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evergreen  作者: 小日向
9/10

8.調理実習の爪跡

 月に一度寮長会議がある。

 といっても寮なんて3つだし、寮監代わりの教師に定例報告すれば終わるような軽いもんだけど、スルーするわけにはいかない。なんといっても参加者は4人。サボればすぐバレる。

 第二寮の寮長である幹弘とその会議に向かっていたところ、放課後間もない喧騒に紛れてそのメールは来た。ハートマークやらVサインやらの絵文字だらけで、読みにくくはあるけど微笑ましさが勝る。楽しみにしてると打ち込んだメールの返信も、1分と経っていなかった。

「健、顔緩んでる」

「え、マジぃ?」

 幹弘の冷静なツッコミに、思わず頬に手をやって確かめる。だけど自分じゃ分かんないな。どうだろうと首を捻っていると、幹弘の目が面白がるように、眼鏡越しに細くなった。

「彼女?」

「うん。調理実習でマフィン作ったから後で持ってきてくれるってさ」

 と言って、先ほどのメールに添付された写真を見せる。まだ包む前のそれは無愛想な調理台の上で綺麗な狐色になっていた。今日は5時間目に体育があったから小腹が空いてたんだ。このタイミングで差し入れとは、ラッキー。

「美味しそうだね」

 携帯を覗き込んでいた幹弘が感心したように言う。俺はふふんと胸を張った。

「マナミは料理上手いんだよね~。言っとくけど、あげないから」

「いらないよ。ていうか彼女、マナミだっけ?ユウカじゃなかった?」

 幹弘から出てきた名前は、前の彼女のものだった。誰と付き合い始めるとか別れたなんて一々報告しないから、たまにこうして時系列にズレが出ることもある。俺は顔を顰めた。

「えーもうやめてよそんな昔の話」

「昔って。先月までは付き合ってたでしょ、確実に」

「いいから古傷に触れないで」

「…てことは、また振られたの?」

「振られた強調すんな。いいの。今はマナミがいるから」

「あっそ。…まぁ、健の彼女なんて把握するだけ無駄だしね」

「ひっど」

 興味なさ気に言った幹弘に、俺は憤慨する。何て奴だ。確かに長続きしない自覚はあるが、そんな言い方はないと思うぞ。

 幹弘自身は、2つ下の幼馴染みの女の子と付き合っている。本人たちもいつから好きなのか、付き合い出したのかが曖昧らしくて、その付き合いの長さからか、10代半ばにして熟年夫婦みたいな雰囲気を醸し出している。

 あれと比べられたら、そりゃあ俺の付き合い方なんて記憶にも残らないだろうけど。

 拗ねた気持ちになっていると、進行方向に人だかりが見えた。なんだあれ、と幹弘と顔を見合わせる。

「…千尋くんじゃない?」

「あれ、ほんとだ」

 10人ほど集まっている女子の中心、こちらに背を向けているのは確かに千尋だ。

 顔もいいし愛想もいいし、千尋はモテる。だけど本人の好みが年上の(経済力のある)おねーさんなもんだから、校内の女子が大っぴらに千尋に群がることは少ない。遠巻きに眺めて騒いでいるのを見かけるくらいだ。お手軽なアイドルみたいなポジションだよなぁと常々思っている。

 よく見れば、女子たちは手に手にカラフルなラッピングされたものを持っていた。くん、と鼻を鳴らせば甘い匂いが漂ってこないこともないような。それからさっきのメールの内容を思い出す。

 調理実習で作ったマフィンをどうしようか、という話なのだろう。折角作ったんだから渡すくらい、と勇気を振り絞った誰かがいて、周りが乗った。普段接するきっかけがないだろうし、分からないでもない。

 こっちから見える彼女たちの顔がやけに真剣で怖いような気もしたけど、折角のチャンスだと一生懸命なんだと思えば、可愛らしいんじゃあないだろうか。

 それにしても、あれだけ人だかりになってるのを見ると。

「…なんか、彼女ひとりにマフィンもらえるって喜んでる自分が虚しくなってきた」

「滑稽だよね」

 さらりと毒舌を吐く幹弘を睨むが、完全に無視される。

 近づいていくと、千尋に突進しているように見せかけていた女子たちは意外や意外、整然とした動きをしていた。

 マフィンを渡す。千尋がありがとうとにっこり笑う。それに顔を赤くしたらすぐ道を譲る。次。長く留まらない辺り、千尋の性格をよくを分かってる。

 変に感心してしまった俺の横では、幹弘がすごいねぇと全く熱の篭らない呟きを発していた。

 それが聞こえたのか、千尋がこちらを振り向く。その手には、既に相当な数のマフィンを持っていた。…どんだけ貰ってんの。思わず半眼になった俺に気付かないまま、千尋が暢気な声を上げる。

「あ、たけ。ミキティも」

「千尋くん、いっぱいもらったねぇ」

 ミキティと呼ばれた幹弘は、俺も含めて周りがちょっと微妙な顔をしたのを黙殺して千尋に声を掛けた。

 中々聞き慣れないが、それは千尋限定の幹弘のあだ名だ。というのは、以前俺が冗談で言ってみたら結構本気の膝が来たのだ。なんで千尋はよくて俺はダメなの!と抗議したら、千尋くんは言っても聞かないから。健は違うでしょ?と返された。悔しいが納得した。

「うん。調理実習でいっぱい作ったんだって。ふたりはどこ行くの?」

「寮長会議。千尋、教科書落とすよ」

 答えながら、俺は千尋が脇で挟んでいた教科書類を下から支える。手が塞がっているからだろうけど、こんな持ち方してたらすぐ落ちそうだ。

「あー今日なんだ…え、わ、」

 教科書に気を取られて千尋のバランスが崩れる。それに加えて順番待ちに焦れて前に踏み出した子を避けようとして、一歩後ろに下がったのが多分悪かった。

 ただでさえ不安定に色々抱えていた千尋の腕からマフィンが転がり落ちる。一個二個―――その後は雪崩のように。

「あ」

「―――あーっぶな」

 咄嗟に手を伸ばして、ばらばらと落ちてきたものを受け止める。見れば反対側でも幹弘が床に落ちるギリギリからひとつ救出していた。

「ありがと」

 ふわ、と目元を緩めた千尋に返そうとして、それから動きを止める。そもそも、千尋にこんな荷物を持たせることが間違いなんだよな。

 俺は肩から提げていた鞄の口を開けて、手にしたマフィンをそこに落とす。形を崩したら顰蹙だろうから、できるだけそっと。

「これで持って行きな。そのままじゃ教室着く前に落とすでしょ」

 言いながら、これから必要な筆記用具だけ取り出す。そうすると中身なんてほとんどなくなるから、まぁちょうどいい。

 はい、と口を開けて差し出す。鞄と俺を見比べていた千尋は、ちょっと考えたけど、すぐに手にしていたものを全部そこに入れた。幹弘も同じように手にしたひとつを転がす。

 甘い匂いを充満させる柔らかくて可愛らしいそれらは、こうやって持つと意外に重かった。まだ増えることを考えれば、鞄も役に立つだろう。この後も受け取りやすいに違いない。

 ひとり満足して頷いた俺は、その後に続いたボトリという音に首を傾げた。ちょっと、誰だよ落としたの。人が折角、

「マナミ」

 視線を巡らした先に、マナミがいた。調理室帰りなのか教科書と大きめの巾着を持っている。その足元に落ちたピンクのラッピングされた袋は、あれもしかして俺がもらえる唯一のマフィンか。

 ええそんなーと一瞬思って、でもまぁ味に変わりはないだろ、と思い直す。会議が始まる前に食べれるな、なんて思っていたら睨まれた。あれ?

 どしたの、と尋ねる間もなくマナミの顔がどんどん険悪なものになっていく。無言で睨む様子はかなり怖い。思わず腰の引けた俺は、だが何か非常にまずい事態に陥ったことだけは認識できた。

 その視線は俺の手の辺り。なんだっけと視線を戻すと、千尋がもらったマフィンが大量に入った俺の鞄がある。ああ、俺が貰っちゃったように見えるかもね。それを借りようとしていた千尋も、群がる女子たちも、なんとなく憐れんだ視線を俺に向けている。

 マフィンを持って行くねと言った彼氏が他の子の作ったマフィンを山のように持ってたら。

 それが俺宛じゃなくても。寧ろ、俺宛じゃないなんてこと、今来たマナミが知るはずもない。

 つまり。

 つまり―――幹弘がぼそりと言ったご愁傷様という言葉が全てと、そういうわけだ。

2011/6/11 誤字修正&微修正

2011/6/12 タイトル番号修正

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