アンセム、走り去る
マリエラはエマジオを中庭の真ん中に引っ張っていった。
中庭には季節の花が咲き乱れていたが、一切目をくれず、庭の真ん中まで引っ張っていく。
「そこで、じっとしててください」
「放置プレイだね、ごちそうさまです」
エマジオは恍惚とした笑顔で、庭の真ん中に言いつけ通り立っている。マリエラはまず国王陛下からの手紙を読むことにして、ガゼボの椅子に腰かけた。
手紙はマリエラの状況を心配することから始まり、今の王国の状況等が事細かに書かれていた。マリエラは国際情勢などは読み流し、肝心のマリエラの話への返事の部分を探す。
「なんですって?」
「なんて書いてあるの?」
「『マリエラが連れてくるのは、アンセム皇子で間違いないのか。リンドール皇子ではないか』ですって」
「ああ、それね。マリエラあてにリンドール皇子からの縁談が来てたから、てっきり帝国でリンドール皇子と会うことでもあったんじゃないかって話になっててさ。そこにマリエラが別の皇子を連れて行ってもいいかって話をしたものだから、みんな混乱したみたいだよ」
「縁談、初耳だわ。もちろん断ったのよね」
「いや、なんだか向こうが乗り気みたいでさ。本人いないのに断るのも角が立つしね。どっちにしろ聖女って肩書にひかれてるだけだろうから、実物見たら幻滅するだろうって、放置してたみたい」
マリエラは頭を抱えた。確かにエマジオのいうことはもっともで、実際、以前に縁談もあったが、エマジオがいった通りの理由で断られていた。しかし、今回も同じようにいくだろうか。
相手は悪評ばかりのリンドールだ。マリエラのどこを気に入ったかしらないが、ただ断るのも難しそうだと思う。
「乗り気って、冗談じゃないわ。私は皇妃になるつもりないの」
「そうだよね、研究命のマリエラが、そんな面倒なことに時間使うわけないもんね」
マリエラの研究姿勢は、魔塔の仲間なら、みんな知っている。だからこそ、マリエラの今回の行動には疑問があった。エマジオはその疑問をマリエラにぶつけた。
「そういえば、マリエラはなんでアンセム皇子と一緒にいるの? ここに来て知ったけど、彼はリンドール皇子と対立してるみたいじゃない。アンセム皇子も皇帝になる可能性があるってことは、マリエラも皇妃になりたくて一緒にいるんじゃないかって思う人もいたみたいだよ」
「べつにそんなつもりないわ。私がアンセムと一緒にいたのは、メームの日記の研究で、たまたま行き先が一緒だっただけで…」
「でも、それなら、ミストリア王国まで連れてこなくたっていいんじゃない。メームの研究はルルベルナ帝国でしかできないんだから」
「そうだけど、帝国にアンセムを残していくってことは、アンセムを見殺しにすることじゃない」
マリエラがそう答えると、エマジオはふうんと自分の顎を右手でなでた。少し首をかしげて、うんうんとうなずく。
「なるほど、そういうことか」
「何勝手になっとくしてるの? そういうことって?」
マリエラがエマジオに詰め寄る。ほとんどぶつかりそうに近かった。
エマジオはマリエラの肩を両手で支えて、押しとどめるようにした。
「うーん、なんといえばいいのかな。マリエラにだけはありえないと思っていたけど、ありえないなんてないのかなって」
「何よ変な言い方して、教えなさいよ」
「あ、やっと調子出てきたね。もっと高圧的に、足蹴にしながらもう一回」
「いやよ面倒だわ」
変態の要求にこたえているとキリがないため、マリエラは断った。
そんな話をしていたところ、マリエラたちが出てきた建物から、アンセムが走って出てくる。
「マリエラ!」
「アンセム、どうしたの。そんなに急いで」
息を切らしたアンセムが走って中庭に来た。マリエラは何かあったのかと驚いて走り寄る。もともと体を鍛えているアンセムが息を切らすことは珍しい。よほど急いできたのだろう。後ろから、クルスがついてきていたが、距離がずいぶん離れていた。
「マリエラが、男に引っ張っていかれたって聞いて…」
「どっちかっていうと引っ張られてたのぼくだよね」
「そうね、何にしろ無事だから、安心して」
エマジオがマリエラたちに近づこうとすると、アンセムがマリエラの前にさえぎるように立った。
「それで、この人は?」
「ああ、そうね。私もこんなところで会うとおもわなかったから。この人はエマジオ、魔塔での先輩よ」
「エマジオです、公爵様からの依頼で本日より公爵領に滞在しています」
エマジオはマリエラに対する態度とはガラッと態度を変えて、アンセムに対して正式な礼をした。他国の貴人に対する態度だ。
「公爵からの依頼?」
「ええ、こちらに王国の人間がくるので、帰国を手伝ってほしいとの仰せでした。公爵様は事前にマリエラがくることがわかっていたようですね」
「そういうことなら、公爵からも聞いた。事前に里の長から内々の打診があり、準備を進めていたとだけ」
「それと、他にも話したいことがあるということでした。まだ直接はうかがっていませんが、重要な話でしょうから、魔塔主代理の私がくることになりました」
「大体察しはつく」
アンセムが苦虫をかみつぶしたような顔になる。そんな中、マリエラは話の細かいところが気になって仕方がない。
「ごめん、話はそれるけど、魔塔主代理ってだれが?」
「ぼくだよ、魔塔主のじいやもお歳だろ。だから、そろそろ後継者をってことになって、一番優秀なのはマリエラだけど、マリエラは研究が忙しいから、マリエラの横暴にうまく付き合えるってことで選ばれた」
「うまく付き合えるって、ただ、いじめられたいだけじゃない」
「万能薬もほかの誰も成功しなかったけど、ぼくが量産化したしね。相性がいいって思われたんじゃないの」
話していると、アンセムが強くマリエラの腕を引いた。
「何、アンセム。ちょっと、力強いわ」
「あっちに行こう、話がある。エマジオ殿、外してもらえるか」
マリエラが先ほどまで手紙を読んでいたガゼボの方へ、アンセムが先になって進む。エマジオは頭を下げて、マリエラたちからは離れ、そのまま元居た建物の方へ向かって去っていった。
マリエラは椅子のところで腕を振り払い、先に座った。
「もう、どうしたの。急に」
「ちょっと距離が近すぎないか」
「なんの話?」
「あの男とだ」
アンセムの口調はいつもと違って堅く、怒っているのかと思い、アンセムの顔を覗き込むようにしてみた。
よく見ると、アンセムの緑色の瞳がうるんでいるのがわかった。
予想外の反応に、マリエラは困惑する。
エマジオとは幼馴染で仕事仲間だ。距離は確かに近いかもしれないが、それは家族に接するような気持だった。
なぜアンセムが目に涙を浮かべるほど感情を高ぶらせていて、マリエラを責めるようなことをいうのか、マリエラには全くわからなかったからだ。
『嫉妬ですよ、嫉妬!』
突然、ホムンクルスのアイの声がマリエラの頭に響いた。
『嫉妬? うそでしょ。アンセムは帝国の皇子よ。何を嫉妬することがあるの?』
『もう、マスターったら、本当に鈍感ですね』
『悪かったわね』
『アンセム皇子はマスターとエマジオがいい仲なんじゃないかって、邪推してるんです』
アイの指摘に、マリエラは驚いた。エマジオとどうこうなんて、考えたこともなかったから、予想外の指摘だったのだ。
『でも、エマジオはただの先輩よ』
『アイは知ってますよ。でも、他の人から見たら、確かに親密な距離感ですから、アンセム皇子の嫉妬はあながち的外れとはいえないです』
マリエラは考え込んだ。
アンセムの誤解を解くにはどうしたらいいだろうか。しかし、マリエラは錬金術の解法を考えるのは得意だったが、こういった人間関係の機微を考えることは苦手だった。とりあえず、誤解しているということはわかってもらわないといけない。
「違うの、あの人は昔からの付き合いで、気心が知れてるってだけで、誤解よ」
「そうかな。覚えてるよ、倉庫を探してて見つけた離れがたい人と持つペンダント、最初に渡そうとマリエラが思っていた“先輩”って、あの人のことじゃないのか」
アンセムの指摘自体は正しく、マリエラは言い返せなくなる。確かに魔道具の実験相手として、魔塔の師匠と一緒に、最初に思い浮かんだのは確かだったからだ。
「マリエラには、彼のほうがいいのかもしれない。未来の魔塔主と聖女、いい組み合わせじゃないか。皇妃みたいな余計な立場はついてこない。今まで通り、研究だって手伝ってもらえるんだから」
アンセムの声が少しずつかすれていく。
マリエラはせめてアンセムの表情から目が離せない。整った顔が苦しそうにゆがむ様子をじっと見ていた。
少し垂れた目は最初からうるんでいたが、だんだんと涙の膜が厚くなり、最後のひとことを言った瞬間に、右目から涙が一筋流れ落ちた。
「ごめん、気持ちが抑えられない。頭冷やしてくる」
逃げるようにアンセムは花壇の間を走って去った。
「え、ちょっと、アンセム。待ってよ」
マリエラも追うが、アンセムのほうが速い。建物の入口のところで見失ってしまう。どっちに行ったかと通路を見回していると、背の高い人と低い2人の人影が見えた。
エマジオとクルスだ。クルスはさっきアンセムを追いかけてきて、それから姿が見えないと思っていたが、ここにいたようだ。2人で何かを話しているように見える。おそらくさっきからずっとここにいたのだろう。
「エマジオ、クルス、アンセムを見なかった?」
「ううん、見てない。エマジオ様は?」
「見てないね。何かあったの?」
「ちょっと私が怒らせちゃって」
「珍しいね、皇子が怒るなんて」
クルスは驚いている。確かに珍しい、マリエラも初めて見た感情的になる姿だった。
「あなたたちは何を話してたの?」
「情報交換だよ。今までのマリエラのこととか皇子のこと、エマジオ様が知りたがってたからさ。逆にマリエラのミストリア王国での話を聞かせてもらってた。あと、最近のミストリア王国事情かな」
「マリエラとその相手のことは報告するようにいわれてるからね。ルルベルナ帝国の事情も外からじゃわからないことばかりだから、教えてもらってた。それより皇子だね。こっちじゃないとすれば、あっちのほうじゃない。早く追いかけたほうがいいよ。時間をおくとこじれるから」
「そうね、いくわ」
クルスとエマジオに背を向けて、マリエラは走りだした。
※※※
しかし、アンセムは見つからなかった。先ほどみんなと別れた食堂まで戻ると、ランドがいた。
「あ、マリエラ、ようやく来たか。先に食ってた」
「遅くなってごめん。アンセムは?」
「アンセム? さっきあっちで公爵と合流して、別室に行ってた」
「そこって私がいったらよくない感じ?」
「よくないだろ。イーダンはついて行ったけど、それもだいぶ厳しそうだったぞ。俺は庶民だからな。最初っから対象外ってやつだ。なんにしろもう行っちまったんだから、追いかけるより待ってた方がいい」
「そうかしら」
帝国でも王国でも会食をわざわざ中断する行為は無礼とされている。ランドの言う通り、おとなしく食事をとったほうがいいだろう。
「この肉うまいぞ。なんの肉かはわからんが」
「そう」
ランドは口にいっぱい肉を詰め込んで、リスのように頬をふくらませていた。
マリエラは機械的に食事を口に運んだ。終わったらどう話そうか、そんなことを考えていたから、味はほどんど感じなかった。
食事を終えたら、アンセムの部屋を訪ねて、食事が終わっていなかったら待ち伏せをしよう。そして、エマジオは先輩で、幼馴染だから親しいだけで、アンセムの思うような関係だったことはないし、これからも考えられないと何度でも伝わるまで伝えないといけない。
マリエラの頭には別れた時の、アンセムの涙が離れなかった。マリエラにとってはいつものことでも、アンセムにとっては許しがたいことだったに違いない。
ただでさえ、マリエラは皇妃になりたくないと伝えてしまっている。皇妃にはなりたくないけれど、一番離れがたいと思っているのは、アンセムだと伝えたい。
しかし、ランドとの食事が終わっても、その日マリエラはアンセムとは会えなかった。




