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その後、わたしはお母さんの手により、小さな水槽に移された。
その水槽には青色の薬が入れられていて、その薬は体にぴりりと染みていた。
数日そこで過ごした後、元いた水槽に再び戻された。
でも初めは、そこが元の水槽だと、わたしには分からなかった。
以前あった水草は取り除かれ、砂利の上に大きな石が二つあるだけ。
水も違う。
ブラックエンゼルのにおいどころか、何のにおいもしないのだ。
わたしは水槽の中をやみくもに泳ぎ回った。
かつてブラックエンゼルと一緒に住んでいた水槽は、それと同じとは思えないほど広く感じられた。
絵理の学校は夏休みに入っていた。
中の見える透明なかばんを提げ、絵理は学校へ出かけた。
そして、しばらくすると髪を濡らした絵理が帰ってきた。
プールという人間が使う水槽に入っているのだと、後で知った。
お父さんは、絵理よりも遅い時間に家を出ていくのは変わらなかったが、帰宅は絵理よりも遅かった。
この頃になると、お父さんの笑顔は見られなくなってきた。
無表情か、歪んだままの表情を隠そうともしなくなった。
そして黙って、家の奥に入る。
お母さんも笑わなくなっていた。
プールに行った絵理の後を追いかけるように、身なりを整えたお母さんが足早に玄関を出て行った。
お母さんは、パートという仕事で出て行くのだ。
お母さんの帰りはお父さんよりさらに遅かった。
お母さんも帰宅すると、黙ったまま家の奥に入っていった。
家の奥では、ひどく耳障りな音を聞くことが増えた。
人が発てる大きな怒鳴り声。
グシャンと何かが壊れる音。
その不協和音は水伝いにわたしの耳をじんじんと痛くさせた。
そうしてすごすうちに、学校のプールがなくなったのだろうか。
絵理が家を出ることがなくなった。
そして絵理の友だちが訪れることもない。
ただ絵理はお父さん、お母さんが出かけた後に、玄関に何も持たず現れた。
わたしのいる水槽の前で、じっとしていた。
絵理がわたしを見つめている。
ただし、その目はぼんやりとしている。
目の方向にたまたまわたしがいるだけで、ほんとうは何も見ていないのではないのかとさえ思えた。
そしてその目に潤いはなく、乾いているようにさえ見えた。
「……ねえ……」
絵理が呟く。
「ブラックエンゼルさんの居ない水槽、寂しいよね。」
絵理がまたぽつりと呟く。
「でもね、わたし、お父さんとお母さん、両方いても寂しいの」
絵理の桜色した指が、水槽のガラスをするりと撫でた。
「……けんかは嫌い……」
わたしは絵理の方にできるだけ近づいた。
彼女の前で何度も方向を変えては、泳ぎ回る。
そして水をぴしゃりと尾で打つ。
『ほら、笑って?
友だちと一緒に楽しそうに見ていた顔を思い出して?』
けれど絵理の目は、ぼんやりしたままだった。
絵理にわたしの声は届かない。
ブラックさん、どうしたらいいの?
どうしたら絵理たちは元に戻るの?
……どうして、あなたはいないの?
あなたがいない水槽はあまりにも広すぎる……。