087 形は違えど毒は毒
アミに引っ張られて、なぜか誰もいない隣室に連れ込まれたメアリー。
彼女はそのままベッドのところまで移動させられ、布団の上に座る。
アミは何を考えているのか――そんなメアリーの前に立つと、「えいっ」と言って彼女の隣に座った。
そしてニコニコと笑う。
意図はわからないが、かわいいのでメアリーも笑い返した。
そのまま見つめ合うこと数十秒。
間に耐えきれなくなった彼女は口を開く。
「あ、あの……二人きりになりたかっただけ、ですかね?」
「ううん、違うよ。ルヴァナを出る前に私、お姉ちゃんに言ったよ」
「言った……?」
記憶を振り返るメアリー。
すぐさま思い出す。
『今度は私にもキスしてね』
ルヴァナを去る直前、アミがそう言っていたことを。
メアリーの顔はたちまち赤くなり、無言で顔を近づけてきたアミの肩をぐっと押し留めた。
「ストップです、アミちゃーんっ!」
大声をあげたかったが、外にバレるとまずい。
なので音量は抑えつつも、しかし語気を強めてそう言った。
アミの頬がぷくっと膨れる。
「ま、待ってください、その……私がカラリアさんとキスをしたのは、アルカナのせいですから!」
「でもしたんだよね」
「しましたけど!」
「お姉ちゃんとカラリア、たまにいい雰囲気になってる」
「そ、そうですか?」
「そうだよぉ! 私は、別にお姉ちゃんを独占したいわけじゃないけど――他の人に取られると思うと、もやもやしちゃう。私のファーストキスももらってもらわないと、不安なの!」
「アミちゃん……」
それは要するに――アミがメアリーに、そういう好意を抱いている、ということであって。
いや、メアリーとてまったく可能性を考えていなかったわけではない。
おそらくそれは崇拝と紙一重。
命を賭けて救ったメアリーに対し、アミも命を捧げて報いたいと、そう思っているのだろう。
「それにね、お姉ちゃん大事なこと忘れてるっ!」
「なんですか……?」
「呼び捨て!」
「へ? あ……ああっ、そ、そういえば……」
最初にアミが『お姉ちゃん』と呼んだとき、彼女はメアリーに呼び捨てを求めたはずだ。
だがいつの間にか『アミちゃん』呼びに戻っていた。
まあ、メアリーは基本的に誰に対しても敬称を付けて呼ぶので、その癖なのだろうが、アミはずっと気にしていたようだ。
「……アミ」
恐る恐るメアリーがそう呼ぶと、アミは満足げに笑う、
「うん、そうだよっ。お姉ちゃんと私は姉妹なんだから、それでいいの」
「アミ、ではこれで――」
「それはそうとして、キスはするよ」
逃げようとするメアリーの腕を、アミが両手で抱きしめた。
振り払えば抜け出せるが、さすがにそこまで邪険にはできない。
また、アミから発せられる謎の迫力に圧されたこともあり、メアリーは素直にベッドに座り直した。
「お姉ちゃん、嫌?」
「嫌では、ないです。ただ、急すぎると思いまして……」
「うん、わかってる。私だって急ぎすぎだと思う。けど、それぐらいしないと間に合わないから。やりたいと思ったら、思ったそばから全部やろうとしないと、時間はあっという間に過ぎてっちゃうから」
「それは――そう、ですよね」
一ヶ月という時間はあまりに短い。
アミが『運命の輪』に命を捧げてからすでに五日が経過した。
まだまだ時間は残されている――とはいえ、着実にカウントダウンは進んでいる。
アミも少しずつ、死が近づいていることを実感しはじめたのかもしれない。
「迷惑なら、そう言って。私も、お姉ちゃんが嫌なことはしたくないし――その、卑怯なこと言ってるって自覚も、あるから」
「それを卑怯だと思う必要はありません。悔やむぐらいなら、私はわがままでいてくれたほうが嬉しいです」
「ふふふ……優しい。やっぱお姉ちゃんのこと好きだな、私」
真っ直ぐな言葉と、真っ直ぐな好意――あまりに純粋なその想いを至近距離で向けられると、『報いたい』と思うのが人の本能。
いや、そう思う時点でメアリーもまた、アミへの愛情を抱いているということなのだろう。
メアリーは指先でアミの髪に、そして耳の縁に触れると、自然と彼女に返事をしていた。
「私もアミのことが好きですよ」
きっとそれは、友情とか、守りたいという想いとか、そういうもので。
恋とは別の感情だ。
だが一方で、アミのいかなる欲求にも答えたい、と思っているのも事実。
唇を捧げるだけでそれが叶うのなら、なんて簡単なんだろう。
「じゃあ、キス……するね。していいよね?」
「ええ、もちろんです。いつでもどうぞ」
優しく微笑むメアリーは、すっかり余裕を取り戻した様子だった。
一方で、アミはメアリーの顔を見たまま、ごくりと喉を鳴らす。
そしてぎゅっと目をつぶると、ゆっくりと顔を近づけた。
唇を突き出した愉快な顔に、メアリーは思わず笑いそうになったが、ぐっと我慢する。
そのままアミは突き進み、ついにその顔は――メアリーの頬に衝突した。
「んむぅ?」
何か、広い――思っていたのと違う感覚にアミは目を開く。
そしてそれが唇ではなく頬だと気づくと、慌てて顔を離しトマトのように赤面した。
その愛らしさに、思わず頭を撫でるメアリー。
「ふふふっ、最初から目をつぶっていては当たらないのは当然です」
「ううぅ……で、でも顔が近づくと、恥ずかしくて見てられなくてっ」
「一緒に寝てるときは、あんなに近くでじっと見てるのにですか?」
「キスするって思うとぜんぜん違うのっ!」
意識してしまう、というやつなのだろう。
気持ちはわかる。
メアリーの胸だって高鳴っている。
だが今は、それ以上に、この少女が愛おしいと、そう思う気持ちが上回っていて――
「あ……」
メアリーは自然な流れでアミの頬に手を当てると、自ら唇を重ねた。
それはふわりと触れるだけの、優しいキス。
とはいえ、メアリーもまったく恥ずかしくないわけではないので、頬はしっかり赤くなっているのだが。
顔を離した彼女は、惚けた表情のアミに対して言った。
「アミのファーストキス、もらいましたよ」
メアリー自身、『少しかっこつけすぎたかな?』と思うほどのキザなセリフ。
それはアミから見れば、まるで王子様に唇を奪われたかのようなシチュエーション。
彼女は何かをメアリーに伝えたいらしいが、感情が空回りしすぎて、口をパクパクするばかりで何も聞こえてこない。
「アミ、落ち着いてください。まずは深呼吸です」
「すぅぅぅ……はあぁぁ……お、お姉ちゃんっ!」
「はい、なんでしょう」
「あのねっ、あの……すっごく……よかった……よ」
「ふふふふっ、面と向かってそう言われるとさすがに恥ずかしいですね」
「今度はっ、私からするから。そのときはよろしくね!」
「いつ、するんです?」
「……今日の戦いが終わったあととか?」
どうやらアミは、日常的にキスするつもりらしい。
それに気づいたメアリーだが、今さら引き返すこともできず、今後をどう乗り切るか頭をフル回転させて考えていた。
◇◇◇
事を終えて、元の部屋に戻ったメアリーとアミ。
「おかえりぃー」
キューシーはニヤニヤと笑って二人を迎える。
目をそらして赤らむメアリーと、同じく赤くなりながらも、幸せそうに彼女に腕を絡めるアミ。
「どうやらうまくいったらしいな」
カラリアは余裕のある笑みを浮かべながら言った。
「いいのかなー、カラリア。このままじゃお姉ちゃんを私に取られちゃうよ?」
「別に争奪戦はしていない」
「むぅー、これがファーストキスを奪った人の余裕……!」
バチバチと火花を散らすアミとカラリア。
その様子を半ば呆れ顔で眺めるエラスティス。
すると、困った様子のメアリーが口を開いた。
「あ、あのぉ……一つ、いいでしょうか」
「どうしたメアリー」
「実は私、カラリアさんがファーストキスではないんです」
「……お互い様なら、と思っていたが。メアリーが違うのではアンフェアだな」
「ええぇぇえっ!? お姉ちゃん、じゃあ誰なのっ!」
騒ぐアミと、少し残念そうなカラリア。
カラリアも割と初めてということを気にしていたらしい。
一方で窓際の椅子に座っているキューシーは、テーブルに肘を突き、何やらうんざりした様子だ。
どうやら彼女には、すでに“オチ”が見えていたようで――
「お姉様、です」
メアリーが照れながらそう言うと、キューシーは「でしょうね」と言いため息をついた。
「なーんだ、それなら仕方ないよ」
「姉妹ならノーカウントだな」
アミとカラリアも、知らない誰かはなかったことに安堵する。
しかし当のメアリーは、その反応に納得がいかないらしく、
「いえっ、あれは間違いなくファーストキスです! 姉妹でもカウントはするんですぅっ!」
必死にそう主張していた。
“攻める側”の心の余裕ゆえか、戦いの前だというのに部屋の雰囲気は明るく――そのまま陽は落ち、外は暗くなっていった。
◇◇◇
「ふんッ! ふぅんッ!」
薄暗い小屋の中で、男のむさ苦しい掛け声だけが響く。
オックスは戦いの無い間、ただただがむしゃらに剣を振り続けていた。
たとえアルカナが無くとも、おそらく彼は最強の剣士として王国に名を轟かせていただろう。
その理由がそこにある。
ただただ剣の道だけを歩み、ただただ剣のためだけに生きる――そう、フランシスに出会うまでは。
「フランシス様ッ! ふんッ!」
その日から、彼の剣はフランシスのために振るわれるものに変わった。
愛に生き、愛に死ぬ――それこそがオックスという男の生き様なのである。
誰に気持ち悪いと言われようとも、彼は自らの道を歪めるつもりはなかった。
「フランシス様あぁッ! はあぁッ!」
「おい、うっせえんだよオックス」
タバコの煙を吐き出しながら、木箱の上に座るクルスが言った。
彼はかなりのヘヴィスモーカーのようで、小屋はむさ苦しいだけでなく、煙臭い。
「貴様のタバコに口を出していないんだ、これぐらいは我慢しろ」
オックスは彼を軽蔑するように言った。
上はタンクトップ、下は短パン、靴はサンダル――と、オックスとは対照的にだらしないクルス。
到底、メアリーたちと戦うアルカナ使いとは思えない服装だ。
趣味の合わない二人が、狭い空間に何時間も閉じこもらなければならない。
それだけで相当なストレスだろう。
「フランシス様ッ! フランシス様ぁッ!」
クルスの苦情を無視して、剣の鍛錬を再開するオックス。
「チッ、外がこんなに暗いんじゃ、チャリオットのチューニングもできやしねえ。イライラするぜ……あー、イライラする……!」
悪態をつくクルスは、不貞腐れ、背中を壁に預けた。
すると、彼の背後からコツンと小さな音がする。
ネズミや虫だっている、違和感を覚えるような音ではなかった。
だが少しして、クルスは鼻を鳴らし、何かを探るようなそぶりを見せる。
オックスは素振りを中断して、彼のほうを見た。
「獣でも近づいてきたか?」
「いや……何か焦げ臭くねえか?」
「……確かに、弾けるような音もするな」
「まさか――おいオックス、確かエラスティスからの定期連絡が無かったって言ってたよな」
「ああ、敗北した可能性が高い」
「裏切ったんじゃねえのか」
「こちらの位置が把握されていると?」
そうしている間にも炎は燃え広がり、小屋を包んでいく。
クルスはすぐさま出口に向かって走った。
扉を開く。
その向こうには――白い壁があった。
「馬鹿なっ、ふさがってやがる!?」
「クルス、何をして――これは、壁か?」
「やっぱバレてんじゃねえか。裏切ったんだよ、エラスティスのやつ! メアリーたちと組みやがったんだ!」
「いや、それにしては攻撃が回りくどい――まあいい、退け。僕が破壊する!」
オックスは宝石で装飾された、刃渡り一メートルほどの剣を高く掲げた。
物理的に力を込める。
同時に、体にみなぎる魔力も腕に集中させる。
血管が浮かび上がり、さらにボコォッと腕が一回り肥大化する。
そのまま振り下ろせば、必殺の一撃が放てる。
そんなタイミングで――
「……う、あ?」
魔力の矢が彼を貫き、その体がぴくりと震えた。
湧き上がる感情。
今はなき王女への愛情が、止めどなく溢れ出す。
彼は剣を降ろすと、両腕からだらんと力を抜き、膝をついた。
「おいオックス、何してやがる。こっちまで火が回ってきちまう、早くぶっ壊せよ!」
「……さま」
「オックスゥ!」
「フランシス様、フランシス様、ああフランシス様。なぜ、なぜ、なぜあなたは死んでしまったのですかああぁ……!」
両手で顔を覆い、指を肌に食い込ませ、血をにじませながら彼は嘆いた。
「フラァァァンシス様ああぁ……おおぉ……フランシス様ぁ……愛するフランシス様あぁああ……!」
「クソ野郎が、肝心なところで役に立たねえ! こうなったら俺が……このッ! こんのぉっ!」
クルスは出口を塞ぐ骨に体当たりするが、びくともしない。
そうしている間にも、火は広がり、煙が迫ってくる。
「まだまだあぁぁああ――あ、あ?」
すると、再び矢が敵を貫いた。
今度はクルスの頭の中が、“愛しい物”に支配されていく。
「チャリオット……チャリオットぉぉおおおお! どこだよぉっ、俺の愛車っ、俺の大事な大事なチャリオットぉ……会いてぇ……会いてえぇぇえ!」
「フランシス様っ! フランシス様あぁぁぁあっ!」
オックスとクルスは完全に“クピドの矢”により正気を失い、駄々をこねる子供のようにじたばたと暴れる。
◇◇◇
「終わったわ、もうあの二人は動けない」
小屋から遠く離れた場所で、エラスティスはそうつぶやくと、弓を下ろした。
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