南麟帝本紀 第2章 第7話
「で、本当になぜあなたはここにいるのかしら?」
「それは貴女の専任衛士だからです」
「今日は要らないって云ったでしょ! 大体おじさまの名代で来てるんでしょ。ちゃんと挨拶して来なさいよ」
「挨拶すべき人たちはもう済ませちゃいましたよ。来る人もいなくなって暇になったからこちらに来たんです」
「じゃあ、さっきからチラチラ視線を送っているご令嬢方の相手をして来たらいいんじゃない?公爵家のそばにいるから声を掛けづらいんじゃないかしら」
昨日の御前試合の観覧車の中には、キャラやカティのように貴族の令嬢も多くいた。さらにその中にはセルディに興味を持った者もいたようだ。サン・クラリスならば将来も安泰だろうと云う打算も含めてではあるが。
「わたしがそう云うのが不得手なの、分かって云ってますよね?」
「不得手なら克服するように努力しなきゃ。ほんとにおじさまの子かしら」
二人があれこれと云い合っているうちに、会場がざわめきに満ちてきた。
何事かと二人が見回すと、一度中座していた楽団員たちが広間に戻ってきたのだ。
「もうそろそろ舞踏の時間が始まるわね」
「いいかい、セルディ」
アレクシスが近寄ってきて、セルディに声を掛けた。
「はい、アレクシス様」
「去年も云ったかと思うが、舞踏会では一番最初に誰を誘うのか、誰に誘われるのかが重要になるんだ。そこをよく考えるんだよ」
「ですが、私は舞踏は不調法で――」
「あんた、そう云って去年は誰とも踊らなかったけど、今年はそうはいかないわよ。踊りたい相手がいるのではなくて?」
「でも、自分は本当に舞踏は苦手で、相手にも失礼を――」
「この際、上手い下手はどうでもいいんだよ」
「そうそう、誘ったという事実が重要なの。分かったら、さっさと行ってらっしゃい、この唐変木」
「? なんですか、トーヘンボクって」
「キャラ、それは云いすぎだろう。というか、朴念仁と云いたかったんじゃないか?」
アレクシスがツッコミを入れ、キャラの顔が朱に染まった。
「そ、そうとも云うわね。とにかく、カティを一人にしちゃダメよ」
セルディは一礼して、カティのいる元へと歩き去った。その姿を見送りながら、アレクシスが公爵に云った。
「キャラが平民の子と交じるのは悪くないと思いますが、度を超すと考え物ですね」
「まったくだ」
親子は揃ってため息を吐いた。
そこへ家宰が来客を告げた。
「ボルト伯爵が新年のご挨拶にといらっしゃいました」
「うむ。分かった。すぐに参る」
メルリース公とアレクシスは暢気に話しているが、実はこの日は1年で最も忙しいと云っていい。公爵ともなると参列者がひっきりなしに挨拶にやってくるのだ。
昨年の交誼に対する謝辞と今年も引き続きよろしくという意味合いを持つ者、新しく誼を結びたいと願う者らが次々と訪問する。王家の血に連なり、王家に次ぐ権力と権威を持つ公爵家に取り入ろうとする貴族は、上級下級かかわらず多い。
公爵は挨拶を返し、年賀を受け取り、相手によって5~15分程度会話をする。その間、キャラも微笑みをたたえて立っていないといけないので、結構体力も使う。
10歳の時から毎年のことなのでキャラも慣れてきたが、今年は特に訪れる人が多い気がする。そっと伺うと、三公の一角を担うカルナック公のところは同じ公爵家と思えないほど訪問客が少なかった。現在のカルナック公のフリードリヒは病がちである上に、嗣子は女子しかいないという後継者問題を抱えている。多くの貴族からは将来がないと見限られているのである。
もう一つの公爵家ルノア公の元にも多くの貴族が訪問している様子だが、メルリース公家ほどではない。三公の中でも現在はメルリース公家の影響力が一番大きいようだ。
(王様がご病気というだけで呼び出されるくらいだもんね。こちらにとってはいい迷惑だけど)
かといって三公家が互いに牽制したり敵視したりしている様子は、キャラには見えなかった。
(まあ、王家には有望な跡継ぎ候補が二人もいるからね。いきなり選王会議になることはないでしょ)
選王会議とは王家の血筋が絶えた時や後継者がまだ幼い場合に三公で開く会議で、次の王や摂政を決めるという、極めて重要な議題を扱う。
「公女様もお久しゅうございます」
時折キャラと同世代の子女を持つ貴族が訪れ、その際には子女同士でも挨拶を交わすが、キャラにはカティ以外には仲の良い貴族の子女はいないので、会話はなく挨拶のみであった。
兄のアレクシスは対照的で、様々な貴族の子弟らと如才なく言葉を交わしていた。
「ご歓談の最中だが、失礼する」
壇上に上がった第一皇子で宰相のセレスが声を発した。ざわめきがピタリとやむ。
「皆の者も待ちかねたであろう。これより舞踏会の時間とする。音楽、始めよ」
数組の男女が広間の中心に出てくると、踊り始めた。
カティの周りには数人の貴族の子弟がいたが、チラチラと視線を遣る者もいるが、進み出るものはいない。
(そりゃそうよねぇ。下手したら自分より背が高い女と踊りたくはないよね。どうせ男爵家だから無理に誘う必要もないし)
カティは今日は壁の花になろうと思ったその時、背の高い青年が歩み寄ってきた。なぜか少し息が荒い。離れたところから急いできたと思われる。
「え、まさか…」
「セルディ・サン・クラリスです。カーテローザ嬢、わたくしと踊っていただけますでしょうか」
セルディはそう云って右手を差し伸べた。
一瞬自失して立ち直ったカティは、微妙な間の後でその手を取った。
「わたくしでよろしければ、ぜひ」
定型の挨拶を返すのがやっとだった。
二人はゆっくりと広間の中心、舞踏場へと向かった。そこではすでにほかの新人たちが踊っていた。
「じゃあ、いくよ、カティ」
「は、はい」
二人は踊りはじめた。
「おー、よくやった、セルディ」
「まったく、世話の焼ける二人だね」
二人を見守っていたキャラとアレクシスは胸をなでおろした。
しかしそれは早計だったらしい。
しばらくセルディとカティの舞踏を見ていた二人はそろってしかめっ面になった。
「うーん、それにしてもひどい」
「カティよ、お前もそう思うか。セルディめ、剣の修練だけして舞踏の稽古を怠っていたな」
二人は顔を見合わせて頷いた。
「おい、お前たち、何とかしてこい」
同じようにしかめっ面をした公爵が声を掛けた時には二人は立ち上がっていた。
「ほんとに世話が焼ける。行くぞ、カティ」
「ええ、行きましょう」
二人が舞踏場に文字通り躍り出ると、観衆からおお、という声があちこちで起こった。
アレクシスが一人を指名すると他の令嬢からのやっかみがひどいため、アレクシスはいつも妹と踊っていたが、二人は評判の舞踊の名手だった。二人の息も当然のようにピッタリと合っている。
二人は踊りながらぎこちない動きのカティたちに近付いた。
「セルディ、焦らないで私達の動きを真似するんだ」
「カティも私の足取りを真似して」
小声で二人に話しかける。そして、最も基本的な動きを中心にした踊り方に変えた。
セルディは必死に踊りを真似て、だんだん音楽の調べに乗ってきた。元々二人とも運動神経は有り余るほどだ。
「そう、それを繰り返せばいい」
セルディは礼を云う余裕もなく、しかしなんとかカティを先導できるようになってきた。
「あ、あの」なんとか足を動かしながらカティが小声で云った。
「誘っていただいて、ほんとに本当にありがとうございます」
「いや、俺こそ遅くなってすまなかった」
「急に広間の真ん中が使えなくなったから、ぐるっと周っていらしたんでしょ。早足できたのがバレバレでしたよ」
二人とも公邸にいたころに戻ったように、砕けた口調で話した。ようやく落ち着いてきたらしい。カティも当時の調子を取り戻したようだ。
「あの頃が懐かしいですね。まだ2、3か月しか経っていないのに。でもそんな短い間にずいぶん背が伸びたんですね」
「きみも伸びたじゃないか。より綺麗になったし。そのドレスもよく似合っている」
カティの足取りが乱れて危うくセルディの脚を踏みそうになった。
「ま、真面目なのは分かっていますが、不意打ちはダメです!」
「ん?そういうもんか?」
「そういうもんです。貴方だって、正装している姿は初めて見ましたけど――」そしてさらに声を小さくしてカティは続けた。
「素敵だと思いますよ。昨日も恰好、よかった」
そう云って見せた笑顔は、セルディのみならず、見ていた貴族の子弟たちの胸をも射抜いたのだった。
「なんだか莫迦らしくなってきました」
「我々の役目も済んだし、戻るか?」
「折角ですから、もう1曲踊りませんか。例のあの曲、習得しましたよ」
「ほう、そうか。ならば」
アレクシスは楽団の指揮者に合図を送ると二言三言話した。得心した指揮者は楽団に振り返り曲名を指示する。
その曲は非常に調子が速く、足取りも複雑で難しく、手を放して二人で別々の踊りをする場面では、少しでも失敗するとお互いの身体がぶつかって最悪女性は倒れてしまう。さらに調子はどんどん速くなっていくのだ。
ついていけなくなった組が次々と抜けてゆき、ついにはキャラとアレクシスの二人だけになった。そして踊り切ると、会場から万雷の拍手が沸いたのだった。
「技量を上げたじゃないか、キャラ」
「で、でも、しばらく、踊りは、無理」
キャラは肩で息をしていたが、アレクシスは軽く汗をかいた程度だ。
「なんで、兄さまは、そんなに平然と――」
「ははっ、鍛え方が違うのさ。キャラの課題はその持久力だな」
舞踏会はまだ始まったばかりだった。