第11話 溢れ出す欲望
鳥居の亀裂は、静かに広がっていた。
目に見えないほどの、わずかな歪み。
だが境界は、確実に弱っている。
黒牙と彩乃の戦いでの衝突が、決定打だった。
鳥居の向こう側――刀剣達の世界。
その奥に渦巻く、黒いもの。
抑えられていた“負”。
憎悪。
嫉妬。
怒り。
渇望。
行き場のない欲望が、亀裂から滲み出す。
霧のように。
煙のように。
そして――形を持つ。
角、裂けた口、歪んだ目。
黒い欲望は、鬼の姿となって存在してはいけない現代へと流れ込んだ。
「――昨夜未明、市内でまた一人、行方不明者が出ました」
テレビのニュースが淡々と告げる。
「警察は事件性も視野に捜査を進めていますが、現時点で有力な手がかりは見つかっていません」
画面には、不安そうな家族の姿。
“神隠し”。
SNSではそう呼ばれ始めていた。
突然消えて、痕跡がない。
防犯カメラには、一瞬ノイズが走るだけ。
その直前、必ず、黒い影が映り込む。
怜央はリモコンを強く握った。
「……これ」
たまたま遊びに来ていた蓮が低く呟く。
「あの鳥居から、か」
怜央は胸がざわついた。
黒牙だけではない。
何かがこちら側へ溢れて来ている。
「彩乃さんに知らせないと」
あの人は、また一人で背負う。
だから、今度は自分が守りたい。
あれから怜央と蓮は神社に向かい、石段を駆け上がる。
境内の空気が、重い。
目に見えない何かが、漂っているような気がする。
鳥居が立つ森の奥で、彩乃は境界を見つめていた。
まだ包帯は残っているが、身体は起こせるようになっている。
手首にはあのブレスレットがあり、深紅の薔薇が静かに揺れている。
「ニュース、見ましたか」
怜央の声は真剣だった。
「ああ……あの時の衝撃で、亀裂が入ってしまった」
彩乃が悔しそうに低い声で呟く。
小夜が静かに言う。
「亀裂から、漏れてる」
蓮の表情が険しくなった。
「鬼、か」
「正確には、欲望の塊だ。本来なら、向こう側で浄化されるはずの負の感情。それが、現代に溢れた」
怜央は拳を握る。
「放っておけません」
彩乃の瞳はまっすぐで、迷いがない。
「……危険だぞ」
「知ってます」
一歩、前に出る。
「でも、もう守られてるだけは嫌です」
境内から風が吹いて来た。
その時――
低い唸り声が聞こえ、空気が歪む。
黒い霧が、境内から湧き出てきたのだ。
それはゆっくりと形を持ち、角のある影が見え、巨大な鬼の姿に変わる。
裂けた口に赤い目。
その目が、彩乃を捉えた。
守護者の力を取り込みたいのだろう。
裂けた口からは、涎のような黒い気配が垂れる。
「……狙いは私か」
怜央が彩乃を守るように前に出る。
「来るぞ!」
蓮が叫ぶと雷牙が刀へと変わり、稲妻が弾ける。
鬼が地を蹴り、一直線に怜央の元へ。
その瞬間、銀の閃光が走った。
彩乃の刃が鬼の爪を受け止める。
金属音が弾け、衝撃が境内を走る。
「怜央!……私だって、君に守られてばかりは嫌だ」
彩乃の声が鋭く飛んだと思うとその視線の先、鳥居の亀裂が走り、境界へ黒い影が、すり抜けるように消えていく。
あれは、黒牙だ。
怜央達の様子を窺って、隙を突いて境界の内側へ入ったのだ。
「……っ、黒牙!」
鬼が再び襲いかかり、彩乃は踏ん張りながら叫ぶ。
「怜央!先に行くんだ!ここは私達に任せろ!」
怜央が振り向く。
「でも――」
「行け!」
刃が火花を散らし、蓮が横から鬼の胴を斬り払う。
雷牙の雷が炸裂し、鬼の身体を焦がした。
蓮は怜央に向かってわざとらしく笑う。
「彩乃先輩が居れば、こんな雑魚鬼なんかすぐだぜ。後で行くから、お前は黒牙に一発いれてこい!」
鬼が唸り、黒煙を吐き出す。
「負けたら許さねぇからな!お前に一発入れてやる!」
怜央の胸が強く打つ。
恐怖はあるが、それ以上に燃えるものがある。
黒牙を止めなければ。
大切な人を、これ以上傷つけさせない。
「彩乃さん……蓮……」
怜央は一瞬だけ、二人を見る。
「待ってますから!」
鬼が咆哮し、怜央へ飛びかかろうとしたが、再び銀の閃光が走り、彩乃の刃が、鬼の牙を受け止める。
「行け!」
その声に背を押され、怜央は鳥居へ駆ける。
亀裂が脈打ち、境界が揺らぐ。
怜央は一歩、踏み込む。
境界と現代の空気が変わる。
重力が歪み、視界が白に包まれる。
そして怜央は、境界の向こう側へ足を踏み入れた。
背後では、雷鳴と金属音が激しくぶつかり合っている。
彩乃は傷が癒えきっていないが、それでも立っている。
守護者として、前を向いて戦っていた。
「小夜、まだやれるな。……これが終わったら、怜央と行ったパンケーキでも食べに行こう」
小夜の声は静かだ。
「みんなで、行こうね。必ず」
蓮が笑う。
「彩乃先輩、その話後でみっちり聞かせてくださいよ?」
そして.境界の向こうで、黒牙がゆっくり振り返る。
「本当は、守護者に来て欲しかったんだが」
その目が愉快そうに細まる。
狙いはやはり、彩乃。
境界の内側で、怜央と黒牙の対峙が始まる。




