第17話 男の自信と夜の猛特訓
カレンシーの港に、我が魔導船が滑り込むように帰港した。
海は穏やかだったが、俺、グラス・ド・オネスティーの足取りは、生まれたての子鹿のようにプルプルと震えていた。
一方で、俺の後ろを歩くサクラは、まるで磨き上げたばかりの宝石のようにツヤツヤと輝いている。肌のハリが違う。髪の天使の輪が二重に見える。
「旦那様♡ お足元にお気をつけくださいませ。まだ腰がお辛いのでしたら、おんぶしましょうか?」
「い、いい……自分の足で歩く……これは、男としての最後の一線なんだ……」
俺はふらつく足で桟橋を踏みしめた。
岩礁地帯での「魔素補充」という名の、生死をかけた濃厚接触。あれからカレンシーに戻るまでの二日間、俺はサクラという名の高性能吸引機に、これでもかと精気を吸い取られ続けたのだ。
おかげで船は快調、サクラも絶好調。
廃人寸前なのは、オーナーである俺だけという有様だ。
まずは商人ギルドへ報告に向かう。
いつものようにカウンターへ向かうと、看板娘のマーガレットさんが花が咲くような笑顔で迎えてくれた。
「お帰りなさい、グラスさん! 無事に戻られたんですね」
「あ、ああ……ただいま、マーガレットさん」
「……あら?」
マーガレットさんが、書類を受け取りながら小首を傾げた。
その鋭い瞳が、俺の顔をじっと見つめる。
「グラスさん、なんだか雰囲気が変わりませんでしたか?」
「えっ!?」
「なんというか、こう……以前のような頼りなげな少年という感じが薄れて、少し大人の色気というか、影のある男性になったような……何かありました?」
ギクリとした。
女性の勘というのは、なぜこうも鋭いのか。
まさか「自家のホムンクルスに貞操を捧げて、大人の階段を三段飛ばしで駆け上がりました」とは口が裂けても言えない。
「あ、いや、その! 実は手強い魔物に襲われたんだ!」
俺は冷や汗を流しながら、必死に言葉を紡いだ。
「クラーケンが出たんだよ。でも、サクラと一緒に死線を切り抜けることができてね。多分、それが自信に繋がったんじゃないかな! ハハハ!」
嘘ではない。クラーケンが出たのも、死線を越えたのも事実だ。
ただ、その後の「夜のクラーケン」の方が手強かったという事実は、墓場まで持っていく秘密だ。
「まあ! クラーケンだなんて! ご無事で何よりです」
「そ、そうなんだよ。じゃあ、俺は疲れているからこれで!」
これ以上追求されたらボロが出る。俺は逃げるようにギルドを後にした。
背後でサクラが、マーガレットさんに優雅に会釈しているのが見えたが、その余裕綽々な態度が少し悔しい。
◇
俺たちが向かったのは、隣村にある船宿だった。
かつて祖父が隠居先として使い、今は俺が管理している場所だ。ここなら誰の目も気にせず、ゆっくりと休むことができる。
……休めれば、の話だが。
荷物を置き、ソファに沈み込んだ俺に、サクラがかいがいしくお茶を淹れてくれた。
「旦那様、ハーブティーです。滋養強壮に効く成分をマシマシにしておきました♡」
「……ありがとう。普通の味だと嬉しいんだが」
一口飲むと、全身にカーッと熱が回るような味がした。絶対にマムシとかスッポンとかの成分が入っている。
俺はため息をつき、サクラから聞かされた「オネスティー家の真実」について思いを巡らせた。
サクラの話によれば、俺の曽祖父と祖父は、とんでもない傑物だったらしい。
商才もさることながら、特筆すべきはその「性欲」と「スタミナ」、そして内包する「魔素の濃さ」だ。
ヘタレな性格は代々の遺伝らしいが、ひとたびスイッチが入ると、底なしの活力を発揮したという。
特に曽祖父に至っては、発見当時エネルギー切れでピクリとも動かないサクラに対し、「動かぬなら、注いでみせようホトトギス」の精神で、毎晩のように魔素を注入し続けたそうだ。
(……完全に犯罪スレスレ、いやアウトだろ)
サクラから淡々と語られる過去話を聞かされる孫の身にもなってほしい。
オネスティー家の創業神話は、ただの「変態の記録(黒歴史)」だったのだ。
だが、そのおかげで今の俺がいるのも事実。複雑な心境である。
「しかし、サクラ。お前の態度、本当に変わったよな」
俺が言うと、サクラはきょとんとして、それから頬を染めた。
「そうですか? 魔素が満タンでシステムが安定しているからでしょうか。以前のような、回路が焼き切れそうなイライラがありません」
以前の毒舌は、どうやら「空腹によるイライラ」に近いものだったらしい。
今のサクラは、毒舌が完全に消えたわけではないが、言葉の端々に愛嬌がある。
魔素を補充した直後は特にデレデレになり、時間が経って魔素が減ってくると、少
しずつ元のクールなサクラに戻る。
つまり、彼女の態度は「バッテリー残量計」代わりになるわけだ。
「便利と言えば便利だが……」
「旦那様、そろそろトレーニングの時間ですよ」
「……へ?」
サクラが取り出したのは、あの岩礁地帯のチェストから見つかった「魔法銃」だった。
◇
それからの数日間、俺は『暁』さんからの連絡を待ちつつ、地獄の特訓を受けることになった。
日中は、魔法銃の訓練だ。
「いいですか、旦那様。腰が引けています。もっと堂々と構えてください」
「だ、だってこれ、暴発しないか?」
「私が調整しましたので大丈夫です。威力は『ファイヤボール』程度に抑えてあります」
サクラは事もなげに言うが、ファイヤボールと言えば、人間が直撃すれば大火傷、当たり所が悪ければ即死する威力だ。
俺は恐る恐る、黒光りする銃身を構えた。
ターゲットは、海岸の岩場に立てた丸太だ。
「引き金に指をかけ、魔力を込めるイメージで……撃て!」
ズドン!!
俺の手の中で衝撃が走り、銃口から赤い閃光が飛び出した。
光弾は狙いを大きく外し、海面に着弾して水柱を上げた。
「ひいいっ! すげぇ音!」
「へっぴり腰ですね。ですが、魔力の通りは良いです。さすがはオネスティー家の血筋です」
サクラは褒めてくれているのか呆れているのか分からない顔で、手本を見せてくれた。
彼女が構えると、銃と身体が一体化したように見える。
ズドン!
放たれた光弾は、正確に丸太の中央を粉砕した。
「このように、ゴブリン程度なら一撃で仕留められます。海賊や荒くれ者相手なら、手足を狙えば瀕死の重傷で済みますので、殺さずに無力化できますよ」
「瀕死で済むって、それ全然安全じゃないからな!?」
「死ななければ、かすり傷と同じです」
「お前の倫理観はどうなってるんだ……」
とはいえ、俺のような非力な商人にとって、この魔法銃は強力な護身用武器になる。
剣を振り回す腕力も、呪文を詠唱する知力もない俺でも、引き金を引くだけで攻撃ができるのだ。
俺は必死に練習した。
サクラのスパルタ指導のおかげで、三日もすれば、動かない的なら百発百中で当てられるようになった。
「合格です、旦那様。免許皆伝とはいきませんが、これなら常に携帯を許可しましょ
う」
「やった……これで俺にも攻撃力が……!」
俺はホルスターに入れた魔法銃を腰に巻き、カウボーイ気取りでポーズを決めた。
まあ、実際に人を撃つ度胸があるかは別の話だが、武器を持っているという事実だけで、少しだけ背筋が伸びる気がした。
◇
そして、夜の特訓も欠かさなかった。
というより、これはサクラへの「燃料補給」という名の義務である。
魔導砲を使った消耗は回復したが、日々の活動や、魔法銃の調整などで魔素は減っていく。
サクラは「じいさん方を見習え」と言わんばかりに、夜な夜な俺の寝室へ忍び込んできた。
「旦那様、本日分の補給をお願いします♡」
「お、おう……お手柔らかに頼むぞ……」
最初は抵抗感(と恐怖)があったが、人間とは慣れる生き物だ。
それに、サクラは夜の営みに関しては非常に勉強熱心で、かつ奉仕的だった。
ホムンクルス特有の完璧なプロポーションと、疲れを知らないスタミナ。そして、俺を喜ばせるためのテクニック。
これに溺れない男がいるだろうか。いや、いない。
おかげで、俺の「女性に対する耐性」は飛躍的に向上した。
今までは、王都の酒場で美人に声をかけられただけでキョドっていたヘタレな俺だったが、今では違う。
どんな美女を見ても、「まあ、ウチのサクラに比べればな」という謎の余裕が生まれてしまったのだ。
「あら、グラスさん。また少し大人っぽくなりました?」
買い出しに行った市場で、果物屋のお姉さんにからかわれても、
「そうかな? 君の瞳が綺麗だから、そう見えるだけじゃないかい?」
なんてキザなセリフが、自然と口から出るようになった。
言った後で「うわ、何言ってんだ俺」と赤面するあたり、まだヘタレは抜けていないのだが、少なくとも会話が成立するようにはなったのだ。
これは、いわゆる「強制的な男磨き」というやつだろうか。
代償として睡眠時間と腰の健康を差し出しているが、商人としてのハッタリ力は確実に上がっている気がする。
◇
そんな日々を過ごして一週間ほど経った頃。
チェストに入っていた他の書類――なにやら難しそうな古代語の図面や、航海日誌のようなもの――の確認を進めようとしていた矢先、冒険者ギルドから使いが来た。
「『暁』のイレブンさんから、至急の依頼だそうです」
来たか。
俺は書類を一旦片付け、身支度を整えた。
腰には、サクラに調整してもらった魔法銃。
隣には、魔素満タンで肌艶の良い美しき従者、サクラ。
そして俺自身も、以前の俺とは違う。
今の俺は、カッパー級商人にして、夜の戦場を生き抜くサバイバー、グラス・ド・オネスティーだ。
「よし、行くぞサクラ!」
「はい、旦那様。稼ぎ時ですね」
俺たちは隣村の船宿を出て、冒険者ギルドへと向かった。
ギルドに入ると、いつもの喫茶スペースに、イレブンさんたち『暁』のメンバーが勢揃いしていた。
彼らの表情は真剣そのものだ。
「待っていたぞ、グラス!」
イレブンさんが立ち上がり、俺を迎えた。
その顔を見て、俺は直感した。
今回の依頼は、前回のような「様子見」では終わらない。
オネスティー家の黒歴史を知り、男としての階段を登り始めた俺にとって、真の意味での「冒険」が始まろうとしていた。
「お待たせしました。魔導船の準備は万端です」
俺はニヤリと笑ってみせた。
背中のサクラが、小さく頼もしげに頷く気配を感じながら。




