処刑聖女は王子を待つ
「ここに、偽聖女フィオナ・マーリエの処刑を執り行う!」
断頭台で処刑人が高らかにそう宣言した。しかし手枷をはめられた黒髪の女性は、毅然とした態度で、顔に恐怖はない。
それが気に入らないのか、下卑た笑みを浮かべて悦に浸っていた第一王子テルダンも、不満を顔に映した。
テルダンのクマのような巨体が断頭台に近寄ると、フィオナに語り掛けた。
「死を前にしても恐れを見せんとは。さては、私がこうして話しかけに来るのを待っていたな? 最後の慈悲を願っているのだろう?」
「……あなたには、もう言葉は尽くしました。もう何も言う事はありません」
「フンッ! 偽聖女如きが偉そうに!」
違う。フィオナは内心呟いた。「私は偽物ではない」と。
しかし声に出さずとも、フィオナが本物の聖女であることは、処刑場に集まる誰もが知っていることだった。なにせ、フィオナの額には聖女の証たる金色の紋章が輝いているのだ。
聖女の力により、フィオナは「祝福」を施すことが出来る。警備の兵士もまた、フィオナから「祝福」を受け、その身を癒しの波動により守られている。
王族に遣える兵士たちも、偽物などとは一切思っていないのだ。むしろ今まで守ってくれていた聖女を処刑することに憤りすら感じていた。
フィオナは、この祝福の力を隣国との戦争状態にあるラインアークで幼い時より施してきた。隣国との戦争状態にあるラインアークにおいて、兵士たちにとってこの力は何よりも重要なものなのだ。
つまりは、ここにいる誰もがフィオナを偽物などとは思っていない。
それを捻じ曲げたのが、テルダンと第一王子である彼に集まる急進派だった。
事の発端は、テルダンがフィオナを無理やり手籠めにしようとしたことだ。
フィオナは幼き頃より決まっていた第六王子との婚約のため、それを拒んだ。
だがそれだけで傲慢なテルダンは怒り、第六王子とフィオナに民衆がなびかないようにと画策した急進派が入れ知恵をしたのだ。
「フィオナを偽聖女として処刑すれば、賢しい第六王子オルカを失脚させられる」と。
テルダンはこれ幸いと、隣国との戦争でオルカが留守の間を狙い、偽聖女としての処刑を決定したのだ。
「罪状は、偽の聖女として長年にわたり民を欺いた罪! 第一王子殿下へ不敬を働いた罪!」
急進派の一人である処刑人が宣言する中、集まるように命令された民の顔は晴れない。
誰一人として、フィオナの処刑を望んでいない。
しかし、テルダンに逆らえば自分もまた死刑となる。身を挺して守ろうとする者などいないのだ。
(……私の事はいいのです。皆さんまで暗い顔をしないでください)
フィオナは罪状が読み上げられる中、民を眺めた。
偶然にも視線が合った男が声を上げようとして、フィオナは首を横に振るう。
あなたが気負う必要はないのだと、フィオナは暗に告げているのだ。
それにフィオナの心は、まだ折れていない。
(どのような状況でも、私はオルカ様のお隣に立つべき聖女です。私は信じます。オルカ様を。オルカ様が変えてくださった私を。例えこの場で死のうとも、私はもう、俯きません)
それは、幼き日の約束だった。
――俯くなと言っているだろう。お前は額の紋章を気にしすぎだ。顔を上げなければ、せっかくの美貌が前髪で隠れてしまうではないか。
胸に刻んだオルカの声を、フィオナは反芻する。
(オルカ様がいつも言っていたではありませんか。俯くなと。前を向けと。なにより最後の最後まで諦めるなと。出会った時から、ずっと――)
いよいよ罪状もすべて読み上げられると、フィオナは走馬灯のように幼い時にオルカと交わした約束を思い出す。
平民の出ながら、旅の巡礼者に聖女として聖別され、王族との婚約が決まったフィオナは貴族たちから嫌われていたのだ。
いつも俯き、社交の場でも壁の花にすらなれなかったフィオナ。そんな彼女を、婚約者として決まったオルカは顔を上げるように言うと、こう約束した。
『何か困っているなら、必ず俺が助けに来てやる。だからお前も、俺が行くまで頑張れ』
拙いながらも、あの言葉があったから、フィオナは前を向けた。顔を覆っていた前髪は晴れて、幼い時より美しいと呼ぶ声があった。民にも、その顔を覚えてもらえた。
自らを美しいと、沢山の人が言ってくれた。心優しき聖女様と謳われた。
その度に謙遜し、まだまだと自分に言い聞かせてきたのだ。
少しでも王族であるオルカの隣に立つ女性になるため、研鑽の日々を過ごしてきた。
フィオナは成長するにつれ、聖女として清らかで謙虚ありながら、強い信念を持つ女性へと成長していたのだ。
「何か釈明はあるか?」
「いいえ」
フィオナは覚悟を顔に浮かべている。凛然と立つその姿は、誰もが知る信念を貫く聖女の姿そのものだった。
(死ぬのなら、最後まで私は私のままでいましょう……ですが、一つだけ未練ならありますね。最後に一目逢いたかったです……オルカ様を、一目でいいから……)
いよいよ断頭台にかけらるとき、フィオナの頬を涙が伝った。
だが、その首が跳ねられることはなかった。
「全軍かかれ! なんとしても、この蛮行を阻止するのだ!!」
処刑場全体に透き通る声がして、騎兵が雪崩れ込んでくる。
その最前線で指揮を執る姿に、フィオナは涙の零れる瞳に驚きを浮かべていた。
金色の髪に紫紺の瞳を持つ、ともすれば女性にも見えてしまいそうな美形な顔立ち。
そんな顔からは想像もつかないような透き通り、同時に激しい怒りの籠る声に、この場にいる誰もが目を奪われている。
「オルカ、さま……」
フィオナがそう呟く頃には、オルカは馬を駆り断頭台へと突っ込んできた。
あまりの怒りの形相に、処刑人は逃げ出した。テルダンは唖然とするばかりだが、急進派たちはすぐに息のかかった兵に止めるよう指示を出す。
「チィッ! 退け!」
あと一歩というところで、テルダンの兵によりオルカの道は阻まれた。
舌打ちをするオルカに、ようやく反応したテルダンは立ち上がると、兵の後ろから睨みつけた。
オルカもまた、兄であるテルダンを憎しみの籠る瞳で睨みつける。二人の間にバチバチと視線が交差すると、まずテルダンが口を開いた。
「隣国との国境で指揮を執っているのではなかったか? まだ戦争は続いているだろう。貴様、まさか戦場から逃げ出してきたとでもいうのか?」
「……俺は」
「なに?」
オルカは小さく舌打ちをすると、「私は」と言いなおし、馬上から失礼する旨を告げ、改めて口を開く。
「私が前線に出ているこの二か月で前線は我が国が押し上げ、敵国アルテリアは後退する一方です」
「では後退させただけで慢心し帰ってきたのか!」
話を最後まで聞いてほしい。そう思いながら、オルカは戦況を事細かに告げた。
押し上げた前線には兵の駐屯所を設け、部隊長をそれぞれに配置したと。
火急の用があればすぐに前線に残る騎士団長に報告するように命令したと。
それでも対処が不可能な場合も含め十通りの陣形を伝えているとも。
「納得いただけましたか?」
捲し立てるようなオルカに、テルダンは身を引いてしまう。
しかし、その半分も頭には入っていなかった。所詮は第一王子の立場にかまけてロクに戦場での指揮を学ぶこともなかった無能な男なのである。
「う、うむ、そうか……そ、それは、あれだな。もう勝ったも同然だな」
結局口にできたのは、そんな抽象的なことくらい。
だがその一言に、オルカの瞳が鋭く光る。
「その通り。兄上の言うとおり勝ったも同然なので報告に帰った次第」
「では、報告を纏めてもらおうではないか」
「いえ、その前に一つ確認することがあります」
オルカは高ぶる感情を押さえながら、「なぜ聖女の処刑が行われているのか分からない」と聞いた。
「こうして帰って来てみれば、私の婚約者にして聖女であるフィオナが”どういうわけか”断頭台にかけられていた。内乱かと思い攻め込んだのですが……なぜでしょうか」
最後の言葉には、オルカの怒りが隠しきれていなかったからか、テルダンも背筋に冷たい物を感じている。
反論しようにも、オルカに威圧されて言葉が浮かばなかった。
しかし、
「見れば分かるだろう、罪人の処刑だ」
テルダンに代わり、急進派の筆頭である宰相補佐が答えた。
オルカは、その発言にまた舌打ちをする。
面倒なのが出てきたとも内心思いながら、現状を説明するように言ったのだが、
「偽の聖女として民を欺き、第一王子殿下に不敬を働いた。一部では『建国きっての知将』と名高いオルカ殿下なら、既にお耳に入っているのでは?」
「証拠はすべて揃っているとも」。続けて口にされた事に、オルカは溜息を隠せない。
前線で指揮をとるようにテルダンから命令された時から不安だったのだ。
テルダンを傀儡とし、この国を手中におさめようとする急進派の動きは知れていたのだから。
確証がつかめなかったので内通者を残して前線へと出たのだが、つい先日フィアナの処刑を聞きつけ、急ぎ帰ってきたのだ。
当然、内通者に調べ上げさせたことは頭に入っている。
この処刑を覆す事が難しいのは、馬上で何度も考えていた。
オルカの顔を見てか、宰相補佐はテルダンの耳元で囁く。すると、肥えた腹を張って、「即刻処刑を再開する!」と宣言した。
テルダンは「これでとりあえずフィオナを処刑できる」と安心していたが、オルカの刃物のような声がする。
「ではこの処刑は、国の四方統治の要である四大公爵に了解を得ているのですね」
一瞬訳の分からないといった顔をしたテルダンは、そんな事かと笑った。
「公爵風情と話すなどという俗事にも等しい事、とうに我が配下が終わらせてあるわ」
「そうですか。しかし四大公爵の一人、レオフレック殿は別件で国を半年ほど離れる予定だったのでは?」
「む? そうであったか……?」
「……確認を取っていないご様子。それでも処刑を行うおつもりで?」
「もちろんだ! たかが公爵一人、あとで手紙でも出せば……」
と、余裕たっぷりなテルダンの後ろから、宰相補佐が待つように囁く。
「レオフレック公爵は西方の領土一帯を治めるお方です。フィオナ様の事も気に入っていられたご様子……黙ったままですと、後々王位を取った際に不都合が生じるかと」
元々フィオナの処刑に賛成の貴族など、テルダンの息がかかった者のみ。王都を囲う四方の領土を任された四大公爵ともなれば、その祝福の重要性は重々理解している。
宰相補佐含め、急進派がどれだけご機嫌取りと金をばら撒いて納得させたかを考えると、その内の一人を無視したとあっては角が立つのは必定なのだ。
政治の機微が分からないテルダンは、「どうするのだ?」と聞き始める始末。
急進派としても痛いところを突かれた機を狙い、オルカは高らかに告げた。
「レオフレック公爵の了解を得ていない以上、聖女の処刑を行えば戦争がいくら有利でも国に混乱が起こる事態は必定。勝てる戦いも長引き、国の被害は増すばかりでしょう。当然、国の資金もより多く使うことになる。それでもよろしいのですか?」
「む、むぅ、長引けば面倒になるのだな……金がなくては、せっかくの勝利にも満足がいかん」
「では、私は第六王子として、兄上に処刑の保留を進言します」
「保留だと? ハッ! 確かに完勝とはいかないかもしれんが、勝ちは勝ちだ。レオフレックなど放っておけば……」
駄目です! と宰相補佐が囁きにもならぬ声で遮れば、すぐに他の急進派たちが「保留を認めましょう」と言い出した。
宰相補佐があれこれと耳打ちすれば、テルダンも不満げだが頷くと、「牢へ連れ戻せ!」と宣言する。
ここに来て、ようやくフィオナが断頭台から兵士に連れられて降りてくる。
オルカは自然に馬から降りると、テルダンへ歩み寄るふりをして、フィオナの横を通り過ぎるときだった。
「必ず助けに行く」
「……はい。信じております」
二人の意思は通じている。ならばフィオナにできることは、もはや一つである。
(待っています。約束が守られる時を。私はそれまで、自分に出来ることを考えます)
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当然のことながら、オルカは憤慨していた。怒りのあまり普段の荒っぽい口調で「クソッ!」と吐き捨てながら、白いマントを身に纏い、まずは国王である父の元へ向かった。
しかし、ここでは声を荒げることはない。
「……密偵から聞いていた通りか」
国王グラキエースは、表向きには病に倒れたとなっている。
だがオルカは密偵からの情報により知っていた。グラキエースは急進派に毒を盛られていたのだ。
「父上……」
「……すまぬ」
グラキエースは、とうの昔に無能であるテルダンを見限っていた。
それどころか他の兄弟たちも王族という立場にかまける役立たずだと見捨てていたのだ。
その中で唯一、自らを凌ぐ才に恵まれたオルカを次期国王にと育てた。
フィオナを婚約者としたのも、その計らいだった。
それが目障りだったのだろう。こうして毒を盛られ、ろくに看病人もつけられぬままベッドに伏せていた。
オルカには、国王としてテルダンの蛮行を防げなかったグラキエースを責める気など毛頭ない。むしろ自分がしっかりしていれば、処刑を未然に防ぎ、父を守れたと恥じるばかりだった。
だが過ぎた事は過ぎた事、倒れているとはいえ、フィオナの祝福があれば命は救える。
オルカがここに来たのは、確認のためだった。
『この後は容赦しない。テルダンが死のうが、この異常事態をひっくり返し、フィオナを救う』。それでもいいかと聞きに来たのだ。
グラキエースもまた、その瞳を見れば覚悟は伝わった。だから言う事は一つだ。
「好きにするがいい」
「そうさせて頂きます」
一言交わすと、オルカはテルダンの元へ向かった。ギラギラと燃えるような瞳でテルダンの部屋の扉を開けば、思わず舌打ちする事となる。
「何か御用でしょうか、殿下」
テルダンが椅子に深く腰掛ける周りには、既に急進派が集まっていたのだ。
一手、いや二手も三手も遅れた。テルダンだけならばどうとでもなったものを、周りは王城にて重職につく者ばかりだ。
存分な用意もなしに、簡単に出し抜けるものではない。
だとするなら、策を弄するのは時間の無駄。行うべきは正面突破である。
「……単刀直入に言わせていただきましょう。フィオナを解放していただきたい」
「フンッ! ぞろぞろ集まってきたから面倒な話かと思ったらそんな事か」
「なに?」
「もうあんな子娘など、どうでもいいのだ。それよりお前が帰って来てくれたおかげで、私は次期王様確定なのだぞ!」
オルカは、この無能な兄が何を言っているのか理解できなかった。
そんなことを知らず、テルダンは続けた。
「お前のお陰で戦況は我々にとって非常に有利となった! 隣国アルテリアさえ潰せば、ラインアークに逆らう国はなくなる。もう一々聖女の祝福など必要もない! 純粋な力を持つ兵がいればいいのだ!」
「まさか、前線から祝福を受けた兵を退かせるとでも言うのですか!?」
思わず声を荒げたオルカに、テルダンは舐め腐るような口調で言った。
「なにせ何年も拮抗していた戦況が、第六王子とは言え王族のお前を前線に投入したら数か月で圧倒したのだ! 兵共の士気が上がったのだろう! まさに我が国が強くなった証というもの! もはやお前も用なしなのだ! フハハハハ!」
「用なし、とは……?」
そろりと尋ねれば、テルダンは当たり前のように言った。「これからは第一王子たる私が最前線で指揮を執る」と。
「なっ!」
オルカは、雷にでも打たれたように驚愕した。思わず、抑えていた言葉も飛び出た。
「兄上は馬鹿なのですか!?」
直球の言葉に、テルダンも怒りの形相を露わにした。
「第六王子風情が、今なんと言った!? これより最前線で戦争を勝利に導き、病に倒れた父上に代わりラインアークを治める私をなんと言ったのだ!?」
「……ならハッキリ言ってやる、馬鹿かと言ったんだよ!」
お行儀がいいのもここまでだ。この馬鹿には、ハッキリ言ってやらないと伝わらない。
オルカは身を乗り出すと、戦場を舐めるなと怒鳴った。
「俺が前に出てなんとか押し返したが、アルテリアはまだ十分に余力を残してる! そんな中でアンタが指揮を執るだと!? 戦争は遊びじゃないんだぞ!!」
「貴様……口が過ぎるぞ……!」
「そうでもしなきゃ伝わらないだろうが! いいか、今アンタが前に出たら負けると言ってるんだよ! だいたい、俺が指揮した連中をどうやって使う気だ!? 陣形も全部暗号化してあるから、今からアンタが行ったところで陣の一つも作れないんだぞ!?」
それならば問題ない。静かな口調で、宰相補佐が告げた。
「既に我が精鋭部隊が向かっている。今頃は貴殿の兵は帰るよう指示されているだろうな。なに安心しろ、こちらからも一人補佐をつける」
「政治屋の補佐の更に補佐一人連れてったところで変わらないんだよ!! そんなことも分からないのか!?」
「正確には、騎士団長補佐だ。戦場での経験には長けている」
そんなものでは話にならない。オルカは早急に手を打つべく場を後にしようとして、一つの閃きを覚えた。
「……兄上が直々に行くのですね」
静かな口調に戻ると、テルダンも立場をわきまえたとでも思ったのか、余裕の態度へ戻った。
「その通りだ。私が直々に行けば指揮もより上がるだろう!」
「そうですか。では、私は失礼します」
妙にあっけない。宰相補佐が眉を顰めていると、今度はオルカが何手先も読んだ。
「まぁ、あの馬鹿なら一週間ってところか」
呟き、オルカは廊下を後にしていった。
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テルダンが王都を出て一週間の間、オルカは姿を消した。そして毎日のように人目を避けて牢屋に囚われているフィオナの元を訪れていた。
だが顔は合わせない。声もかけない。誰にも、それも看守にすら悟られることなく、ただ無事かどうかを確認するだけだった。
そして丁度一週間が経った日暮れ、急ぎ足で牢屋へ訪れる影がある。
「釈放だ! すぐに枷を解け!」
宰相補佐が血相を変えて飛び込んできたのだ。
フィオナはただ、突然の事に首を傾げるあまり。
しかし、宰相補佐はフィオナに飛びついた。
「聖女様! 私が間違っていました! あんな男に従って貴女を罪人とするなどあってはならないことだったのです!」
「……そうですか」
焦燥に駆られている宰相補佐とは対極に、フィオナは務めて冷静に答えた。
「あなたは本物の聖女です! 宰相補佐たる私含め、皆が同意しました! そう! これは政治的にも正式な釈放なのです! ですからすぐに…」
「何が望みですか? やはり私の祝福でしょうか。だとしたら、虫のいい話ですね」
「なっ」
宰相補佐は、フィオナの事を詳しくは知らなかった。
いや、なんならただの平民上がりの小娘としか思っていなかったのだ。
釈放してやれば無条件に従ってくれる。そう思い駆け付けたのだが、フィオナの瞳は宰相補佐の心を見透かしているようだった。
「私の祝福を施した兵が倒れたから治してほしいのですか? それとも、増兵するので新たに祝福をかけろと?」
「そ、それは……」
「この牢屋での暮らしは、とても孤独なものでした。しかしお陰で、一人で落ち着いて考える時間がありました。そこで考え着いた一つの答えがあります。もしも私が釈放されたとき、この国に対し取るべき態度ですが……」
「お、お願いです! 前線は崩壊し、アルテリアの兵がもう数日としないうちに王都へ攻め込んで……」
「西方からでしょう? あちらを守られていたレオフレック公爵は不在ですからね。その分、兵を多く向かわせたと聞いていたのですが、それを命じた者が指揮を放棄……は、あの方に限ってありえませんから、前線の指揮者が急遽交代となったのでしょうか?」
見透かされている。宰相補佐は、この時になってようやく聖女フィオナを見誤っていたと後悔した。
「お、お願いです! 祝福を受けた兵がロクに命令を聞かないばかりか逃げ出す始末で、聖女様にお声をかけていただけなくては……」
「情けない」。牢屋に透き通るが低い声が響いた。
「国を捕ろうって腹だったのに、いざ玩具が壊れたら神頼みならぬ聖女頼みか?」
「き……貴様はっ!」
「……お前との話はあとだ」
「何を言うか! 貴様が突然いなくなるから、急遽指揮を執る者が……」
「後だと言った!!」
「ヒッ……」
所詮は、テルダンを祭り上げようとした姑息な者である。幼い頃より王位を継ぐべく鍛え上げられたオルカに本気で凄まれたら、腰を抜かした。
宰相補佐が後ずさると、オルカとフィオナが向かい合う。
そっと、オルカが手を差し出した。
「遅くなって、悪かった」
「ううん、信じていましたから」
フィオナを抱きしめると、囚われの身だったが故に細くなった体がオルカには痛々しく感じられた。
本当なら、もっと早く来るべきだった。しかし、フィオナを優先して助けに行っても釈放とはいかないだろう。
それにテルダンが健在の内は、いつ刺客が差し向けられるか分かったものではなかった。
だから、この一週間を待ったのだ。フィオナを見守り、テルダンが負けて、こうして急進派の誰かが助けを求めて釈放するその時まで。
この国の窮地に、オルカとフィオナが二人で外に出られる日まで。
「……悪い、もう少しだけ無理をしてくれるか」
「昔から、ずっと無理してましたよ。だって祝福って一人一人時間かけるんですもの。とても疲れるんですよ?」
「水をばら撒くみたいにできたら楽だったんだがな……今回も、その苦労を掛ける。頼まれてくれるか?」
「じゃあ一つ約束して? 全部終わったら、今度こそ守ってくれるって。それも一生ね」
「――もちろんだ」
二人が身を離し合うと、オルカは「おい」と宰相補佐を呼んだ。
「ヒッ……な、なんでしょう……?」
「戦線は崩壊寸前。指揮を執る者はいない。城に残ってるのはお前のような政治屋ばかりだ」
「な、何が言いたいのでしょう……?」
「……まず俺の指示通り動け。その後に罪を認め罰を受けるなら、俺が指揮を執る。フィオナも力を貸す」
「罰、とは……?」
「降格は間違いないだろうな。少なくとも宰相補佐に戻るのに何年もかかるだろう」
そんな! と声を上げる宰相補佐に、オルカは「自分から罰を受けないなら、俺が裁く」と言った。
「婚約者を私利私欲のために処刑されかけた男の怒りくらい、お得意の頭なら分かるだろ?」
燃えるような瞳に睨まれて、殺すことも厭わないのだと宰相補佐は悟る。
降格とはいえ城に残るか、死ぬか。どっちにしろオルカが指揮を執って国が残るのなら、答えは決まっていた。
「わ、私は何をすれば……」
屈した宰相補佐に、オルカは次々と口にする。
「とっとと俺とフィオナの名で兵を集めろ。あと、お前らで囲ってる兵のリストも寄こせ。傭兵も含めて残ってる奴全部だ。作戦の立案から指揮まで全部俺がやる――この指示をどれだけ早くこなせるかで、降格の度合いも変わるだろうな」
そう言われては、居ても立ってもいられない。早速廊下へ駆け出すと、待機していたのだろう急進派たちへ指示を出していた。
「……相変わらず、乱暴ですこと」
「これからもっと乱暴なことになるんだがな」
「そちらは存分に暴れてきてください。ただ、死なないでくださいね? 守ってくれる約束ですよ?」
「俺が約束を破ったことがあったか?」
そう言って二人でクスリと笑いあうと、ぞろぞろ集まってきた各役職の人々をまとめるべく、牢屋を出た。
こうして、オルカの指示で逃げたと思わせていた兵も含めて半信半疑ながら王都へ戻ってくると、二人が並び立つ姿に歓声が上がった。
「喜ぶのはまだ先だ! テルダン第一王子の軍が全滅もいいとこだ! 祝福がない奴は一列に並べ! 他の兵は俺についてこい! まずは切り返す作戦会議だ!」
今度は喜びの声ではなく、鬨の声が上がった。
####
数か月の後、ラインアークは戦争に勝利した。幸か不幸か、この戦いで犠牲になったのはテルダンの連れて行った急進派――というより、金で買われた傭兵ばかりだったようで、ラインアーク兵士の損害は最小限にすんだ。
一方テルダンといえば、なんとか撤退戦を繰り広げた騎士団長補佐曰く、指揮はおざなりとすら呼べるものではなかったという。
それでも高い金で買われた傭兵は命を懸けて戦ったようだ。
苛烈する戦況で、なんとか傭兵たちの奮闘により「ここが踏ん張りどころ」となったはいいが、テルダンが「なぜ私がいるというのにこんな事になっている!? おかしいではないか!? 私は第一王子だぞ!!」と発狂して消えたそうだ。
死に物狂いで撤退戦を繰り広げ帰ってきた傭兵曰く、「下手な指示で状況だけ引っ掻き回しやがった挙句に責任放棄して逃げやがった」と、吐き捨てるように言っていた。
大方、顔が知れているだけに格好の的として敵兵にやられたか、どこかで野垂れ死んだか。
かと思っていたら、ボロボロな姿で帰ってきたのだ。
急遽呼び出されたオルカは、盛大な溜息を吐いた。
「今日は俺とフィオナの結婚式だってのに……」
そこへ、杖を突いたグラキエースが現れた。
「なに、この者の処罰は私が決める。お前は戻って結婚の準備をしろ」
「ですが……」
「もう体なら平気じゃ」
フィオナの祝福ですっかり回復したグラキエースが、惨めにも泣いたまま喚き散らすテルダンに告げた。
「殺してやろうかとも思ったが、このような様では哀れでそんな気にもならん。しかし、罰は受けてもらう。王族としての権限を一切剥奪とし、被害の激しい西方のレオフレック公爵領の再興に勤め、鍛え直してこい!」
グラキエースは泣きすがってくる愚息をとっとと追い払うと、オルカの結婚式へ参列すべく戻っていく。
内心、いつ引退して国を任せようかと考えていたが、ようやく元気になったフィオナに抱き着かれて珍しく笑っている姿を見ると、しばらくは王子のままでいさせてやるかと思うのだった。
【作者からのお願い】
最後までお読みいただきありがとうございました!
「面白かった!」、「オルカとフィオナ、お幸せに!」
と少しでも思っていただけましたら、
広告下の★★★★★で応援していただけますと幸いです!
執筆活動の大きな励みになりますので、よろしくお願いいたします!
新作異世界恋愛投稿しました。こちらも読んでいただけると幸いです。
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