して帰る頃には、時間もだいぶ遅くなってきていた。適度な疲労を感じながら、何となく浮かれた足取りで街灯が照らす夜道を並んで歩く。

「良かったね、勝って。ちゃんと助っ人の役割果たせたじゃん」

「あー、あんま活躍した気しねーけど」

「そう? でもあたしは楽しかったな。打席立たせてもらえたし」

「まさかの2ベースヒットだもんな」

「まだ腕なまってないっしょー?」

「はは、確かに」

「……でも、久々に直が投げてるとこ見れて嬉しかった」

 淡く笑いながら言って、ゆっくりと立ち止まる。

「あのさ、直」

 今なら、言えるだろうか。

 呼び止めると同時に、ゆっくり、心臓の音が早くなっていくのがわかる。 

 静かに向けられた直の視線が、それに一層拍車をかけていく。

「また野球やらない?」

 真っ直ぐに交わる、私の祈るような視線と、それを静かに見返す直の視線。先に私の方から視線を外して、ぎこちない笑みを浮かべた。

「今日、打つのも走るのも問題なかったじゃない。投げるのはまだ出来ないかもしれないけど、ちゃんとリハビリしていけばまた野球出来ると思うんだ」

「どうだかな……」

「出来るよ、今日だってちゃんと」

「出来ないよ」

「……直?」

「怜もわかっただろ? 今日の試合で、俺がもうまともに野球できないんだって」

 直が何を言いたいのか良く理解できない。困惑して見上げると、直の表情のない顔は静かに手の中のグローブに据えられている。

「もう、やらない」

「……じゃあ何で、あんな風に期待させるようなことしたの?」

 ぽつりと、こぼれ落ちた言葉に直の顔が上向く。

 暗い色をした瞳に、泣きたいような気持ちがした。

 さっきまで、ちゃんと笑ってたのに。

 上手く投げられなくたって、マウンドに立った時の真剣な横顔も、打者を抑えた時の得意げな笑顔も、野球をやってた時と変わらないと思ったのに。

「同じ高校入ってきたり、さっきみたいに草野球やってはしゃいだり、かと思えばまた野球やるのは無理とか、直が何したいんだか、もう全然わかんないよ」

 気持ちをうまく抑えられなくて、感情的になった言葉。

 短く息を吐くと、見上げる直の瞳が静かに眇められた。

 中学時代、ずっとずっと直と一緒だったグローブが、私の手の中に乱暴に押し込まれる。

「……わかれよ。もう、終わりだって」

「直」

「俺はもう、お前の期待にこたえらんない。そうやって、俺に過剰に期待するのやめてくれよ。正直、お前の夢を投影されるのうんざり。重い」

 苦しげに喉の奥から絞り出すように紡がれた言葉が、重く、深く胸に突き刺さる。

 脳裏を掠めたのは、鮮やかな一年前の夏の色。

 俯いた、穏やかに見せた横顔。

 氷水の中で揺れた陰影。澄み切った蒼と鮮やかな緑。

 あの時も直の怪我に気付いてあげることができなかった。今回もまた、野球を取り戻してほしいという私の思いはただ直を苦しめるだけでしかなかったのだろうか。

 上手くいかない。

 ただ、笑ってほしいだけだったのに。

 空回りしている自分が恥ずかしくて、情けなくて、誤魔化すために笑おうとした唇さえも、震えて上手く言葉が出てこない。

「ごめん、ね。あたしのやってることは、全部迷惑だったんだね……」

 手の中のグローブを握りしめる手のひらに力がこもる。

 力なく笑って、涙がこぼれる前に踵を返して歩き出した。少し離れてから、直の視線が追いかけてくるのを振り切るように走り出す。

 嗚咽のこみ上げる喉が苦しい。うまく、息も出来ないくらいに。 

 空にかかる雲が全てを灰色に覆い尽くしていく。

 

 空の色も、星も、月も、涙と雲に霞んで何も見えなかった。


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