第3話 牙の遊戯
夜の住宅街。
街灯の光が、アスファルトに白く滲んでいる。
玲央は気分転換に紅と夜風に当たりながら、歩いていた。
そのとき、左目の奥が焼けるような気がした。
嫌な予感がする。
玲央が背後に気配を感じ、振り向いた瞬間――
背中に痛みが走り、身体が横から吹き飛ばされ、地面を転がる。
「……っ!」
息が……出来ない。
倒れ込んだ玲央の視界の先に、知らない女が立っている。
よく手入れをされたミルクティーブラウンの長い髪。
夜の静寂の中で一際響く、ヒールの音。
夜の世界に良く似合う赤いドレス。
「へぇ。こんな餓鬼が、東雲彩乃と知り合いなんだ」
「……誰だよ」
「餓鬼に名乗る程でもないわ。私、弱い餓鬼には興味無いから」
彩乃の事を知っている女が笑った次の瞬間、消えてしまった。
「……が……っ!」
再び玲央の横腹に衝撃が走る。
玲央はもの凄い速さでブロック塀に叩きつけられる。
「待って、弱すぎ。話になんない」
女の右腕が黒く染まり始め、足元の影が絡みつき、牙のような巨大な爪を形成する。
巨大な爪は玲央に向かって、振り下ろされる。
地面が抉れ、アスファルトが弾け飛ぶ。
玲央はなんとか動き、息を整える。
足が重い。
正直言って、怖い。
「あー、楽しい。早く東雲彩乃に会いたいわ」
玲央は命の危機を感じ、左目が焼けるように痛み出した。
「主。ここは戦うしかない。隙を見て逃げるのがいい」
「……くそ、まだコントロールも出来てないのに」
玲央は苛立ちながら、右手に集中した。
女の巨大な爪が玲央の脳天に振り下ろされる瞬間、紅の刀の刃で、玲央は受け止めた。
火花が散る程の威力で、玲央の刃は押されている。
恐怖で腕が震える。
この女の力が偉大すぎる。
玲央は肩を裂かれ、鮮血が服に滲んだ。
腕に力が入らず、玲央は蹴り飛ばされ、地面を滑る。
「ゲーム終了。私の圧倒的勝利ね」
勝利に喜ぶ女の影が膨張する。
巨大な牙は玲央を飲み込んでしまいそうな程大きくなる。
死ーーー。
迫ってくる死に怯えていると、玲央の左目が脈打つ。
どくんー。
どくんーー。
どくんーーー。
視界が赤く染まって行くのが分かった。
巨大な爪の軌道が、遅い。
「……は?」
女の目が見開く。
玲央は巨大な爪を真っ二つに切り落とした。
女は急いで巨大な爪を再び生み出し、先程とは違う玲央に斬りかかる。
その攻撃は全部弾かれ、女は自分を守る為に必死だった。
玲央は女の防御を無視して斬りかかる。
肩の傷が開いても止まらない。
自分の邪魔をする奴は誰だろと殺す。
それだけ。
隙を見せてしまった女の喉元に制御不可能になってしまった玲央の刃が迫る。
「ちょっと待っ――」
玲央の刃を止めるように、別の刃が割って入って来たのだ。
「玲央!やめろ!」
聞き覚えのある声。
玲央の刀を受け止めたのは、蓮だった。
衝撃で地面が割れる。
玲央はなお、力を押し込む。
蓮の声が届いていないようだった。
「玲央!戻って来い!こんな所で、力に飲まれては駄目だ!陽菜を、陽菜を助けるんだろ!」
蓮が力を込め、刃が軋む。
“陽菜”という言葉が、玲央の胸の奥で引っかかる。
視界が揺れ、急に力が抜ける。
玲央はその場に崩れ落ち、手から紅が離れた。
呼吸が荒くなる。
玲央の正気が、意識が戻ってくる。
そんな玲央を目の前で、女が距離を取る。
「なんなのよ、この餓鬼……」
女は焦りながら、闇へ消えてしまった。
玲央と紅、そして蓮。
「俺も、契約してる。だから、陽菜の事も覚えてる」
玲央は息を整えながら、ただ呆然とする。
契約者同士の戦い。
自分の力は、危険だ。
守るどころか、奪う側になるかもしれない、とーーー。
同時刻、九条病院は静まり返り、休憩室には九条恒一が窓際に立っていた。
右腕が、熱を帯びる。
白い菊の紋が、手首から肘へ巻き付くように浮かんでいた。
「……僕はもう、耐えられないのかもしれない」
白い菊の紋を撫で、恒一は低く呟く。
守られているのは、自分かもしれない。
それでも。
「何があっても、彩乃さんは守る」
夜は、これから始まる。




