対峙する2人、それから
リンドールは煤が頬についているが、見たところどこも悪そうには見えない。
マリエラはアンセムのところへ戻ろうとして、左腕をリンドールに捕まれた。思っていたよりも近くに来ていたようだ。
「離してよ」
マリエラが嫌がり、手を振り払おうとするのと同時に、マリエラのすぐ近くに大きな影ができた。
「マリエラを離せ」
すぐ近くに来ていたアンセムの手がリンドールの腕をつかむ。強い力で、リンドールはすぐに手を離した。
「何をするか無礼者! おい、こいつを捕まえろ」
周りには徐々に人が集まり、ほとんど人だかりになっている。これではすぐに逃げ出すことはできないとマリエラは思った。
リンドールの捕まえろという声に、従おうと数人が動き出した。アンセムがその数人をにらみつける。
「すこし留守にしただけで忘れたか。僕をとらえられる者がいるわけがないというのに」
「なんだ、その生意気な言い方は、そんな高貴なものは、ここには、もう母上以外…」
リンドールはまさか、という顔をして、その時初めてアンセムの顔を確認して、悲鳴のような声を上げた。
「アンセム!」
「兄上、お久しぶりですね。いや、もう兄と呼ぶことも適当ではないのか。兄上は父上の血を引いていないのだから」
アンセムは話しながら、マリエラをそっと自分より後ろに誘導する。アンセムをとらえようとした数人は、アンセムが第二皇子アンセムだと気づき、手を出すのを辞めた。
すぐそばにはクルスもいた。クルスは周りを見回して、逃げる隙をうかがっているようだ。
「何を戯言をいっている。おい、お前ら、早くこいつらを捕まえろ。皇太子の命令だぞ! 聞けないのか!」
「聞く必要はない。なぜならリンドールは皇太子ではない。そもそも皇族ではない」
アンセムはことさら声を大きく張り上げた。逃げてきた全員に聞こえるように、はっきり、ゆっくりと腹から声を出す。
「これが、証拠だ」
アンセムが胸元からロケットを取り出し、起動部に手を触れた。途端に、亡くなった皇帝の声が庭に響きわたる。最初のうちはなんだなんだとざわついていた人々も、そのロケットから出てくる声を聴こうと、静かになり、肝心の部分は全員の耳に届いた。
「…リンドールは私の子ではない。アンセム、皇帝になる資格があるのは、この国でお前だけだ」
その声を聴き終わるやいなや、ひそひそ声がざわざわとアンセムがいる近くから遠くへ順に広がっていく。
「これって皇帝陛下のお声よね。おそばで仕えていたんだもの、間違いないわ」
「たしかにアンセム皇子殿下には陛下の面影があるが、リンドール殿下はまるで似ていらっしゃらない」
「おかしいと思ってたんだ。だって皇妃と皇帝の仲がよかったことなんて、一度もなかったじゃないか」
「ということは、だ、もしかすると皇帝陛下の体調不良も…」
周囲のリンドールを見る目が明らかに変わった。疑念と不信がこもった視線がリンドールに集中する。
そのような目で見られたことのないリンドールは、その目を恐れるように下を向き、細い声で叫んだ。
「嘘だ、それは、捏造された、まやかしだ!」
「そうでしょうか、どちらにせよ調べてみればわかること。親子関係が調べられる魔術もありますからね。さあ、捕らえろ。皇帝の子を騙り、全国民を謀った罪は重い」
アンセムの声に従って、周囲の男たちがリンドールを拘束した。
「やめろ! 俺をだれだと思ってる! 皇帝になる男だぞ!」
リンドールは地面に押し付けられても尚も叫び続けている。
マリエラはそれを見て、ようやく一息付くことができた。つかまれていた腕をさすり、何ともなっていないことを確認する。
そこで、マリエラの周りで浮遊していたホムンクルスのアイが、マリエラの近くに飛んできて知らせる。
『マスター、あそこ、あの女がいます』
『そうね。私も気になってたの』
アンセムからは死角になるところに、女が立っているのが見える。皇妃だ。
なぜマリエラが気が付いたかといえば、自分だったら、この状況で絶対に行動を起こすと思っていたからだ。案の定、皇妃は姿を現した。そして、皇妃は扇を手に持っていた。
マリエラは目を凝らす。すると、扇の一部が外れ、鋭利な刃物が出てくるのが見えた。皇妃は扇に偽装した鋭利なナイフを両手で握りしめ、一歩一歩、アンセムに近づこうとしていた。
「アンセム、危ない!!」
マリエラはとっさに飛び出して、アンセムを突き飛ばした。
そして、腕にはめていた魔道具を皇妃に向けて投げる。投げたのは、拘束ができる腕輪だ。腕輪は紐のように伸びて、ナイフを持った皇妃をがんじがらめにした。バランスを崩した皇妃はその場に倒れこんだ。
「何、なんなの。これは…!」
動けば動くほど締め付ける魔道具から、皇妃は逃れることができない。
「よかった」
マリエラはそのままへたり込んでしまう。体に力が入らなくなっていた。魔道具は基本的に中に仕込んだ魔石の魔力を借りて発動するが、一番最初のきっかけに、使用者本人の魔力を使うことになる。
マリエラの魔力は通常の人よりも少ない。にも関わらず、今日はゴーレムを作ったり、脚力強化の魔道具を使ったり、メームの首飾りも起動させた。そのため、魔力がもうほとんど残っていなかったのだ。
「マリエラ!」
そんなことは知らないアンセムとクルスが心配そうにマリエラを見る。マリエラの身体は徐々に力を失い、アンセムの腕に倒れこむ形になった。
「安心して、ただの魔力切れだから。ね、アンセム、起きたら話したいことが…」
マリエラはそのまま気を失った。
建物につけられた火は、徐々に勢いを失い、やがて消えた。
※※※
マリエラが目を覚ましたのはふかふかのベッドの上だった。見覚えのない部屋だと思う。体を起こそうとして右手を誰かが握っていることに気づいた。
「アンセム」
「よかった。目が覚めて。もう起きないかと気が気じゃなかった」
アンセムは握りしめたマリエラの手の甲に、すがるようにキスをした。マリエラはくすぐったいと思って、その手を離す。
「ただの魔力切れで大げさよ」
すっかり魔力は回復して、よく寝たので気分も良かった。時間は朝のようだ。明るい日が窓から入ってきている。
マリエラは大きく伸びをした。そして寝台から降りてストレッチをする。
「そうだ、あれからどうなったの? リンドールと皇妃は?」
「2人は牢獄にいるよ。あれからすぐに魔法で父上との親子関係を調べて、親子関係がないことが証明された。これから裁判にかけられて、刑が確定する」
裁判の結果を待つまでもなく、有罪になるだろうことはマリエラにも分かった。皇族の身分を偽ることは重罪だ。死罪か、よくて流罪だろう。もうアンセムの命を脅かす人はこの宮廷にいない。そう思うと、マリエラはようやく安心できるきがした。
「イーダンたちは、まだ?」
「ああ、公爵軍は今日の午後、到着する予定だ。もうリンドールは捕らえたから、半分は公爵領に戻るようだが、公爵やその側近がイーダンとランドと一緒に来るよ。そうだ、君の先輩のエマジオもいるといってた」
「そうなのね、来たら会いたいわ」
「それがいい、みんな心配していたから、顔を見られれば安心するよ」
離れていたのは少しの間だったが、マリエラは懐かしく思い出していた。
アンセムは水差しから、コップに水を継いで、マリエラに差し出す。マリエラはそれを一息に半分飲んでしまった。とても喉が渇いていたのだ。
「食事もあるけど、その前に、聞いておきたいことがあって、いいかな」
アンセムは長椅子に先に腰かけて、マリエラにも座るように促した。
「ええ、私も話したいことがあるから」
「マリエラ、倒れる前に言っていた、言いたかったこと、どんなことだったか聞かせてくれる?」
マリエラはうなずいた。マリエラが話しておきたいと思ったことも、同じだったからだ。自分がなぜ皇妃になりたくないと言ったか、というところから説明を始めた。錬金術師である自分を捨てたくないこと、皇妃になったからといって、皇妃の仕事ができるとは思えないこと、そして自分ができない仕事を肩代わりするゴーレムを作ろうと思っていることだ。
「それじゃあ皇妃になってくれるの?」
「なりたいわけじゃないけど、あなたが皇帝になるのなら、私以上に皇妃にふさわしい人間なんていないもの。一緒にいることの方が大切だから、しょうがないわ」
「はは、しょうがないか。そうだね。僕も努力するよ、マリエラが皇妃でいてもいいと思えるように」
「いいの。アンセムも長く皇帝でいるつもりはないんでしょう。少しくらいなら多少嫌なことでも我慢するわ。ね、いつか一緒にまた旅をしましょう。何にも心配がなくなってから、イーダンと、クルスと、ランドと一緒に、今度は行く当てのない旅」
「そうしよう」
マリエラはアンセムを改めて見つめた。こんなにじっくり見るのは、公爵邸でアンセムが走り去ってしまった時、感情が制御できなくて、泣いてしまった時以来だ。
今のアンセムは落ち着いている。でもよく見ると、目元が赤い、再会したのはつい昨日のことだ。マリエラが気を失っている間も、アンセムは忙しくしていたからだ。
マリエラはアンセムの目元に親指を這わせ、形を確かめるように、頬、顎、そして唇へと指を這わせていく。
するとアンセムの頬全体が、少しずつ桃色に染まっていく。
「マリエラ」
「ふふ、赤くなっちゃって」
マリエラは笑う。笑って話す息がアンセムの頬にかかり、やがて、2人は唇を合わせた。
※※※
アンセムが宮廷に帰ってきてから、2週間が経過した。
マリエラが旅の格好をして、宮廷の外にでようとしていたところで、ランドと行き会った。
「マリエラ! どうしたんだ。どっか行くのか?」
「そういうランドこそ、旅支度をして、どうしたの?」
ランドとは何度か会っていたが、旅に出る話はお互いにしていなかった。
「俺は最初から冬になるときには帰る契約だったからな。湿っぽくなるのはごめんだから、さくっと故郷に帰るつもりだったんだ」
「そうなの? 故郷に帰って、もう来ないつもり?」
「いいや、子どもたちを養うには俺が出稼ぎしなきゃなんないからな。冬の間は男手がいたほうがいいから帰ってるんだ。また春になれば来る。アンセムが仕事を約束したからな」
マリエラはこれまで知らなかったが、ランドには故郷に残している子どもが5人いて、普段は親戚に預けて出稼ぎに出ているのだという。
「全然知らなかったわ」
「言ってなかったからな。で、マリエラはどうしてこんなところにいるんだ?」
「私もミストリア王国に帰らないといけないのよ。延期してたけど、研究の発表があるから。でも帝国の人には内緒で出てきてるから、ランド、黙っててね」
「秘密ってアンセムにもか? おいおい、婚約者だろう。俺だって一応アンセムには挨拶してきたぞ」
「そうだけど、なんだか面倒なのよ。皇帝の婚約者は外国に行くのに手続きがどうとかなんとか。国には残してきた研究もあるし、なんにしても一回帰らないといけないから。大丈夫よ。心配しないでって書置きは残したから」
「相変わらずだな」
ランドがマリエラの変わらない姿に苦笑する。
「とにかく、そういうことなら途中まで一緒だな。アンセムが用意してくれた馬車がある、お前ものるか?」
「いいの? お邪魔するわね」
ランドの故郷は北にある、西にあるミストリア王国へは街道を半日行ったら分かれ道だ。そこまでは一緒に行こうと言ってくれている。
皇帝が用意した最高級の馬車だから、中にも余裕があった。6人くらいは乗れそうな車内だ。子どもに渡すためだろう、土産の袋があるだけで、広い車内だった。
出発しようと御者にランドが声をかけたところ、馬車の後方、宮廷の方角から、声がした。
「その馬車、待った!」
その声をきいて、マリエラとランドは顔を見合わせた。聞き覚えのある声だったからだ。声の主はすぐに追いついて、馬車のドアを開けた。
「もう、マリエラったら、勝手に行動しちゃだめだって言ってるだろう」
クルスだ。今日は男装をしている。しかし、クルスだけではなかった。クルスの後ろからまた一人乗り込んでくる。
「まったく、あなたは、せめて連絡はこまめに取りなさいといつもいっているのに」
続いたのはイーダンだ。
「マリエラらしいといえば、らしいんだけどね」
最後に入ってきたのは、なんと、アンセムだった。
「あ、アンセム!?」
「おいおい、皇帝陛下が出かけていいのかよ」
クルスとイーダンは、なんだ、マリエラが出かけることがばれて、心配したアンセムが追わせたのだろうと、マリエラもランドも半ば予想したこととして受け入れたのだが、アンセム自身の登場は二人にとっても予想外だった。
「まだ即位式前だから皇帝じゃないよ。とはいえ、これは公式の日程だ。マリエラが帰国したがってるのは知っていたから、いろいろと根回しをして、実現したんだ。どちらにしろ、結婚のあいさつにいかないといけなかったしね」
「あいさつって、そんなの、逆に呼びつければいいのよ。皇帝なんだから」
「そうはいかないよ。公爵領から首都に行くときには支援もしてもらった。そのお礼もしないといけないから、っていう建前がちゃんとある。建前さえあれば、意外となんとかなるものだね」
そういうアンセムは楽しそうだ。服装も皇帝には見えない、庶民の服を着ている。
「護衛とか必要じゃないの?」
「もちろんついてきてるよ、この馬車の前にも、後ろにも。ただ、目立ってもよくないからね。体としてはお忍びだ」
「もう、それなら早く言ってよね。アイに幻影作ってもらったのが無駄になったじゃない」
『アイはばれずに行けると思っていたマスターにびっくりですけどね』
アイがいつの間にか、イヤリングの形から、小さな人の形になって、困った人と言いたげに首をかしげている。
「まあ、いいわ。一緒に行けるなら、その方が楽しいもの」
「マリエラ、とにかく、アンセム様に迷惑をかけないように、報告・連絡・相談、これだけは徹底してくださいね」
「あら、イーダン、ずいぶんな口のききようじゃない? 私だって皇妃になるんだから、様つけで呼んでくれていいのよ」
「う…それは…」
「マリエラ、やめてあげなよ。イーダン真面目に悩んじゃうんだからさ」
馬車は笑い声と一緒にゆっくりと進み始めた。




