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evergreen  作者: 小日向
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1.生徒会長

 つい先日選挙が行われたらしい。世間一般の物ではなく、学校内でのこと。

 生徒会役員を決めるための選挙だ。

 それが行われたらしい、というのは日程どころか候補も知らなかったからで、つまり参加しなかったということになる。今からこれでは成人してからのことが思いやられるが、それはまた別の話だ。数年経てば俺も世情に関心を持つかもしれない。根拠ない楽観はいつものことで、だって仕方ないだろう、と誰にともなく呟く。

 うちの学校は伝統的に生徒会の存在感が薄い。全寮制を謳うこの学園では逆に力がありそうなものだが、蓋を開けてみれば生活の基盤となる寮の存在が大きかったためだ。

 事実、ふたつある男子寮にこの間就任したそれぞれの寮長は元々影響力があるとされていた生徒が指名されている。そうなると余計に、いるかどうか分からない生徒会は更に存在感が薄れる。立候補制というのも多分、それを助長している。

 誰がなったところで影響がないのだから、誰も興味を抱かないし、注目も集めない。

 多くの生徒は俺と同じで、選挙自体を知っていたかどうか怪しい。もちろん投票率も悪かったことだろう。だというのに問題視されなかったのは多分そういうことだ。生徒を抑えるなら生徒会より寮長。教師も分かっている。

 そんなわけで―――入学して半年しか経たない俺が自校の生徒会に興味を持てなかったというのも、あながちおかしなことではないと思うのだ。




 そのときの俺の関心といえば、その日発売のゲームソフトのことだった。

 俺は寮へ帰るためにバスに乗っていた。

 学校と寮の間は徒歩圏内だが、駅までとなると話は別だ。歩けば30分はかかる。学園バスなんて存在しないから、駅まで行く通常の路線バスに揺られて10分。手に入れたばかりのソフトを片手に前の席を陣取っていた。

 正確にはPSPにセットしていた。開封は店を出た途端に済ませている。

 サボらずに放課後まで待ったのだから、バスでの10分も我慢できなかったことくらいは大目に見てほしい。音が出せないのは残念だが、それなりに混んでいたバスの車内、俺はひとり自分の世界にこもろうとしていたところだった。

「…っ」

 不意に聞こえたのは噛み殺した悲鳴。こんなバスの中での異音に、俺は思わず顔を上げる。そんな反応をしたのは俺だけで、気のせいだろうかという疑問はすぐに消えた。

 震える手で手摺りを握り締めていた女の子は俯いていた。俺のすぐ脇に立っていたから気付いただけで、彼女は多分、漏らすまいと耐えていた。

 何を?―――そんなの、真横で素知らぬ顔をした親父を見れば、考えるまでもない。

 瞬間、頭に血が上った。いい年した中年が、こんな人込みで。意外と血の気が多いとしばしば言われる俺は、気色ばんで立ち上がろうとして、けれど下から響いた澄んだ声に気勢を殺がれた。

「嫌がってるんだから、止めてあげたら?」

 下から、というのは、俺が丁度バスの前輪の上にある席に座っていたから。普通より高さのある席だから、座っていても立っている人間と顔の位置は近い。ずっと下になる他の席は、少しくらい離れていても俯く女の子の顔がよく見えたのだろう。

 その声は落ち着いた、ゆったりとした口調だった。その分内容を掴みきれなくて、何のことかと思ったりもした。突然挙げられた声に周りもそう思ったようで、声の主に視線が集中した。勿論、俺も。

 うわあ、と思わずにはいられなかった。

 俺のふたつ後ろの席に座っていたのは男で―――男だよな?思わず自問したのは整いすぎた顔のせいで、確信したのは自分と同じ男物の制服を着ていたからだ。

 美人が怒ると迫力があるとはよく言うけれど、やっぱり美人は何をしても迫力がある。からかうような余裕ある口調で背もたれにゆったりと体重をかけ、足を組むという挑発的な態度に、思わず喉が鳴る。

 周囲から集めた視線を完全に無視して、男は真っ直ぐに痴漢行為に走った中年男を見上げていた。

「みっともないよ」

 続いた言葉に、やっとそれまでの言葉が脳に行き渡った。男は痴漢を諌めている。それも、悠然と柔らかい口調で。

 その非現実的な光景に最初に我に返ったのは、向けられた張本人だった。かっと顔に熱を集め、反論しようと息を吸い込む。けれど言葉になることはなかった。うわ、と悲鳴を上げたのだ。

「反論の前に、手はどかしておいた方がよかったね」

 どうやら呆然とする余り、女の子から手を放すのを忘れていたらしい。中年男は背後に立ったもうひとりの学生に手を捻り上げられて、現行犯であることを自ら証明する形となった。




 やがてバスが学校近くの停留所で止まり、俺は他の学生とともに降りた。先ほどの中年男は、その腕を取ったままの学生とともにバスから降りて来た。まずは学校に引き渡すようで、項垂れて校門を潜って行く。

 痴漢を諌めた男は一緒には行かなかった。さっきの連携プレイを考えると、多分痴漢を捕まえた奴とこの人は知り合いなんだろうと思う。でもこういうとき、同行するべきはこの人だったんじゃないか…?

 浮かんだ疑問は多分、周囲と共通だったはずだ。けれどその人はちらちらと視線を送る周囲の人間のことなど、まるで気にかけていなかった。ありがとうございます、と小さな声でお礼を言った女の子に対しても同様だ。うん、と頷いた後はもう視線を外して、すたすたと歩き出していた。いい格好をしたかったわけではないということだろうか。

 というか、この人はなんなんだろう。

 うちの生徒ということは寮に住んでいるんだろうが、俺は見た覚えがない。もうひとつの、第二寮の生徒なんだろうか。

 意外と小柄だ。その背中を見ながらぼんやりと思う。もしあの痴漢が逆上して殴りかかってきたりしたらひとたまりもない気がする。その場合は、さっきの奴が庇ったのだろうか。

 そう思ったところで、男の横にもうひとり、体格のいい学生がいることに気付いた。さっきの奴と似たような雰囲気だ。

「あれ、悠哉…?」

 そのときまでそれがクラスメイトだと気付かなかったのは、俺も空気に呑まれていたからだろうか。思わず呟いた声は届いたようで、背の高いクラスメイトはこちらに振り返った。

「甲斐じゃないか。同じバスにいたのか?」

 気付かなかったのはお互い様だったらしい。俺はなんとなく曖昧に頷いて、悠哉が止まったのにそのまま歩いて行く小さな背中を目で追った。悠哉もそれに気付いて、去って行く背中に慌てたようにお疲れ様でした、と声をかける。

 ゆら、と軽く手が振られて、振り向きもしない背中はそのまま第一寮の扉へと消えて行った。

 …同じ寮に住んでいるのか。

 あんな特殊な人間を半年以上認識していなかった自分に驚いて、軽くショックを受ける。俺ってそんなに他人に興味がなかっただろうか。

「サッカー部の先輩?」

 悠哉はサッカー部に所属している。体格もいいし、けっこう有望視されていると聞く。だからその関係かと思ったのだが、自分で聞いておいて違和感を持つ。

 悠哉とあの人が同じ部活で汗を掻いているという光景が想像できない。

 想像できなくても事実はそうなんだろうけれど、と自分を納得させていると、悠哉はあっさりと首を振った。

 違うよ、と言った声には苦笑が含まれていて、俺は咄嗟にその意味が分からなかった。

「生徒会の先輩」

 へ、と間抜けな声が漏れた。生徒会と言えばこの間役員を選んだ生徒会のことで、とすればこのクラスメイトはあの選挙に参加していたのだろうか。サッカー部にも所属しているのに精力的なことだ。―――それ以上に、変な奴、と思った。何を好き好んで影の薄い生徒会に入ったのだろう。

 それが顔に出ていたのかもしれない。悠哉ははあ、と溜息を吐いた。それは軽んじられたことへの不満ではなく、呆れたような響きを持っていた。どこか自慢するように続ける。

「うちの生徒会長だよ」

 知っておけよ、なんて言われても。

 ぽかんと口を開けるだけの俺は、満足な反応もできなかった。

「生徒会」などと出てきますが、何かをするわけではありません。

主に日常話で進めてまいります。

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