寂寥な花園〜東秩父にて
5000時程度の短編です。
東秩父村。埼玉県西部にある、県内で唯一の村である。近年著しく人口が減少しており、消滅可能性都市にも指定されている。
そんな過疎化の一途を辿る田舎に、なぜ私が訪れているのかと言えば、私が厚生省が行なっている人口動態調査を行う職員の一人だからだ。
だが、私は仕事に対して熱のあるタイプでもない。与えられた数日の間にさっさと自治体の人の話を聞くだけ聞いてその話を適当にまとめ、余った時間を江戸時代にでもタイムスリップしたような、この古臭い街でのんびり過ごそうと考えていた。
「先にお土産でも勝っておくか…」
私は、和紙の里という名の道の駅に寄った。家から弁当を持ってきていたので、手打ちうどんやそばには目もくれず、和紙のコーナーへ向かい、上司の奥さんが好みそうな桜色の手漉はがきを5枚ほど買って、道の駅を早々と後にしようとした。
「おじさん、良いセンスだね。彼女へのプレゼント?」
突然、その少女は現れた。足音もなく、気配もなく。
彼女は、流行に敏感な今時の女子高生にしては、少し古めの白いワンピースを着ていた。まぁ、こんな田舎では流行のりの字も入ってこないだろう。田舎で生まれた女子高生が、外から来た私に興味を持つのは、なんら不思議なことでは無いが、私はそんな都会という幻想に夢みる少女などには興味がない。
「あぁそうだ、分かったら話しかけるな」
と、言ったのにも関わらず、少女はしつこく私に付き纏ってきた。
「そんなこと言わないでよおじさーん」
めんどうなので、私は少女にソフトクリームを一つ買ってやり、1時間ほど話し相手をしてやった。少女の生まれ故郷である岳集落の話や、私の東京での暮らしのこと。少女が好きな、この街の観光名所、天空のポピー等。様々なことを話した。その後私は、少女にも桜色の手漉ハガキを買ってやり、仕事があると言って別れようとした。
「えー、寂しいよ。もういなくなっちゃうなんて」
少女は私の袖をそっと掴んで言った。めんどうだと思ったが、流石に私もそこそこ打ち解けた少女の手を無理やり振り解くような男じゃない。
「大丈夫、仕事が終わったらまた会えるさ」
「本当? じゃあ約束!! 仕事が終わったらまた道の駅に来てね!!」
と、口だけの約束をして、道の駅を後にした。
その日、一通り仕事を終えた後。何故かふと、少女の生まれ故郷の村の事が気になった。私は少女から聞いた岳集落という名前をネットの検索欄に打ち込み、岳集落について書かれた記事を開いた。そこに書かれた文字を読んで、私の背筋は、凍りついた。
<<岳集落は、昭和50年に廃村>>
その記事を読んでから、私はとりつかれたように羽生蛇村のことを調べていた。まだ厚生省に提出する東秩父の資料も作っていない。仕事をしなければならないと分かっているのに……何故だ、この集落の事を調べないと、心にポッカリと穴が空いたような喪失感に襲われる。まるで、大切な人を亡くしたかのような。この集落のことを調べている間だけ、私は心の平静を保つことが出来た。
羽生蛇村の場所を突き止めた私は、気づけばその廃村へと向かっていた。東秩父から40分程車を走らせた後、浦山ダム沿いの展望駐車場に車を置いた。そして、日の落ちかけた真っ暗な山奥に足を踏み入れる。
私はスマホのライトを付け、足下に気をつけながらゆっくりと進んでいった。
真っ暗な道、思わず何かいるのではないかと何度も後ろを振り返る。
「はは・・・まるで肝試しだな」
20分程歩いて行くと、その村は私の前に現れた。
ぐしゃぐしゃになった家屋。崩れかかった蔵。その中で神社の鳥居だけが、綺麗に整備されている。一本道を進んでいくと、立ち入り禁止の看板が見えてきた。
確か、何年か前に火事が起こったらしく、そのせいで安全上進めなくなっているらしい。
「これ以上は無理か・・・」
引き返そうとしたとき。私は、何故こんな所に来たのだろうと、ふと疑問を抱いた。
その瞬間、私を再び、あの喪失感が襲った。
「はっ!」
気づけば私は、立ち入り禁止区間に足を踏み入れていた。そこからの私は、まるで何かに操られているかのように、ふらふらとした足取りで一軒の廃屋へ向かっていた。
私はその廃屋に土足で足を踏み入れると、吸い寄せられるように台所へ向かった。
台所の机の上には、一冊の日記が置いてあった。どうやらこの日記は、とある家族の母親が書いたもののようだった。
ほとんどが読めなくなっていた中、1ページだけ、かろうじて読むことができた。
そこには、こう書かれていた。
≪息子が、あの子にとっての弟が死んだあの日。私は、廃人のようになってしまった娘にこう言った。「大丈夫。きっと、弟は貴方の心の中で生き続けてる…だから、寂しくないんだよ、と。その日を境に、内気だった娘は人が変わったように明るくなった。ある日、娘は家で飼っていた犬の死骸を持って帰ってきた。なんでそんなものを持って帰ってきたの?と私が聞くと、娘は言った。「この犬が病気で、もう助からなくって。死ぬのは寂しいから、私の心の中で生きれば、寂しくないかなと思って」
私はその日から、娘のことを恐ろしいと感じるようになった。夜も眠れないほどに。精神の限界に達した私は、娘を東秩父の高校に通わせる形で、家から追い出した。娘はいなくなったが、私はいまだに眠れぬ日々を過ごしている。何故なら、娘が家を出て行く時に、言ったから。「寂しい…」と≫
日記の書き後は、その日から数日続いた後、ぱたりとなくなっていた。
翌日。私は未だに、あの忌まわしい呪いに捕らわれている。気づけば私は、日記に書かれていた少女が通った東秩父の白石高校のことを調べていた。その高校は、数十年前におきた火事によって、既に廃校になっていた。私はその記事を見るやいなや、仕事用の鞄を持って、泊まっていた旅館を飛び出した。実際に着いて高校をこの目で見ると、火事で焼けたにしては以外と綺麗に原型を留めていた。だが、立ち入り禁止である事には変わりが無い。今回もあの底なしの喪失感に襲われるかと思ったが、幸い何も起こらなかった。
少しずつ平静を取り戻してきた私は、仕事がある事を思い出し、そのまま車で役所へと向かおうとしたその時。
「おや、見ない顔だねぇ」
60代ほどの女性が、背後から私に声をかけてきた。
「何かご用ですか?」
私が問いかけると、女性は答えた。
「それはこっちの台詞だよ。私の母校に何か用でもあるのかい?」
「母校・・・じゃあ、この高校で起こった火事について、何か知っているんですか?」
「えぇ、知ってますとも・・・私は、あの火事の日に学校にいたんですから」
「く、詳しく聞かせてもらえませんか!」
「良いよ、あんまり良い話じゃないけどね」
女性は、かつておきた恐ろしい事件について話し始めた。当時、高校2年生。クラスの少ない高校ではあったが、少ない故に全校生徒が顔見知りの、とても仲が良い高校だったそうだ。事件を起こした女子生徒とは、女性も何度か遊んだことがあるようで、学校の外で会うと、決まって白いワンピースを着ていたらしい。
「白いワンピース?」
「えぇ、亡くなったご家族が、誕生日に送ってくれたワンピースだと言っていました」
「今、女子生徒の家族が亡くなったとおっしゃっていましたが、それはいつですか?」
「確か、高校に入学するために東秩父に引っ越してきてすぐっていってたかしらねぇ・・・なんでも地元で火事が起こったらしくて。そこに住んでいた人達皆んな亡くなったって聞いたよ。かわいそうにねぇ」
間違いない、女子生徒の手によるものだ。飼っていた犬を殺したのと、同じ理由で。悪魔のような少女だ。まるで同じ人間とは思えない・・・。
……事件がおきたのは、卒業式の日だったそうだ。皆が制服で卒業式を受けている中、女子生徒だけは白いワンピースだった。どうして白いワンピースを着てきたの?と一人の生徒が彼女に聞いた。すると、彼女はこう答えたそうだ。
「卒業して皆と別れるのが、寂しいから・・・」
その後、女子生徒が式中に何も言わず外に出て行った。そして数分後、式を行っていた体育館と、校舎が燃えだした。避難に遅れた生徒は、皆亡くなったという。その数は、全校生徒の3分の2まで昇り、白いワンピースの女子生徒と同じクラスの生徒は、放火された地点に近かったため、誰も助からなかったという。体育館に放火した女子生徒の行方は、それから分かっていないらしい。
「あの・・・その卒業式は、何年頃に?」
「えっと確か・・・昭和53年くらい?」
私は、この昭和53年という年に聞き覚えがあった。東秩父の人口動態調査で、若者の数が急激に減り始めた年と、同じだったからだ。
「その頃だったかしらねぇ、神隠しの噂が広まったのは」
それじゃあ、なんだ・・・この町を過疎化に追い込んだ元凶は、その少女の神隠しだとでも言うのか。
一体、何者なんだ・・・その白いワンピースの少女は。
その時、私は思い出した。道の駅で、岳集落のことを教えてくれたあの少女が、白いワンピースを着ていたことに。
逃げなければならない。東秩父村から・・・あの少女から。
私は恐怖感に駆られ、気づけば車に乗って走り出していた。運転している間も、私の頭の中は相変わらず、あの少女の事でいっぱいになっている。私の中にある感情は、途方もない喪失感と恐怖のみ。私はせめて、本能に従い、恐怖感に身を任せる事を選んだ。喪失感が、背後から私を飲み込もうと追いかけてくる。その喪失感から逃げるように、車のスピードも徐々に上がっていった。
定峰峠にさしかかった頃だった。
「えー、寂しいよ……もういなくなっちゃうなんて」
何故かふと、道の駅であの白いワンピースを着た少女が別れ際に私に言った言葉を思い出した。その瞬間、私は恐怖感ではなく、孤独感に支配された。
「おじさん、言ったよね。仕事が終わったらまた会えるって・・・」
背後から、聞き覚えのある声がした。道の駅で出会った、あの白いワンピースの少女の声。私は恐る恐る、カーブミラーに目を移す。だが、後ろの席には誰も映っていない。
「ちゃんと見て」
私の肩を、ひんやりとした手が掴んだ。
「お前は一体・・・何なんだ」
少女は、笑顔で答えた。
「只の、さみしがり屋の女の子だよ・・・おじさんが、この町からいなくなるのは寂しい・・・だから、」
私は、この子がこの後何を言うのかを知っている。分かっている。そして、私がどんな末路を辿っていくのかも。
「辞めろ!! 言うな!!」
恐ろしくて、叫ぶことが出来なかった。
少女は、後部座席から体を乗り出し、運転をする私の手を握って言った。
「私が寂しくないように、おじさんを・・・私の心の側に」
「はっ」
気づくと、私は花畑の中心にいた。美しい青色が空を埋め尽くし、美しい赤い花が、地面を埋め尽くしていた。そして、私の足下だけ、白い花が咲いていた。
「ここは、私の好きな場所・・・天空のポピー。綺麗でしょ?」
「・・・ああ、美しいよ」
そう思ったのは、実際にその場の美しさもあるだろうが。孤独感と恐怖感から解放された影響もあるのかも知れない。私の心は、今までに無いほどの安らぎを得ている。
「おじさん、これから・・・ずっと一緒だね」
次の瞬間、少女の白いワンピースが、真っ赤に染められた。それと同時に、私の足下の白い花も、真っ赤に染められた。私はその光景を見て、一つのことに気づいた。
そうか、彼女がワンピースをきているのは、この花が赤いのは……。
そして、天空のポピーの花は、全て真っ赤に染められた。少女が殺した、彼らの血によって。
さみしい