9.同病相憐れむ
正直俺はそういうのどうかと思うんだけど、はいあっちゃんの分、とにっこり輝く笑顔で言われると受け取らないのがおかしいような気もした。
というか、何を受け取ったのか、最初分かっていなかった。
悩み始めたのは自分の手に置かれたものが店で買ったものではないと気付いてからだ。
ちょっといびつな、でもカラフルなラッピングに包まれた柔らかいもの。確かにこんなものを千尋が買ってくるわけがない。貰い物だと、分からなかった自分が悪い。
でもだからって、突き返すことも、何食わぬ顔で食べてしまうことも、なんとなくできなかった。
部屋に戻ってからもテーブルに置いたマフィンを前に俺は正座したまま悩んでいた。
食べるべきか食べざるべきか。ここまで持って帰って来たのならもう食べるしか選択肢はないはずなんだけど、どうにも気が引ける。
千尋にこれを渡した子は、俺が食べるなんてきっと知らないだろう。そりゃそうだ。
甘いものは大好きだ。だから食べたいんだけど、こういうのはなんかずるい気がする。と言って、くれた子に千尋じゃなくて俺が食べるけどいいですかと許可を貰うわけにもいかないし、というか千尋のことだから誰に貰ったかなんて把握していないだろう。差出人を確認することもなく、一番上にあったひとつを美味しそうに食べていたのを思い出す。
みんなも食べるよね?という気前の良さが憎らしい。
だから別に気にしなくてもいいんだろうけど。いやでも、気にするべきは千尋じゃなくて渡した方のはずだし。
堂々巡りを続ける俺の部屋に、ノックの音が響く。顔を上げると、静かにドアが開いて幹弘が顔を出した。
「いい?」
「ああうん。大丈夫」
頷くと、お邪魔します、ときちんと断って入ってくる。俺は昨日発売のバスケ雑誌を渡した。いつも回し読みしているから、今日は何目当てで来たんだな、っていうのはすぐ分かる。
それを幹弘は、分かりづらく目を輝かせてありがとうと受け取った。
細いフレームの眼鏡に吊り気味の目、あまり動かない表情。加えて最近寮長になったおかげで付いた貫禄から受ける幹弘のイメージは「近寄りがたい」だと思う。だけど本当のところ本人は至ってマイペースで、挨拶とかもきちんとする律儀な性格だ。
そういうところが合うんだと思う。学校では無秩序な千尋に振り回されることの方が多いから、幹弘みたいなタイプといるとほっとする。
ああ文明人だ―――は、言い過ぎだけど。
「あれ、それ」
嬉々として読もうとしていた幹弘が、テーブルの上にあった可愛い包みに気付いて声を上げた。
「敦司ももらったの?マフィン」
「幹弘ももらったの?」
俺は思わず顔を上げた。同じ境遇なら、これをどう対処したのか、是非参考にしたい。
縋るような目を向けた俺に幹弘は口の端を引き攣らせて、しっかりと首を振った。
「いや、俺はもらってないけど。健も貰い損ねてたし。千尋くんがね、大量に」
「…俺はそのお裾分けを貰った」
どんよりと告げると、苦笑された。
「だからにらめっこしてるわけだ。マフィンを目の前に正座とかさ、最初何かと思った」
実は引いたと今更言われ、俺の気分は更に下降する。
自分でもくよくよしすぎだとは分かっているのだ。分かっているけど可能性を思い浮かべてしまったら取り払うのは容易でない。割り切りが必要だと分かっていても、それを理解していることと実行できるかには大きな開きがあるのだ。
まして人の気持ちだと思えば尚更。
「食べちゃえばいいのに」
千尋くん気にしてないよ、と言われても、だから気にしているのは千尋じゃなくて渡した方なんだってば。顔も名前も知らないけど、知らないからこそ気が引ける。
「うーん…」
「じゃあ俺もらっていい?」
俺の返事を待たず、幹弘はひょいとマフィンの袋を摘み上げた。リボンをするりと解いてマフィンを取り出して一口頬張るまでに、躊躇いはひとつもなかった。
「んー、まぁまぁ?」
挙句品評にも容赦がない。俺はあんぐりと口を開いて固まってしまった。
俺が悩んでたこの数時間は何だったんだ。いや確かに、他の生徒会メンバーも嬉しそうに躊躇いなく食べてたけど。俺が悩んでるって知っててこの態度。
俺の反応に気付いて、幹弘がしれっと解説を加える。
「千尋くんが食べなくても、女の子側は渡しただけで満足なんじゃない?食べてないって、言わなきゃ分かんないんだし。今から返したって、千尋くん食べないだろうしね。てことは問題は気持ちじゃなくて、物理的な処理なんだよ」
ただ捨てられるよりは誰かが食べてあげた方が、少なくとも食べ物側は報われるんじゃないの、と。悪びれない言葉に、俺は白旗を上げた。
だって結局、俺は自分を誤魔化せる言い訳を考えていただけなのだから。そんな俺に幹弘の言葉は説得力があった。
あーあ、俺って情けない。見ず知らずの女の子にまで言い訳が必要なんて。
いや悪いことじゃないはずなんだけど。そのはずだけど。それで雁字搦めになってたら、格好悪いとしか言えないよな。
若干落ち込み気味ではあったけど開き直ることにして、幹弘からもうひとつを受け取る。
あぐ、と口にしたそれは確かにちょっとだけ粉っぽい。でも味は問題ない。もぐもぐと咀嚼しながら、そういえばと気になっていたことを聞いてみた。
「健が貰い損ねてたって、なんで?」
俺の質問に、幹弘はちょっと遠い目をしながらその顛末を教えてくれた。
ちょっぴり切ないエピソードに、俺は自分のことを棚に上げて大笑いした。同じく千尋被害者がいたことが嬉しかったし、結果が俺より悲惨だから同情も湧く。
うん、明日会ったらそっと肩を叩いてやろう。
2011/6/12 タイトル番号修正