南麟帝本義 第2章 第6話
パンディラ歴126年
壱月朔日
年が明けてパンディラ亜大陸に存する国々は、パンディラ歴126年を迎えた。
キャリアンティーヌ・デア・メルリースは14歳となり、セルディ・サン・クラリスは16歳となった。
元日のこの日は、公爵家は王家と共に王都の郊外にある、祖霊を祀る廟に赴き、新年の挨拶をすることになっていた。キャラらも日の出とともに出掛け、それをつつがなく済ませた後は一旦公邸に戻った。すでに午を過ぎているので、軽食を摂ってから「新年祝賀大宴」に出席するための準備を始めた。準備と云っても湯浴みから始めるので、特に女性は優に一刻(2時間)を超える。本人の結婚式、新王の戴冠式に次いで華やかで派手な衣裳をまとうことになるため、着付けが普段以上に大変なのだ。キャラとヴァレンティーヌの着替えもレーラのほかに3人の使用人に手伝ってもらう。いや手伝うことすらできず、二人はただ立って着せられていくだけだった。
女性に比べて男性の着替えは簡単だ。基本は正装をすればよいのである。メルリース公レイモンドは公爵としての正装を整え、勲章3つと褒章である紫綬と紅綬を付けた。アレクシスも父親に準じた正装を着付け、スーサ攻防戦の後に賜った碧綬を付けている。
ちなみに綬とは幅広の紐のことである。色によって位階が定められており、紫が最高位とされている。勲功の大小によって色が決められる。腰に下げたり肩から斜めにかけたりと付け方は人それぞれであった。
先に着付けを済ませたレイモンドとアレクシスはテラスで茶を喫していた。
「――では、陛下のお加減はそんなに悪いのですか」
「うむ。今日も新年の挨拶を手短に済ませ、乾杯の後はすぐに退出されることになった」
「それでは、その後大宴を仕切るのは———」
「まあ、セレス王子であろうな」
セレス・ヴォン・アンティウスは第一王子である。宰相の職に就いているから、王の代理を務めるのには最適であろう。
「……セリク王子が横やりを入れないといいですけど」
セリクは第二王子で軍の最高司令官を務めている。
「諸侯が集まる大宴でそれは無いだろう。そこまで無能な方ではない」
「いっそ無能であった方が確執は生まれなかったかもしれませんね」
「滅多なことを云うな。わしとて抑えてるんだぞ」
そう云って公爵は溜息を吐いた。
「王子と云えば、ギルバリアの状況も気になるな。ギルバリアの場合は皇子だが」
「3人いるけれど関係は良好とお聞いておりますが」
「良好なのは上2人だけさ。第3皇子の母親は平民上がりらしい。冷遇というか、兄たちにいいようにこき使われているようだ」
「そうなんですか。うちの間諜も優秀ですね」
そう云ってからアレクシスは顎に指を添えた。それが思案にふけるときの癖と知っている公爵は、フッと微笑って紅茶を飲み干した。
キャラたちが化粧部屋から出てきたのは、四半刻近く経ってからだった。キャラは碧系の様々な色を、ヴァレンティーヌは紫系の夜会服で身を包んでいた。それぞれ瞳の色に合わせたのである。ヴァレンティーヌは全体的に細身に仕上がり、キャラは裾がふわりと広がっている。
女性2人が加わって、テラスは急に賑やかになった。
「ねえ、やっぱりここの帯は黄色の方が良かったかな」
「緑でも良くてよ。それにカティに併せて緑にしたんでしょう」
「だから帽子の羽根飾りを緑にしてさぁ――」
「大丈夫。うちの公女様は王宮でもきっと2番目に素敵よ」
「……1番は自分だって云うんでしょ」
「おほほほ。大宴なんてそれぐらいの気持ちで臨まないとダメよ。――あら、何を飲んでいらしたの?」
「紅茶だよ。カルラ産の良いのがあった」
夫人の問いに侯爵が答えた。ヴァレンティーヌは控えている侍女に云い付けた。
「いいわね。わたくしにも淹れてくれるかしら。キャラ、あなたは?」
「わたしは冷えたお水がいいわ」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
侍女が退出すると、キャラは兄に目を遣ったが、その姿を見て声を掛けるのを止めて父に問いかけた。
「兄様はまた考え事?」
「そのようだな。ギルバリアの皇室の事情が気になるらしい」
「父上。今月の末頃にギルバリアと港の使用権についての定例会が有りましたよね」
「あるが、皇室の者は来ないぞ。担当大臣と商人の代表が来るくらいだ」
「今回も王都に行く前にメルリース領に立ち寄るのですか」
「今のところはそうなっておる。先日書状も来てたしな」
「その日の会食にわたしも参加させていただけませんか」
「公嗣たるおまえが加わっても問題ないだろう。なんだ、ギルバリアが気になるのか」
「いえ、ギルバリアに限らず、そろそろ諸外国の事情を把握しても良いかと」
「ふむ。国同士の外交は王家の者が行うが、商人と交誼を結ぶのは我が領にも益となろう。良いぞ」
「ありがとうございます」
「私も外国の話を聞きたい!」
「あまり公家の者が出しゃばるのも余計な軋轢をうむきっかけになりかねないからな……考えておこう。なんだ、キャラ、最近政治や経済に興味が向いているのか」
「そりゃあ、公女ですから」
キャラは運ばれてきた水の入った盃を受け取ると、喉を鳴らせて一気に飲み干した。それを見てアレクシスが笑いながら云う。
「では、普段の言動ももっと公女らしくしてほしいな」
「家族だけなんだからいいでしょう。公の場所ではちゃんとしてます!」
キャラが憤慨したところへ執事が入ってきた。
「馬車の準備が整ってございます」
「ご苦労。ではそろそろ行くとするか」
「やっとカティと逢えるわ――あら、レーラは?」
「いま、終わりました」
丁度侍女用の衣装を着たレーラがやってきた。
「いいね、レーラ可愛いわよ。ほかの娘たちも着替え終わってた?」
「はい、皆さん着替え終わってます。レーラとおなじ服です」
「そうね、大宴ではどこの侍女か判りやすいようになっているからね」
「みな準備が終わったなら行くぞ」
侯爵一家の4人は車寄せに向かった。メルリース公家の紋章を付けた2頭立ての馬車に乗り込む。レーラは他の使用人と共に別の馬車に乗って行く。
(カティ、もうすぐだね。あなたはどこか変わったのかしら)
王宮までは半刻もかからない。
お披露目を迎える者の紹介は、通年は大宴が始まって半刻ほど経ってからだったが、この年は王の体調不良を理由に乾杯の後すぐに行われた。
今年お披露目の対象となるのは、男性5人、女性4人だった。9人は玉座の前に王の方を向いて一列に並んだ。右から親の爵位の高い順になっている。カティは左から3番目だった。左端の2人は王家御用達の商人らの娘であったから、貴族では一番下の位ということになる。しかし臆することなく堂々と立っていた。
1人ずつ名前を呼ばれ、国王と列席者に名前と挨拶をするだけだが、注目されることに慣れていない地方出身者の中には、挨拶を噛んでしまう者もいた。
「いよいよカティだわ」
キャラは席から身を乗り出したが、母に嗜められて席に腰を下ろした。
カティが1歩前に出た。気品に満ちたその姿は、キャラが見紛うほどだった。
他の娘のように華美な装飾こそ少なかったが、様々な色合いの緑色を散りばめた衣裳はカティの均整の取れた肢体を際立たせていたし、翠の瞳によく似合っていた。
(あらぁ、随分背が伸びたのね)
元々同年代の中でも身長はある方だったっが、さらに伸びたようだ。男性を含9人の中では9人の中では、文字通り群を抜いていた。
この時代、背が小さく柔らかい印象を与えるくらいの丸みを帯びた姿が「女性らしさ」とされていた。しかし、背が高く手足も細長いカティの姿を見て、キャラは素直に美しいと感じた。
「ギズモンド・ディル・サーク男爵の娘、カーテローザ・ディラ・サークと申します。お見知り置きくださいますよう、お願い申し上げます」
カティはまず国王に向かって挨拶をすると、次に180度向き直ると立ち並ぶ参列者たちにも同様の挨拶を行った。
参列者の拍手の中にはおざなりなものもあり、キャラは密かに腹を立てた。
カティが8人の列に戻り、残り2人の挨拶が終わると一旦解散となり、国王は退出した。
その後は第一王子が取り仕切り、しばし歓談の時間が取られた。
「メルリース公爵閣下並びに公爵夫人ヴァランティーヌ様、カーテローザでございます。新年あけましておめでとうございます」
サーク男爵の挨拶の後に、カティも続けた。さらにアレクシスたちの方を向いて云う。
「アレクシス公嗣様、キャリアンティーヌ公女様、あけましておめでとうございます。ご無沙汰しております」
そして一礼する。
「カーテローザさん、あけましておめでとう」
キャラも淑女の礼を返すが、礼儀を尽くすのもそこまでだった。
「カティ、本当に久しぶり! まだ半年も経ってないなんて信じられないわ」
「キャラ様もお変わりないようですね」
「貴女は変わったわ、カティ、大きくなっちゃって」
「ちょっと身体を鍛えようと色々してたせいか、急に背が伸び出して。もう十分だから伸びなくていいと思ってたのにですよ。ちょっと大きすぎですよね」
「そんなことないわ。より綺麗になっちゃって。ねえ、兄様」
「ああ、どこから見ても立派な貴婦人だよ」
カティは顔を赤くしながら答えた。
「そんな、お世辞をおっしゃらなくても…」
「私はお世辞は云わないよ。本当に綺麗だよ」
「あ、ありがとうございます!」
それから少し離れたところに立つ青年に気が付いたらしく、カティは声を掛けた。
「あら、なんでこんな所にいるんですか?」
「これ、カティ!」
侯爵家以上の者にしか授けられない碧綬が腰から下げているのを認めたサーク男爵は娘を嗜めた。この場には平民も数人いるとは云え、貴族社会の中では下級とされる男爵は、過敏になっているようだった。
「これは失礼をいたしました。お初にお目にかかります。ギズモント・ディル・サークと申します。男爵位を賜っております」
「ご丁寧にありがとうございます。セルディ・サン・クラリスと申します。本日は父の名代として参りました。お嬢様とはメルリース公爵家にいらした際に親しくさせていただいておりました」
さすが侯爵に相当するサン・クラリスの嫡子である。公的な語調もスラスラと云えていた。
「おお、サン・クラリスの。以後、お見知りおきを」
それからじっとセルディの顔を見た。
「あの、なにか?」
「ああ、やっぱりそうだ。昨日、御前試合に出られておりましたな。娘が熱烈に応援していた方だ」
「ちょ、ちょっと何を、お父様!? わ、私はただ知っている方がいたから応援しただけですわ。と、当然のことでしょう?」
「ふーん、熱烈に、ね」
後ろでやり取りを聞いていたキャラが割り込んで来た。扇子で口元を隠しているが、目は笑いをこらえきれていない。
「ちょっと、キャラ様までなんですか!?」
「そうなのか、ありがとう。情けない結果になってしまったが」
セルディは素直に答えた。
「そ、そんなことありませんわ。史上最年少の奨励賞じゃないですか」
珍しく慌てふためくカティは、くるっと父親に向き直って云った。
「さ、さあ、お父様、次の方のところに参りましょう」