番外編 皇妃候補、マリエラ以外にもいた件について
マリエラは怒っていた。
王国へのあいさつも終わり、宮廷に戻ってきた時のことだ。
「アンセム様、こちらに絵姿をご用意しております」
「ああ」
「どうぞ、よしなにご検討いただきますよう」
そう平伏する男が、去り際に憎々しげにマリエラをにらんでいった。マリエラはあまり宮廷の人に好かれていないが、こんなにあからさまに嫌われることも少ないので、気になってアンセムに聞いた。
「アンセム、それ、何?」
「ああ、いや、マリエラはしらなくていいことだから」
「なによ、余計気になるじゃない」
マリエラが無理やりにでも見てやろうと手を伸ばそうとすると、アンセムが突然思い出したように、パンと両手を叩いた。
「ああ、そうだ! 錬金術師の実験棟について、魔塔と打ち合わせをしないといけないんだ。マリエラも気になるだろう」
「そうね、それは大事よ。でも…」
「そうそう、研究第一のマリエラには一番、それが大切なはずだ。ほかのことなんて気にしなくていいんだから」
マリエラは話題をそらされたように感じたが、研究が一番大事であることには違いがない。そのため、錬金術師の実験棟の話に一旦のって、しばらくそのことについては忘れていた。
思い出したのは、数日後、宮廷内で一人の女と出くわした時だ。
「あなたが、マリエラ・ルネサンス? ずいぶん貧相ね」
扇を持った着飾った女がマリエラの前に立っていた。マリエラは昨日、ゴーレムの実験で徹夜して、顔色が最悪だった。服装だって、実験に適した普段着で、昨日から着替えていない、よれた服だった。
しかしマリエラに言わせれば、どうせ実験で汚れるのに、きれいな服を毎日着る必要はないだろうと思う。意味もなく着飾る帝国の女性のほうが、マリエラにとっては意味不明だった。夜会だとか、公式の場にでるならともかく、である。
「皇妃が決まったわけでもないのに、皇帝のそばに侍るなんて、恥知らずよね」
「決まったわけでもない…?」
「あら、もしかして帝国の皇妃決定手順をご存じなかったの?」
心底あきれたという顔で女は懇切丁寧にマリエラにルルベルナ帝国における皇妃決定の手順を説明した。
まず、帝国の各領地から、ふさわしい年齢の女性が選ばれ(その中に外国の貴族女性が入ることもある)絵姿の選定や、貴族の推薦等の手順を踏んで、3人にまで絞られ、その3人が公平な試験によりふるいにかけられ、皇妃が決まるのだという。ほかの2人はよくて側妃となる。
「どんなに皇帝の寵が深かったとしても、皇帝の意思で決められるのは3人の中に入れることだけ。あなたが皇妃に決まったわけではないの」
そのあとも女はいろいろと話していたが、マリエラの耳にはほとんど入ってこなかった。
王国では国王の意思一つで王妃が決まるので、帝国も同じだとマリエラは思いこんでいた。だから、帝国では手順が違うことは思いもよらなかったのだ。
マリエラはすぐにアンセムのところへ駆け込んだ。
「どういうこと!?」
「マリエラ、落ち着いて」
「落ち着けるわけないじゃないの!」
マリエラは、アンセムの唯一の妃になるつもりでいた。それが彼女の常識の中では当然だったからだ。そのようにふるまっていたし、アンセムもそんなマリエラの行動をゆるしていたので、問題ないと思っていた。
それが、前提から違うと聞いて、マリエラは軽くパニックになっていた。
皇妃として、公にそばにいるのがマリエラではないのは、許せないと思う。なんのためにマリエラそっくりのゴーレムを研究していると思っているのだ。ほかの人間が皇妃になるのなら、マリエラがいくら研究していてももんだいないのだから、ゴーレムなんていなくてもいいのだ。
そう思うと、意外と悪くない? いや、やはりほかの女がアンセムの隣にいることは許せないとマリエラは思う。
大体、皇妃としてきた女に優しいアンセムが同情しないとは限らないではないか。
「マリエラ、君以外に妃なんて、考えたこともないよ。だから、余計なことは知らなくていいと思って、教えなかったんだ」
「余計なことなんかじゃないでしょう。ほかの候補を選ばないわけにいかないんだから。今回の功臣である公爵の娘とか、候補になるだけで名誉だから、必ず3人は選ぶんだって、あの女が!」
「わかった。説明するよ。だから落ち着いて、ね」
「おちつけるか!」
「マリエラ、まあ、お茶でも飲んで」
「イーダンは黙っててよ」
「アンセム様はずいぶんこの件には心を砕いていました。話くらい聞いてあげてください」
イーダンは、さあといって、ティーセットが用意された席にマリエラを促した。イライラは止まらなかったが、話くらいと思って、気持ちを抑えて席についた。
「まず、3人はすでに決まっている。公爵家の娘とそれから侯爵の娘、そしてマリエラ、君だ。ただ、他の2人は最終の選考で辞退する」
「辞退?」
「そういう約束で選んでるんだ。
「でも、約束なんて、結局破られるかもわからないじゃない」
「そうなったら、もう大暴れしてくれてかまわないから。その時は僕も黙ってないよ」
「僕は、両親を見ていて、妻にするなら、たった一人、本当に一緒になりたい人だけを選ぶって決めていたんだ。リンドールのこともある。絶対に側妃はおかない」
アンセムははっきりと言い切った。
アンセムの父親、前皇帝は皇妃とは別の人、アンセムの母を誰よりも愛した。そして、愛のない夫婦だった皇妃は別の男の子を皇帝の子と偽って、皇帝にしようとした。
そういった背景があり、アンセムは一人だけを選びたいと思っているのだった。
「大体、何で私は怒ってるのに、あなたはうれしそうなの?」
「え? マリエラがそんなに怒るってことは、僕のことを考えてくれてるってことだろう。最近、研究ばかりで、ろくに会ってもいなかったから、うれしくて」
「研究ばかりって、なんのための研究だと思って…!」
「皇妃になるため、だよね。わかってる」
マリエラがいくら怒っても、アンセムは怒っているマリエラを楽しんでさえいるようだった。
イーダンに出されたお茶とお菓子を食べているうちに、マリエラはだんだんと怒っているのもばからしくなった。怒ってもつうじていないのだから、怒っても意味はないのかもしれない。
「これで、辞退しなかったら、本当に怒るからね」
「いいよ。一緒に大暴れしよう」
いつの間にかイーダンが部屋からいなくなっていて、アンセムはマリエラのすぐ隣に肩を抱いて座っている。探るようになだめるように、アンセムがマリエラの髪に口づけた。
マリエラが背の高いアンセムの顔を見上げると、美しく弧を描いた唇が、上から降ってきた。
皇妃候補発表の日、はたして、マリエラ以外の2人は3人の候補に残ったと発表されたその場で辞退したという。
※※※
マリエラは珍しく着飾っていた。皇妃と決まったことを国民に発表する日だからだ。白いマーメイドラインのドレスの上に、マリエラの頭の高い位置で結われた長い金髪が流れる。大きな宝石を中心に細かな宝石がちりばめられたティアラと首からデコルテにまで広がる鎖状のネックレスが重い。
「こういうのこそ、ゴーレムに任せたいのに」
マリエラは窮屈な衣装に眉をひそめた。
マリエラのゴーレムの開発は進んでいたが、まだ容姿を完全にまねるところまでしかできていない。受け答えや、スムーズな動きが不可能なため、マリエラが聞かざるしかなかった。数日前から準備のために肌の手入れやらなにやらで時間をとられていて、マリエラは不満だった。
「そう? こんなマリエラの姿を見られて、僕は幸せだけど」
「こんなって?」
「きれいだよ。天使みたいだ」
マリエラはアンセムをまじまじと見つめる。アンセムの方こそいつもより着飾っている。普段から皇帝の権威を損ねないようにと身だしなみは完ぺきに整えられているが、今日は格別にきらきらしている。装飾的な刺繍が華やかな肩にかける布や、洋服にちりばめられた宝石のせいだけではないように思って、マリエラは不思議に思った。
「あなたも、なんだかいつもと違うわ」
「そうかな。幸せだからじゃない?」
「ふうん。ま、当然ね。私が隣にいてあげるんだから、幸せじゃなくっちゃ」
マリエラが自信満々に胸をはるのを見て、アンセムは特別幸せそうに笑い、恭しく右手を差し出した。
「さ、時間だ。行こうか」
マリエラはその手を握って、お披露目のテラスにつながる階段を上った。
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