南麟帝本紀 第2章 第5話
拾弐月廿壱日
キャラは、アレクシス、レーラ、セルディらと共に公都メルティアを出立した。王都セイランスまでは、馬車でおよそ一日半の道のりである。
「今日はアルタイルまで行って、そこで一泊するらしいわ」キャラが、初めて王都に向かうレーラに説明した。「明日の夕刻前にはセイランスに着くはずよ」
「どんなところか、楽しみです」
拾弐月廿弐日
「え、カティとは一緒に見られないの!?」
王都のメルリース公館に入って両親と再会し、その日の晩餐の時である。キャラは思わず大きな声を上げた。サーク男爵家が廿漆日に王都に入城することは良いが、御前試合の観覧席は爵位によって見る場所が決められていると聞いたからである。
「そう云えばそうだったわ。迂闊」
「我々三公家は王族の方たちのすぐ隣になる」メルリース公爵が説明する。「その隣には五侯爵家が、伯爵以下は一段下の一角になるのだ」
隣とは云っても、20人を超える一族や執事・侍女が集まるのだから、一つの区画の大きさはかなりのものである。
「お互い年始の準備に忙しいのだから、カティと会うのは御前試合の後にしてね」
ヴァレンティーヌ公妃の言葉に、キャラは膨れて云い返した。「それって、結局新年の樽俎の時ってことですよね」
「カティはお披露目だから、楽しみね」
「いや、お母様、そうではなくて……」
「キャラ、決まっているものは仕方ない、諦めるしかないよ。それはそうと、セルディはどんな様子かな?」
「毎日、鍛錬はしているみたいだけど、いよいよ王都に入って、緊張し出したみたいですよ。全勝すれば、お兄様と戦うことになるんですよね」
殿堂入りしているアレクシスは、勝ち抜き戦で優勝した者と対戦することになっている。
「勝ち抜いてくることを期待している、と伝えておいて」
パンディラ暦一二五年 大晦日
年末の一連の行事――王族らと共に王族の宗廟を参詣するのが、最も大がかりで(キャラにとって)面倒な行事だった――をこなしている内に、ついに大晦日を迎えた。(キャラにとって)激動の年の最後の日である。
そして、その日は御前試合の日でもあった。そのために、新年会の準備は昨日までに済ませているし、今日の午前中は湯浴みから身支度までバタバタとしていた。王族の前に出る以上湯浴みは欠かせないし、装飾が多い衣装を着るだけでもレーラを含めて三人がかりの大仕事であった。
王立の闘技場まで馬車で出掛け、遠い席からでしか観覧できない御者たちと別れて、メルリース公爵ご一行は決められた席を占める。
「こら、キャラ、キョロキョロしない」
アレクシスにたしなめられるくらいの挙動でカティの姿を探すが、上級貴族の席が前に張り出しているため、その陰に隠れて下級貴族の席は見えなかった。
着座する前に、隣に陣取るルノア公爵一行に挨拶をする。それだけならいいし、必要かと思うが、五侯が順番に挨拶に来て、その度に立ち上がったり座ったりするのが、着慣れない服を着たキャラには面倒だった。
午後の一点鐘が鳴り、王族一行が入場してきた。一時的な玉座の前に立つと、国王アンティウス2世は開会の辞を告げる。
こうしてセイランス市民、いやセイランの全国民が注目する最大の娯楽、王都御前試合が始まった。
本人の試合が始まる前に、キャラはセルディ・サン・クラリスに会うことができた。選手控え室の一室に居たが、さすがに緊張を隠しきれない様子だ。
「いいこと? ぎりぎりまで<閃光の秘剣>は使わずに温存しておくのよ」
「その名前、なんとかなりませんか?」
セルディの都合十回目の抗議を聞き流して、「前にも云ったかもしれないけど――」と云いながら、キャラはビシッと右手の人差し指でセルディを指した。
「セルディ・サン・クラリス。あなたは誰の専任衛士?」
セルディも居住まいを正して答える。「私はキャリアンティーヌ様の専任衛士であります」
「騎士団長級の方々も参戦するこの成年部で優勝しろとは云わない。ただし、あなたが無様な戦いをしたら、誰の顔に泥を塗ることになるか、分かるわね」
「はい、キャラ様の衛士として恥じぬ戦いをいたします」
云ってから、セルディはわずかに相好を崩した。
「なによ?」
「いえ、カティからも同じようなことを云われました」
「カティに会ったの!?」
「いえ、手紙でです」
「私にはそんなことは1ミリも書いてなかったわ」
そりゃ、そうでしょう。そう思いながら、セルディはいつしか緊張が和らいでいることに気付いた。
「キャラ様、そろそろお席に戻りませんと」控え室の扉をそっと開き、レーラが顔を覗かせて云った。
「そうね、いま行くわ。それじゃ、セルディ、怪我には気を付けるのよ」
「はい、ありがとうございます」
初めて成年部に出場する者たちの中で、セルディの剣技は抜きん出ていた。それでも三回戦の槍使いには勝手をつかむまでは攻められっぱなしであったが、辛勝した。続く準々決勝戦でも苦戦を強いられたがキャラ命名<閃光の秘剣>を繰り出して逆転勝ちをおさめた。
しかし、さすがに第二騎士団の団長に勝つことは叶わなかった。準決勝戦敗退という結果だったが、わずか15歳としては記録的な成績である。
御前試合の優勝者は近衛騎士団の団長で、その結果に直接の上司である国王も満足げであった。しかし、その団長も、アレクシスには5分と保たなかった。
「あ、<閃光の秘剣>!」キャラが、そして別席で観ていたセルディが驚いたことに、アレクシスの最後の一振りは、すさまじい剣速を備えていたのだ。
「もしかして、セルディより速いんじゃない……?」
戦った相手の良いと思えるところは積極的に取り入れ、しかも原型を超えてゆく。アレクシスの強さの理由はそこにあったが、誰もが真似できるものではない。
「おれももっと速くできるはずだ!」準決勝戦で敗退してしまい、軽く落ち込んでいたセルディだったが、新たな闘志が湧き上がってきたようだった。
「いつまでぶーたれてんのよ!?」
「別にぶーたれてなんていません!」
「奨励賞を貰えたんだから、良しとしなさい。それも最年少記録らしいじゃない」
表彰台には登れなかったものの、セルディは奨励賞を受賞していた。サン・クラリス家の観覧席に戻る途中で、セルディは通路の端から空を眺めていた。その姿を見つけて、キャラは声を掛けたのだった。
「ほら、行くわよ」
「え、どこにですか」
「メルリース公家の観覧席に決まっているじゃない。あなたは私の専任衛士なのよ」
「ですが、今日は――」とセルディはキャラの傍らに立つ男を見遣る。
レイシス・ディル・エスクード子爵は、今日一日、御前試合に出場するセルディの代わりにキャラの衛士を務めていた。
「実はな、うちの団で火急の用件ができたとかでな、おれは行かなきゃならんから、すまないが後を頼む」セルディより10歳ほど年上の男はそう云うと片目をつむって見せた。
「まったく、衛士の任をなんだと思っているのかしらね」
「まあまあ、ちょうど御前試合も終わったことですし。では、私はこれで失礼いたします!」
「はい、ご苦労様。明日もよろしくね。じゃ、セルディ、行くわよ」
「では、おれ――いや、私は合格と云うことで?」
「んー、何の話?」
「――いや、何でもないです。では、参りましょう」
「見てるだけで、お腹がすいてしまったわ。晩餐会は何時からだっけ?」
なんとなく機嫌が良さそうなキャラに従って、セルディはメルリース公家の観覧席へと歩んだ。