第1話 新しい命。
妃殿下にお湯を飲ませ始めてから、3か月たった。
アグネス部長からは戻って来いという連絡もない。月に一度、あのお茶は届くが、もちろん中身は捨てて入れ替えてある。妃殿下にはいつも通りお礼の手紙を出すようにお願いしてある。
「そうね。お湯がいいというのでお湯を飲んでいます、なんて書いたら、がっかりさせてしまうものね。」
私たちは何食わぬ顔で毎日を過ごし、アーダが日勤帯の勤務の時は彼女の部屋に集まった。
もう10月も末になる。
「このままだと、王城の12月の大舞踏会まではいることになりそうね。」
「そうね。今から人の入れ替えは難しいからね。」
「あたしはこのまま王城勤務でもいいかなあ。結構忙しいし。忙しいの好きだし。ご飯おいしいしね。」
アリーナがそう言って、整えてあったベッドにダイブする。
「様子を見ようって言ったけど、アグネスさんから何の音沙汰もないのも不気味よね。」
「王城の中の情報なんて、あの人には筒抜けよ。あちこちに先輩方が目を光らせているからね。目立たないけど。」
「・・・・・」
「実はね…妃殿下は懐妊したかもしれないわ。」
「え?」
「本人は、アグネスさんのお茶を飲んでいないから生理がまた不順になったんだと思っていらっしゃるようなんだけど。」
「い、いや…本当ならおめでたいことなんだけどね…このタイミングは危険かな。」
「ピリピリしてるからね。今度の舞踏会で、側妃を紹介するんじゃないか、なんて噂もあるから。」
「妃殿下の侍女たちは?信用できる人たちなの?そんな話漏れたら…」
アーダが脱いだ侍女服に軽くブラシをあてて、ハンガーにかける。
ささっと部屋着に着替えて、椅子に座る。
「信用できると、思う。ただ、護衛は増やしたい。あと、アメリー、食事に気を付けてあげて。」
「それはもちろん!」
そうだな。アーダの誘拐事件も人を雇った可能性がある。身代わりになる死体の準備とか?顔は別として…髪色や年齢や体格まで二人分用意したとしたら?かなりの計画犯だ。
「そうねえ。ただ、アグネスさんが王家に絶大な信頼がある以上、詳しい話はできないし…。」
「現王も前王も、あの人の事大好きだからね。下手打つとこっちが処分されるわね。」
「・・・・・」
*****
11月初めにしては暖かな昼下がり、探していた後姿を見つけた。
銀髪がまぶしい。
少し離れて、後ろを歩く。
「リーン様、そのまま大回廊まで進んでください。」
「・・・・・」
歩幅で4歩ぐらいか。
傍から見たら、たまたま同じ方向に歩いているようにしか見えないだろう。
「お願いがございます。」
「へえ。珍しいね。いいよ。この前カードで負けたしね。」
王城に入る前に、この方の部屋の模様替えは済ませた。まだ、初夏だったから。
背中に向かって話しかける。
「ああ。冬の模様替えは伺えそうにないので、執事さんとやって下さい。」
「・・・・・」
「妃殿下の護衛を増やしてください。」
「え?」
「あなたしか頼めそうな人がいないんです。理由は言えません。」
「・・・まあ、それくらいなら。変な噂も出ていることだしね。」
「それから…これはご自分の判断だと言ってください。それと、アグネスさんの耳に入れたくありません。」
「え?」
「詳しくは後ほど。今は言えません。」
「・・・・・」
リーンハルトが振り返ると、もう侍女はいなかった。
*****
「うふふっ。」
妃殿下が大きくなってきたお腹を撫でながら微笑む。喜びがこぼれているようだ。
侍女たちも一安心している。表情に余裕が出てきた。もう妊娠5か月。
ここ4か月の間、ようやく授かったお子を守ろうと、侍女は2人体制で24時間妃殿下についた。2人だった護衛は5名に増員された。もちろん、口の堅い信頼のおける者を配してもらった。
つわりがひどい頃から、アメリーが控室のキッチンで食事を作った。原材料も彼女が厳選した。
12月の大舞踏会で妃を伴わずに現れた陛下が発表したのは、側妃ではなく、妃殿下の懐妊だった。
国中、沸きに沸いた。
長いことお子ができなかった妃殿下にお子ができたことは、庶民の、その子供まで知るところとなった。もちろん、アリーナの仕事場の洗濯場ではその話でもちきりだ。
「お湯が効いたのかしらね?」
「体を温めるのがいいんじゃないのかい?」
「男の子かな?女の子かな?」
国内外からお祝いが届いたが、妃殿下の部屋には運び込まなかった。陛下に事務官を派遣してもらって、開封して、礼状も出してもらった。何かあってからでは遅いから。
面会も、陛下と妃殿下の両親以外は立ち入り禁止にした。
厳重すぎないか?と言われたが、侍女頭が頑として聞き入れなかった。
妃殿下を害するものは、人でも物でも、情報でも…遮断する覚悟だった。
アグネスメイド派遣協会からは、契約満了の知らせが何度か来ていたようだが、妃殿下がその都度、延長を申し出て下さった。
3月。春めいてきたころ、妃殿下は中庭を散歩するようになった。少し体力をつけておきましょうという女医の進言だ。動くことはいい。ただ、護衛範囲が広がってしまうな。
ちょうどその頃、アグネスから直接お祝いに伺いたいと知らせが来た。
陛下と妃殿下は喜んだが…。
「いろいろとお世話になったでしょう?アグネスもとても喜んでくれてね。」
「・・・・・」
中庭に用意した椅子に座って、妃殿下がゆっくりとお湯を飲んでいる。
来週の火曜日の午後。