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evergreen  作者: 小日向
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4.プレジデント・ランチ1

「決めた?」

 後ろの方でそんな声が聞こえた。

 昼休みが始まって5分ほど。学校と寮の間にある生徒共通の食堂は、食券の列で込み合っていた。うちの学校は朝も昼も夜もここで食べる人間が大半だ。そのため昼だけは豊富なメニューの中から買うことができるようになっているのだが、俺は趣味のおかげで万年金欠、大抵は選択の余地もなく最安値の丼物だった。

 だが牛丼もカツ丼も親子丼も、別メニューにちゃんとある。ただどんぶりに入っているから「丼物」と言われるそれは、その日余った具材で作られるという代物だ。もちろん人気はない。けれど需要はあるらしく、食堂で見かける比率は高い。削るなら食費って傾向は、誰でも変わらないらしい。

 そんな懐状況なので、迷うほどに選べるというのが羨ましく感じる。ちら、と視線を投げてみたら、隣の列にものすごく見覚えのある顔があった。

「あ」

 思わず声が出た。慌てて口を押さえたけれどもちろん遅い。

 ぱさりと音がしそうなほど長い睫毛が揺れる。瞬きが一回、二回。それからゆっくりと顔がこちらに向いた。ゆったりとした反応はもどかしいほどだったけど、目が合ったらそうも言っていられない。大きな黒目はそれはもう雄弁で、口も開かないのに『なぁに』『だぁれ』と問いかけてきた。

 あの人、だ。

 先週ひょんなことで知ったうちの学校の生徒会長。同じ寮に住んでいたのだが、何故かそれまでは見たこともなかった。なのにおかしなもので、一度存在を知ると何度か見かける機会があった。

 そのほとんどが寮長と一緒にいたから仲が良いんだと思う。俺にとってはそれくらいの情報量の人。

 そんな一方的に知っている身で、上手い言い訳や誤魔化しの言葉が出るわけもない。雄弁な視線に、顎が上がるのを押し留めるのが精一杯だ。

 なんでもないです、と降参宣言するよりも、その人―――生徒会長様が口を開く方が早かった。ぼんやりとしているみたいだった瞳に、ひらめきが点っている。

「あ。痴漢のときの子だ」

 身も蓋もないというのは、こういうことを言うんだろう。よく通る声が淀みなくそう言って、俺は一斉に周囲の視線を浴びることになった。

 確かに間違っちゃいないけど、ここで言葉の選択を望むのは間違っているんだろうか。あのとき俺を認識していたんだということには驚いたけれど、それよりも誤解を招くことの方が怖い。

 何と言っても全寮制。『痴漢』なんて言葉とセットで覚えられたら堪らない。思って、少し強めの声で否定にかかった。

「…そーいう言い方は」

「じゃあ、もう少しで飛びかかりそうだった子」

「え」

 んふふ。鼻にかかった笑いを浮かべたその人は、にんまりと目を細めた。

「よく見てたでしょ」

 …そうですね、とはさすがに答えられず、俺は絶句する。

 確かに俺は痴漢を諌めようとしたけれど、怒りに任せて立ち上がろうとしたところで会長が先に止めに入ったので、結局のところ何もしていない。気概だけの空回りを一部始終を見られていたのかと思うと、ものすごく居た堪れない。

 絶句したまま答えられない俺を救ってくれたのは、先ほどの声だった。

「何、知り合い?」

 ひょい、と会長の横から顔を出したのは、知らない顔だった。会長とは違うけど、また整った顔立ちだ。ブレザーまできちんと着込んでいるが、胸元に覗いたニットは真っ赤。目元にかかる髪の毛は綺麗に染められた茶色で、なんとなく美容師みたいだと思った。

 童顔に見えるけど、会長の同級生なんだろう。どう答えたものかと思ったところで、ふと気付く。そういえば俺たちは、お互いの名前すら知らない。同じことに気付いたのかもしれない。会長が俺を見て首を傾げた。

「一年生?」

「あ、はい。1Eの水島です。水島甲斐」

「おれはね、大野千尋。よろしくー」

 反射的に自己紹介した俺に、のんびりと言葉が返ってくる。…おおのちひろ。やっぱり聞いたことがないなと俺は内心で首を捻った。こんなに目立ちそうな人なのに。

「…知り合いじゃないの?」

 今更自己紹介を始めた俺たちに、その人は怪訝な顔になった。そりゃそうだ。

 けれど会長は気にした風もなくにこりと笑う。

「今なったの」 

 それで全て解決だとでも言いたげだ。けれど相手はこういう対応に慣れているのかもしれない。ちょっと首を傾げていたけれど、それ以上の追及はなかった。

「俺は川崎敦司。よろしくね」

 さらりと名乗ってはにかむ。会長は綺麗な人だけど、この人はなんか、可愛いかもしれない。そう思っていると、会長が川崎先輩を指して、副会長なんだよと教えてくれた。へぇ。ちょっと前までは何の存在感もなかった生徒会だけど、なんか一気に豪華な組み合わせだな。

 やがて列が動いて、俺と会長がそれぞれ券売機の前に立つのは同時だった。俺は迷わず丼物のボタンを押す。だが、いくら経っても会長の方からは食券が吐き出されることはなかった。

「だーから千尋、早く決めちゃいなよ」

 隣の列で川崎先輩が会長の頭を小突いた。

 会長が決めてくれなきゃ買うこともできないのだから当たり前だけど、それよりも列の後ろを気にしているようだった。流れを止めてしまうことに焦りを感じているんだろうか。

 なんとなく顔付きに、几帳面さが滲み出てるんだよな、この人。

 チャキチャキ動きたいタイプなんだろうなぁとは思ったが、会長ははーいといい返事をするだけで、ボタンを押す気配は全くない。

「あっちゃんはもう決めたの?」

 ここにきてののんびりとした質問に、川崎先輩は即答する。

「決まってるよ。A定」

「Aかー」

 俺は思わず目を剥いた。A定。A定食の略で、定食と名の付くくらいだからごはんに味噌汁、漬物が付いて更にサラダ。メインは日替わりで今日はトンカツという、この食堂ではリッチの証明とされているメニューだ。躊躇いもなく選ぶ辺り、この人はいつもこの辺のメニューを食べている気がする。羨ましいことだ。

 ただしこのメニュー、当たり前だが人気が高い。金額さえ飲み込むことができれば飛ぶように売れていく。毎日売切の赤ランプが点くくらいだから相当なものだ。

 ああ、だからこんなに焦っていたのか。会長へのプレッシャーがすごい。

 けれどそのプレッシャーをまるで無視して、会長は券売機とにらめっこを続けるものだから、川崎先輩は大きな溜息を吐く。

「何で悩んでんの?」

「んっとね、ミートソースとたらこ」

「昨日ナポリタンだったじゃん。またパスタ?」

「だって味違うし」

「そうだけど…どうせなら全然違うのにしたら?たらこ」

「まぁねぇ。そうするのがいいんだろうけど…」

 という会話を券売機の前でするものだから、ただでさえ並んでいる列がかなりの長さになっていた。俺が並んでいた方は順調に進んでいるので、そっちに並び直す人まで出る始末。川崎先輩はそれを見て慌てた。

「千尋、なんでもいいからもう買って!じゃなければ順番替えて。俺先買うから!」

「えー…じゃあねぇ、君決めて」

「は?」

 唐突に戻された視線に驚く。会長はきっちりと俺を見ていて、あまつさえ指を差していた。何がいい?と繰り返される。

「何って…好きなのにすればいいのでは」

「それが複数あるから困ってるんだって。決めてよ」

「俺が?」

「うん。決めちゃって」

 いいのだろうか。そんな決め方でいいなら川崎先輩の言う通りでいいんじゃないだろうか。色々思うことはあったけれど止めておいた。通用しない気がする。

「…じゃあ、たらこで」

「おっけー」

 あっさりとボタンが押された。0.1秒の迷いもなかったように思う。

 食券とお釣りが出てくる。会長が身を屈めてそれを取り出す間、川崎先輩は大きな溜息を吐いて俺を見た。

「そんなんで決まるなら、なんでこんな悩むのさ…」

 俺も全く同意見だが、お釣りを財布に戻していた会長はそこで顔を上げた。

「それよりあっちゃん、券買わないの?」

「あ!…って、千尋を待ってたんじゃん!」

 慌しく千円札を券売機に突っ込んだ川崎先輩が買ったのは結局、B定食だった。

1話のバランス悪かったので分けました。続く。

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