第14話 背中を信じて
――蓮が白夜に敗れた、その頃。
境界の奥で、怜央もまた黒牙に追い詰められていた。
地面に仰向けに倒れ、呼吸が乱れる。
身体が重い。
黒牙がゆっくりと覆いかぶさる。
黒い刃が、怜央の喉元へ向けられていた。
「終わりだ」
低い声とともに、刃が押し込まれ、怜央はとっさにその刃を両手で掴んだ。
「っ……!」
鋭い痛みが走り、掌が切れて血が滲む。
だが離せば、本当に終わる。
そんな怜央に、黒牙が嗤う。
「もう諦めろよ。楽になるぜ?」
さらに力を込められ、刃先がじりじりと迫る。
怜央は痛みに顔を歪めながらも、笑った。
「誰が……諦めるかよ」
黒牙の眉が動く。
「お前みたいに、こっちは一人で戦ってるわけじゃないんだ」
その言葉に、黒牙の表情が険しくなる。
「なら、その余裕ごと叩き潰す」
背中が大きく膨らみ、巨大な黒い爪が現れた。
禍々しい刃が、怜央の左目へ向けられる。
桜の紋が淡く浮かび上がっていた。
「その目ごと消してやる!」
振り下ろされる――その瞬間。
「怜央!」
澄んだ声とともに、銀の光が走り、黒牙の巨大な爪が、宙で断ち切られる。
衝撃が境界に響き、黒牙が大きく後退した。
そこに立っていたのは、彩乃。
小夜を構え、凛とした眼差しで黒牙を見据えている。
すぐに怜央の前へ回り込み、腕を引く。
「立てるか!」
「……はい」
震える足で立ち上がる。
掌はまだ痛むが、温もりが背中にある。
ひとりじゃない。
「彩乃先輩……来てくれたんですね」
「当たり前だ」
黒牙は切断された爪を見下ろし、舌打ちする。
再生を試みるが、うまくいかない。
「何故だ……!」
黒牙の瞳に焦りが浮かぶ。
「守護者ごときが……!」
瘴気が渦巻くが、先ほどまでの勢いはない。
黒牙はなおも再生しようともがいていた。
「まだだ……まだ終わらん……!」
だがその声を、静かな足音が断ち切った。
空気が変わる。
冷たい月光のような気配。
振り向いた黒牙の瞳が、わずかに揺れた。
「……白夜」
そこに立っていたのは、人の姿に戻った白夜だった。
「よくやったよ、黒牙」
次の瞬間、白い閃光が走った。
黒牙の言葉は途中で途切れ、身体が静かに崩れ落ちた。
黒い瘴気が、霧のようにほどけていく。
「な、ぜ……」
黒牙はかすれた声しか出ない。
「用済みだから」
黒牙の気配が完全に消え、境界が異様な静けさに包まれた。
「彩乃さん!」
背後から伸びた細い腕が、彩乃の手首を絡め取っていた。
陽菜がいつの間にか背後に立ち、彩乃の動きを封じている。
「く……!」
彩乃の手から小夜が滑り落ち、淡く光る。
だが――人の姿には戻らない。
白夜が静かに視線を向ける。
「その力、今は封じてある」
小夜の光が弱まるのを感じ、怜央の鼓動が早まる。
「陽菜!彩乃さんは関係ないだろ!離せ!」
一歩踏み出そうとした瞬間、白夜が視線を向けた。
「動くな。君の大事な人を傷付けたくないんだ」
陽菜の腕がわずかに力を強めると、彩乃の表情が歪んだ。
怜央の足が止まり、歯を食いしばる。
「……卑怯だ」
「戦いに卑怯も何もない。勝った方が生き残るんだよ」
白夜は淡々と答え、境界の空気が張り詰める。
怜央の左目――桜の紋が淡く揺らぐ。
そのとき、怜央の脳裏に彩乃の言葉がよぎった。
――白夜と陽菜さんが現れてな、俺が引き受けるからって先に来たんだ。
胸の奥がざわつき、怜央は白夜を睨んだ。
「お前……蓮と戦ってたんじゃないのか」
一瞬の沈黙が走ったが、白夜はわずかに笑った。
「さっきまで戦っていたよ。君の戦友は――境界を見てみなよ」
嫌な予感が、確信に変わる。
怜央は視線だけを横へ動かす。
境界の膜が薄く開き、現代の光景が映し出される。
見覚えのある場所のその中央に、蓮が木に縛られていた。
「……っ」
その急所へ向けられているのは――雷牙。
鋭い刃が、迷いなく心臓へ突きつけられている。
次の瞬間、蓮の足元から淡い粒子が舞い上がった。
「……え」
光の粒になって消えていく。
まるで世界に還るように。
「やめろ……」
怜央の声が震える。
粒子は膝へ腰へと広がり、蓮は顔を上げた。
遠く、どこかを見ている。
その視線が、まるで怜央を見ているかのようで。
「……怜央」
声は届かないはずなのに、口の動きがそう読めた。
粒子が胸元へ達する。
「やめろおおお!!」
怜央の叫びが境界を震わせる。
だが、身体は動けない。
彩乃を人質に取られている。
白夜は穏やかな声で言う。
「彼は負けたんだよ、この世界のゲームに」
蓮の身体が、胸、肩、腕へと消えていく。
最後に残った顔が、かすかに笑った。
そして光となって、夜に溶けた。
現代の映像が閉じる。
怜央の呼吸が止まったように動かない。
「……嘘だ。嘘だろ……」
拳が震え、桜の紋が強く光を帯びる。
怒り、喪失、絶望。
感情が渦を巻く。
「これが現実だよ。悲しいね」
白夜の優しい声が、何より残酷だった。




