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飽和水  作者: 大林秋斗
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6

その後、わたしはお母さんの手により、小さな水槽に移された。

その水槽には青色の薬が入れられていて、その薬は体にぴりりと染みていた。

数日そこで過ごした後、元いた水槽に再び戻された。


でも初めは、そこが元の水槽だと、わたしには分からなかった。


以前あった水草は取り除かれ、砂利の上に大きな石が二つあるだけ。


水も違う。

ブラックエンゼルのにおいどころか、何のにおいもしないのだ。


わたしは水槽の中をやみくもに泳ぎ回った。


かつてブラックエンゼルと一緒に住んでいた水槽は、それと同じとは思えないほど広く感じられた。




絵理の学校は夏休みに入っていた。

中の見える透明なかばんを提げ、絵理は学校へ出かけた。

そして、しばらくすると髪を濡らした絵理が帰ってきた。

プールという人間が使う水槽に入っているのだと、後で知った。


お父さんは、絵理よりも遅い時間に家を出ていくのは変わらなかったが、帰宅は絵理よりも遅かった。


この頃になると、お父さんの笑顔は見られなくなってきた。

無表情か、歪んだままの表情を隠そうともしなくなった。

そして黙って、家の奥に入る。


お母さんも笑わなくなっていた。


プールに行った絵理の後を追いかけるように、身なりを整えたお母さんが足早に玄関を出て行った。

お母さんは、パートという仕事で出て行くのだ。


お母さんの帰りはお父さんよりさらに遅かった。

お母さんも帰宅すると、黙ったまま家の奥に入っていった。



家の奥では、ひどく耳障りな音を聞くことが増えた。


人が発てる大きな怒鳴り声。

グシャンと何かが壊れる音。


その不協和音は水伝いにわたしの耳をじんじんと痛くさせた。





そうしてすごすうちに、学校のプールがなくなったのだろうか。

絵理が家を出ることがなくなった。


そして絵理の友だちが訪れることもない。


ただ絵理はお父さん、お母さんが出かけた後に、玄関に何も持たず現れた。

わたしのいる水槽の前で、じっとしていた。


絵理がわたしを見つめている。

ただし、その目はぼんやりとしている。

目の方向にたまたまわたしがいるだけで、ほんとうは何も見ていないのではないのかとさえ思えた。

そしてその目に潤いはなく、乾いているようにさえ見えた。


「……ねえ……」


絵理が呟く。


「ブラックエンゼルさんの居ない水槽、寂しいよね。」


絵理がまたぽつりと呟く。


「でもね、わたし、お父さんとお母さん、両方いても寂しいの」


絵理の桜色した指が、水槽のガラスをするりと撫でた。


「……けんかは嫌い……」


わたしは絵理の方にできるだけ近づいた。

彼女の前で何度も方向を変えては、泳ぎ回る。

そして水をぴしゃりと尾で打つ。


『ほら、笑って?

友だちと一緒に楽しそうに見ていた顔を思い出して?』


けれど絵理の目は、ぼんやりしたままだった。

絵理にわたしの声は届かない。





ブラックさん、どうしたらいいの?

どうしたら絵理たちは元に戻るの?


……どうして、あなたはいないの?



あなたがいない水槽はあまりにも広すぎる……。

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