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首都憲兵本部から閲兵広場を挟んだところに——

 首都憲兵本部から閲兵広場を挟んだところに、もうじき完成する劇場がある。着工したときは王太子記念劇場と呼ばれていたが、現在は共和国劇場に名を変えた。

 カラヴァッジョ大佐の部屋からは劇場のまわりに組んだ足場のなかで石工やブリキ職人たちが見えた。彼らは凍りついたように動かなかった。もう、ツルハシをふりまわすような作業はなく、いま必要なのは指先を精密機械のように使う仕上げ作業だったのだ。

 内線電話がかかってきたので、取ってみる。

「サデーロ大臣がお見えです」

「通してくれ」

 カラヴァッジョ大佐は樹脂製の杖を手にして左半身を支えながら、立ち上がった。沙国での銃撃事件で、彼の左半身には麻痺が残っていた。まさか、大臣相手に座ったまま、大司教が平の信徒にするように手を差し出すわけにもいかなかった。

 大臣は機嫌が良いようだった。一年前、大臣はこの部屋でカラヴァッジョ大佐の〈経済犯罪摘発隊〉の結成に力を貸したのだ。憲兵捜査部に雇用される会計士たちからなるこの部隊はあらゆる銀行にある〈叔父〉の資金を洗いざらい調べ上げ、資金洗浄や不正送金を網の目から引きずり出してきた。生まれたばかりの共和国は〈叔父〉たちを殺人や強盗で挙げたがったが、結果を出したのはカラヴァッジョ大佐の部隊だった。内戦や建国戦争期を除けば、カラヴァッジョは史上最も若い憲兵大佐であり、史上最も〈叔父〉を摘発した捜査官だった。

「大佐。調子はどうだね?」

 カラヴァッジョは握手を返した。

「上々です。今日はどのような御用で?」

 大臣は勧められた椅子に座る代わりに閲兵広場に面した窓のあたりをうろうろ歩いた。大臣はいつも勧められた椅子を断り、うろうろ歩きながら話すことで有名だった。

「大佐。きみはどこまでやる気なのかね?」

「部隊のことですか?」

「一年で相当の戦果を挙げた。〈叔父〉は死にかけで、新興の犯罪組織もそれなりの損失を被っている。それに汚職政治家と違法な銀行家たちも挙げた」

「それでもまだ足りません。わたしが部隊を解散させれば、また元通りです」

 そうじゃないんだ、と、大臣は銃を突き付けられたみたいに両手を挙げた。この上下に狭く、左右に広い額をした大臣は鷲鼻を中心にどんなときにもひるまない自信家の笑みで武装し、あきらめることを知らない闘士だった。まだ四十代ではあるが、政治家としての野心はなかなか強く、五十歳になる前に大統領になることを夢見ていて、その野心がカラヴァッジョ大佐の経済犯罪専門部隊の設立に力を貸す理由になったのだ。

「誤解しないでくれ」大臣はスタスタ歩きながら言った。「この部隊を解散させるつもりは毛頭ない。むしろ、永続的な組織にすべきだと思っているくらいだ。ただ、それをきみがいつまでも率いる必要はあるのかってことだ」

「お話が見えませんが」

「国会議員に立候補するつもりはないかね?」

「せっかくですが、憲兵が性に合っているんです。捜査される側よりはする側にいたいものですし」

「捜査されるくらいの甲斐性がなければ、男とは言えないぞ。それにきみの知名度と人気はきみが想像しているよりも大きいんだ。内陸の田舎のお守り描きはきみの姿を犯罪除けのお守りにしているくらいなんだ。これを利用しないのはもったいない」

「急進党は現在、単独与党じゃないですか」

「そうだ。ただ、有権者というのは飽きる。それに、何かの拍子に、王国まえのほうが良かったと言いかねない」

「そうならないために〈叔父〉を徹底的に叩くんです。わたしがまだ中尉だったころ、人びとは〈叔父〉という言葉を口にすることすら恐れました。それが、四年経過した今では誰もが〈叔父〉の支配から解き放たれようと口にする。これこそ共和制のもたらした最大の成果だと思っています」

 わかった、わかった、と大臣は大袈裟に手を挙げた。

「きみは〈叔父〉のことに関してはロマンチックになるな。確かに政治家なんて、どいつもこいつもクソッタレに見えるかもしれない。だが、ある勢力を徹底的に破滅に追い込むなら、政治家が一番なんだ。じゃあ、気が変わったら、いつでも電話してくれ」

 大臣が帰ると、カラヴァッジョは杖を突きながら歩いて、経済犯罪摘発隊の事務室に入った。大きな細長い部屋に会計士の資格を持つ捜査官が三十人以上、あらゆる資金の動きを追っていた。数百以上のペーパーカンパニーのカモフラージュを打ち破り、農村を本拠地にする〈叔父〉にまでたどり着く作業は常人ではなしえないことだ。

 そして、カラヴァッジョを苦しめるのは、彼ら全員よりもコンツェッタ・サリエリひとりのほうが優れているということだ。

 彼の原罪であり、永遠の罰である女性の名前は彼を悲痛なほど激しく突き動かし、彼に、この世の悪は全て撃滅できるという幻想を見せてくれた。

 何人かの捜査官の報告を受け、デスクにつくと、〈片目〉を逮捕するのに十分な証拠が集まったため、早急に逮捕状を請求することになった。有罪になれば、懲役十年は固い。

 いくつか追加で指示を与え、電話で装甲車を一台、護衛につかせると、カラヴァッジョ大佐は扉が開きっぱなしになっている隣の部屋から声がきこえてくるのに気がついた。

「古王国でも新共和国でも政治家は政治家です。椅子を守るのには金がかかりますよ」

「共和国にもいいところはある。自分を改革派と売り込めば、有権者は自然と票を入れてくれる」

「最近は有権者たちも改革に飽きていますよ。もう、革命もネタが切れちゃってます。国王一家が共和国から年金をもらってることのおかしさに最近、気づき始めています」

「いざとなったら、叩き出してやればいい」

「結局、有権者は自分たちの選挙区にうまい話を落としてくれる候補に投票します」

「なあ、きみ。わしはもう何十年もかけて、あの荒野に落とせるものは全部落としてやった。道路も鉄道も、美術館もだ。住民の半分以上が自分の名前も書けないあの土地にな。もう、落としてやれるものはないよ」

「ダムがあるじゃないですか。実はあるコンクリート業者と知り合いまして。あの土地にダムをつくって――」

「だめだ。あそこの水は〈叔父〉が支配している」

「ですが、閣下。〈叔父〉など、もう風前の灯ですよ」

「まったく。一年前までは〈叔父〉のことを大っぴらに話すこともできなかった。それが、今じゃあ、きみみたいな書記官が〈叔父〉など簡単にあしらえると言うのだからな。わしは議会で、大勢が見ている前で、ある〈叔父〉がフランチェスコ・ベリーニを平手打ちしたのを見たことがある。あのベリーニをだぞ? あの時代のベリーニはまさに怖いものなどなかった。在野で内閣をぶち壊したことは何度あったか分からない。誰もが恐れたあのベリーニを大勢が見ている前で頬をぶん殴った。これが他の相手なら、ベリーニは手袋を顔に投げつけて、決闘を挑んだだろう。だが、相手は〈叔父〉だ。ベリーニはただ、馬鹿みたいにへらへら笑いながら、引き下がるしかなかった」

「でも、それはもう三十年以上前の話じゃないですか」

「きみはベリーニではないのに、〈叔父〉など大したことはないという。いいか? 〈叔父〉になるってことは人生ががらりと変わるということだ。そして、人生をがらりと変える出来事に出くわした人間はなんだってやれる。口の達者な書記官の舌を切って、尻の穴に突っ込むことだってできる」

「そんな、閣下。あまり脅かさないでくださいよ」

「風前の灯だって、まわりにガソリンがまいてあれば、大火事になるんだ」

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