アンセム、迷う
アンセムはロケットのメッセージを聞いたあと、一日部屋にこもって出てこなかった。
「何があったかしりませんか、マリエラ」
イーダンが心配して、マリエラに聞くが、まさか聞いたことをそのまま言えるわけもなかった。アンセムの兄、リンドールが、前皇帝の子どもではなかった、正当な後継者はアンセムしかいない、だなんて、少なくとも外国人でもあるマリエラの口からは言えない。
「私からは何も言えないわ。本人の問題だと思う」
「失恋か、喧嘩かと思ったが、違うのか」
茶化すようなランドに向かって、マリエラは首を振った。
「そんなんじゃないわ。それに、1人で考えないといけないことだと思う」
話をしていると、ドアが開いた。アンセムだった。後ろにクルスを連れていた。
アンセムは沈鬱な顔をして、声の調子もいつもより低い。
「ちょっといいかな。みんなに話したいことがある」
「ええ、もちろんです」
イーダンがすぐにそう言って、自分が座っていた椅子から立ち上がり、その椅子をアンセムにすすめた。部屋には椅子が2つしかなく、1つはもともと資料をまとめていたマリエラが使っている。
マリエラは壁に向いて設置されている机に向けていた椅子を、アンセムのほうへ向けて座りなおした。
「まず、ランド。君にだけ隠していたことがある」
「ああ、なんとなくわかってるよ。アンセムはこの国の皇子様なんだろ」
ランドが何でもないことのように、耳の横を右手でかきながら言った。
アンセムが片眉を上げた。
「どこでわかった?」
「なんとなく変だとは思ってたんだが、決定的だったのは追手だな。傭兵なんかじゃない手練れを、あれだけの数をそろえるってことは、よほどの大物だと思ったのさ。で、今、この国で追われてる大物っていったら、突然表に出なくなった、第二皇子様かなと思ったわけだ」
マリエラはランドの洞察力に感心していた。食べ物のことしか関心のない単純な男だと思っていたが、案外ものを見る力はあるらしい。
「まず、わかっていて、黙っていてくれたことに感謝する。そして、隠していて申し訳ない。改めて、僕は帝国の第二皇子アンセムだ。イーダンは元々宮廷で侍従をしていた。クルスは城を出るときに付いた護衛だ」
「まあ、そんなとこだろうな。で、マリエラは?」
「私はただの昔会ったことあったから、知ってたってだけ」
「そうか、まあ知ってそうではあったしな。納得だ。で、俺に正体を明かすってことは、なにか大変なことがあったんじゃないのか」
「ああ」
そこでアンセムは、ランドとマリエラの2人の顔を交互に見た。
「ここから先は、聞いてから判断してほしい。特に2人は、僕に仕えているわけではないから、今後どうしようと、2人の自由がある」
そして、アンセムはロケットを首から外した。開いて、中の魔道具の軌道部分に、指を押し当てた。
マリエラは二度目になる、前皇帝の言葉が魔道具から聞こえてきた。
次期皇帝に内定しているリンドールが、前皇帝の血を引いていないことが語られると、一同が息をのんだ。そして、皇帝の話はそのあとも続く。
「皇妃は、リンドールの出自について、口をつぐむよう、私を脅していた。アンセム、お前の命の保証と引き換えに、だ。しかし、この頃はその約束すら危うい。私もいつ命を狙われるかわからない。このことを公にしたかったが、お前の命を守れるほどの力は、私にはもうない」
皇帝は話しながらも時折せき込み、ようやくという体で話を続ける。
「アンセム、宮廷の外で力をつけろ。そして、必ず皇帝になるんだ。そうすることでしか、お前は生きられないだろう。皇妃はけしてお前を許さない」
そのあと、皇帝は声の調子を落とし、昔話をはじめた。アンセムの母親との出会いや、再会してからのアンセムとの思い出話だった。
「お前の幸運をいつも祈っているよ」
話はそこで終わった。終わった後も、しばらく誰も話し始めなかった。
まず、ランドが静寂を破る、明るい声で話し出した。
「なんでこんな大事なこと、直接じゃなく、まわりくどい方法で残したんだろうな」
答えたのはクルスだった。
「皇帝は常に監視されてた。特に日中、来客時は必ず皇妃の手下がはりついて、すべて見て聞いていたから、こういう方法で残すのがいちばんだと考えられたんだと思うよ」
クルスの言葉にうなずいて、アンセムがゆっくり話し出した。
「知っての通り、皇帝はすでに亡くなっている。あと1か月で喪があけ、新しい皇帝として、リンドールが即位するだろう。一度皇帝になったものを引きずり下ろすのは簡単ではない。もし、僕が皇帝になるなら1か月のうちに仲間を集めなければならないということだ」
「アンセムはどうしたいの?」
もともと、アンセムは皇位を継ぐことに興味がなかった。そのため、真実を知った今、改めてどう思っているのだろう、そう思ってマリエラが聞いた。
「僕は、正直、迷っている。自分が皇帝の仕事に向いているとは、とても思えない。リンドールのように母方の高位貴族とのつながりが強いほうが、政治はうまく回るだろう。皇帝の血を引いていないことだって、黙っていればわからないことだ。それで、うまく回るなら、見逃した方がいいかもしれないと思う」
アンセムは拳を強く握りしめた。きつく握りすぎて、指先が赤くなっている。
「でも、卑怯で自分中心のやり方は許せない。彼らは自分勝手な理由で、正当性もない皇帝になった。きっと同じように自分勝手な理由で、罪のない人たちが苦しむことになるだろう。それは許せない、でも、僕自身が正しい皇帝になれるかというと、そんな自信はないんだ」
「資質ならあります!」
そう否定したのは、イーダンだ。
「逆にアンセム様になくて、誰にならあるというのですか」
「いや、一理あると思うよ」
クルスが口をはさんだ。
「確かに、アンセム皇子には皇帝として足りない部分がある」
「なんですって!? そんなわけないでしょう」
「イーダン、落ち着け。クルスの言うことは俺にもわかる。こいつは優しすぎるんだ」
怒りで食って掛かるイーダンをランドが押しとどめた。
「俺がいたのは小さい部族だし、そのあとだって、大した組織にいたわけじゃねえ。でも、リーダーってのは、どこでも残酷な判断をするときがあった。それができるかっていったら、俺はちょっと疑問だね」
「亡くなった皇帝陛下も、そこを心配していたよ。自制心と決断力はある、人望もある。ただ皇帝は時には国のために自分の意思に沿わないことをすることもある。そんな時に、皇子が心を壊してしまわないか、心配していた」
「それは、そうかもしれないですが…それでも、リンドールよりずっといいでしょう。アンセム様は皇妃の血筋の良さを気にしていましたが、それだって逆にいえば、皇妃と対立する派閥を味方につけることができるってことです。優しさだって、それ自体はけして悪いことではありません」
アンセムは全員の話にじっと耳を傾けていた。
マリエラも同じように聞いていたが、頭の中では全く別のことを考えていた。
アンセムが皇帝になることを考えている、もし皇帝になったら、アンセムは帝国に残って、マリエラは王国に戻る、つまり離れ離れになるということだ。
そのことを考えるだけで、胸が痛んだ。つい一日前までは、一緒に王国に行こうと話していた。マリエラはアンセムに王国のどこを案内しようか、なんてことを考えたりしていたのだ。
『マスターも帝国に残ればいいじゃないですか』
『そんな簡単に言わないでよ』
『いいじゃないですか。皇子が皇帝になれば、マスターは皇妃になるってわけですし』
『だから、私たちはそんなんじゃないってば』
『まだ言ってるんですか? でもさすがに気づいてますよね』
アイがあきれた声を出すのを、マリエラは黙って聞いていた。
うまく言葉にすることができなかったからだ。
『考えないといけないってことはわかってるのよ』
『それならアイは何もいいません』
それきりアイは黙ってしまった。
仲間たちは話を続けているが、話は並行線のままだった。それぞれが、アンセムが皇帝に向いているかどうかの話をしていた。そして、アンセムはそれをうなずきながら聞いている。
「大体、資質が足りないっていうんでしたら、それを補う人がいればいい話じゃないですか。アンセム様に足りない、傲慢で無神経さを持ち合わせた人を…」
イーダンはそこまで言って、言葉を詰まらせた。イーダンの視線がマリエラの方を向いている。イーダンだけでなく、他の3人の視線もマリエラの方を向いていた。
「何? どうしたの?」
「傲慢で無神経っていうなら確かにそうだな」
「これ以上の人選はないかも」
「いいえ違うんです! そういう意味で言ったわけじゃないんですが、残酷な決断も迷いなくするという点では、そうかもしれないです」
「だから何なのよ、わかりづらい言い方しちゃって、ねえアンセム」
マリエラが話を向けると、アンセムは言いづらそうに口を開いた。
「皆は、マリエラがいてくれれば、僕の資質を補ってくれるんじゃないかって言ってるんだ」
「たしかにな、ちょうどいいんじゃないか。皇妃としてはちょっとはねっかえりが過ぎるけどな」
マリエラは“皇妃”と聞いて、自分の唇を強くかんだ。先ほどアイに皇妃の話をされた時と同じ戸惑いを感じていた。
「いや、マリエラ。いいんだ。僕の決めるべきことに、君を巻き込みたくない。忘れてほしい」
「そうか? 大事なことじゃないのかな」
クルスがアンセムの話に口をはさんだ。
「もともと、アンセム皇子がこの話をしたのは、今後ランドとマリエラがついてくるかも含めて確認したかったからじゃない? だったら、マリエラがどういうつもりでいるのか、確認したほうがいいと思うよ。皇妃のことも含めてさ」
「それはそうかもしれないけど…」
「そうですね。ここで一緒に行けないということなら、マリエラと同じような皇妃候補を探すということになるわけですから」
イーダンが当然のように言った発言に、マリエラは胸をわしづかみにされるような痛みを感じた。それでも何も言い返せない。イーダンの言うこと、クルスの考えることは貴族的で、確かに貴族としては正しいものの考え方だからだ。
それはマリエラにもわかっていた。マリエラほど優秀かどうかはおいておいても、出自から皇妃にふさわしく、なりたがる人は国中さがせばいくらでもいるだろう。
「イーダン!」
マリエラが何も言えないでいると、アンセムが声を荒らげた。
「少なくとも今、まだ何も決まってないんだ。マリエラもランドも僕の臣下じゃない。全部知ったうえで、彼らの気持ちをききたかったんだ。僕が皇帝を目指すかどうか、全員の話を聞いて決めたかった。だから、決めつけるような言い方はやめてほしい」
「すみません」
イーダンはすぐに謝り、身を縮こまらせた。
「俺は、なんだろうと付いて行くぜ。最初に引き受けた時から厄介ごとは覚悟の上だ。金をもらった分の仕事はきっちりさせてもらう」
「私は…」
ランドが言ったのだから、次は自分の番だとマリエラは口を開いたが、うまく言葉が出てこない。自分の仕事、理想の生活を思い描くが、それと皇妃になる未来がうまく結びつかない。それと同時に、アンセムと離れる、二度と会わなくなり、他の人と一緒になると思うと、胸が苦しく、呼吸の仕方も忘れそうになる。
アンセムが王国に来てくれるのが一番自分にとっては理想だが、帝国の状況や、アンセムの立場を考えると、とてもそうしてほしいとは言えないし、大国の帝国の皇帝になろうとしているリンドールに狙われるアンセムを、守り続けることができるかさすがのマリエラでも自信がない。
「ごめん、考えがまとまらないわ」
「もちろん、急な話だから、今答えなくてもいい。とりあえず知っておいてほしかったんだ。僕も考えをまとめたいから、また後日話を聞かせてほしい」
アンセムが話をまとめたところで、資料室のドアがガタンと音を立てて開いた。
全員がドアの方向を振り返った。




