043 ブラッド
「事の始まりは、二十年以上前。当時、ピューパ・インダストリーに所属していた『正義』のアルカナ使いが、“現代ホムンクルス理論”を提唱した」
(そんな昔から始めるわけ? 痛いんだけど……)
キューシーの様子など気にも留めず、血に汚れたカリンガは自分の世界に浸る。
◇◇◇
ヘンリー国王はホムンクルス理論に目をつけ、多額の金を投入した。
その研究は、彼の“夢”にちなんで、ワールド・デストラクションと命名された。
ヘンリーが抱いていた夢――それは“真の世界平和”という、あまりに胡散臭いものだった。
ホムンクルスの生成には、二人の人間の血液が必要となる。
提唱者である『正義』自身が最初に被検体となり、血液を提供した。
その血は様々な魔術師の血と交わり、多くのホムンクルスを生み出した。
彼らは研究機関において、アルファタイプと呼ばれた。
まだ幼い彼らは、ピューパの施設で育てられた。
環境は悪いものではなく、施設内であればある程度の自由が認められたし、食事も、教育も、何なら愛情だって与えてくれた。
しかしそんなある日、『正義』が一人の子供を連れて失踪した。
どうやら彼女は、無尽蔵に命を生み続ける自分の研究が怖くなって逃げ出したらしい。
数年後、『正義』の血の備蓄も無くなり、異なる血液を使ってのホムンクルス生成が行われるようになった。
血液提供者は、ヘンリー国王と、当時の王妃であるブレア。
そうして生まれた子供たちは、ベータタイプと呼ばれた。
ホムンクルスは、普通の子供と同じように、両親の特徴を引き継いで生まれてくる。
だが、男女でどちらの親に似るかが固定されるという点で、普通の子供と異なる。
ゆえに、男の子であればヘンリー国王に似た、女の子であればブレアに――つまりはフランシスに似た顔の子が、何人も生み出された。
ベータタイプの誕生から、三年が経過した。
アルファとベータの子どもたちで、施設もにぎやかになってきた頃――新たなホムンクルスが誕生する。
金色の髪。
白い手足。
フランシスとは似ていない顔つき――明らかにこれまでとは異なる外見。
『おお、これこそが私が望んだ器だ……!』
カリンガは、たまたま見かけたヘンリー国王が、興奮を抑えきれない様子だったことをよく覚えている。
その赤子は、国王によって直々に“メアリー”と名付けられた。
メアリー誕生からほどなくして、施設の研究員たちは急に忙しそうになった。
ついにワールド・デストラクションが決行される――カリンガを含む子どもたちは、そんな噂を聞いた。
それこそが、ヘンリーの語る“真の世界平和”に必要なもの。
ホムンクルスの生成は、その過程に過ぎない。
実験が成功すれば“真の世界平和”が訪れるはずだった。
結論から言えば、実験は失敗した。
何が起きたのかを知る人間はほとんどいない。
どうやら、誰かが外部から邪魔をしたらしい。
そして、それは取り返しのつかない失敗だったらしい。
研究員たちは落ち込み、なぜか繰り返しカリンガたちに謝った。
それから少しして、施設の閉鎖が決定し、子供たちは“里親”となる貴族に預けられることになった。
ホムンクルスたちは、別れを惜しんだ。
彼らは家族同然に育ってきたからだ。
だが、生きていればまた会える、そう互いに励まし合って、それぞれの道へ進んでいった。
カリンガを受け入れた貴族は、他にも四名ほどの子供を引き取っていた。
初対面の彼は、笑いながらこう告げた。
『今日からは、私が君たちの家族だ。お互いに、変に遠慮せずに、真の家族となれるよう努力しあおう』
少なくとも、そのときの表情や言葉は優しそうだった。
不安で胸がいっぱいだったカリンガは、仲間と共に、少しだけ安堵したことを覚えている。
屋敷にやってきてから初日の夜遅く、一人の少年が貴族に呼び出された。
彼はその日のうちは戻ってこずに、外が白む頃になってようやく姿を現した。
全身あざだらけだった。
歯はほとんど抜けていた。
雑に体中にピアスが突き刺されていた。
髪はアンバランスに切り落とされていた。
指はおかしな方向に曲がっていた。
瞳から――光は失われていた。
その時、カリンガたちは知った。
自分たちの未来が失われたことを。
そして継続的に使われ続けた少年は、一週間後、命を落とした。
死体は、カリンガたちに与えられた地下室に放置された。
彼と仲の良かった少年は、その死体を抱き枕のようにして、大事に取り扱った。
腐敗して異臭を放つようになっても、なお。
その様子が貴族の欲望を刺激したらしく、彼は次のターゲットとなった。
残る三人は怯えた。
とにかく怯えて、部屋の片隅で体を寄せ合って過ごした。
食事もまともに喉を通らない。
痩せこけ、意味不明な言葉を発するようになり、ストレスから髪も抜け落ちていく。
そうこうしている間に、一ヶ月ほどで二人目が死んだ。
『さすがに消費が激しすぎるか。あとは丁寧に扱おう、道具として』
変わらぬ表情で貴族は言った。
人の中には、善人の顔をして嘘をつける人間もいるのだと、初めて知った。
残る三人は、その言葉通り、とても丁寧に扱われた。
丁寧に、丁寧に、できるだけ苦しみが長引くように、殺してくれと頼んでも死ねないように、仲間を餌にして心を閉ざして逃避しないように。
それでも、一年目で一人が死んだ。
もうひとりは、三年目で死んだ。
カリンガは、最後の一人だからと大事にされて、十年生きた。
彼はもはや、自分の名前すら忘れていた。
何もかもを放棄することで、苦しみから逃れたかったのだ。
そのままいつか無になって、消えてしまえればいい。
そう思うようになった頃――転機が訪れる。
貴族が死んだ。
屋敷にいた全ての命が、一夜にして全て奪われた。
魔術師だっていただろうに、誰一人として、抵抗することすら叶わずに。
そして犯人はカリンガの前に現れ、手をのばす。
『よく生き残ったね。さあ、行こう』
『どこへ? 俺は道具だ。誰かに使われるしかない。でも、こんな汚くてボロボロの道具、誰が使いたがるんだ』
『もう道具なんかじゃない。ここから先の人生は、君自身が主人公として歩くんだ。自分の意志で』
『俺が……主人公……』
気づけば、カリンガはその手を取っていた。
現に、その先に希望はあった。
世界の滅亡。
この救いようのない世界の終わりを、自分たちの手で選ぶという、まさに主人公らしい結末が。
◇◇◇
「そして俺は連れて行かれた先で、かつての兄妹と再会した。薬漬けにされたヘムロックの姐御、顔を失ったアオイ、他の連中も似たような傷を背負って。それでも、生き残ってるだけ俺らはマシだった。だが、これだけ悲惨な有様でも、俺らの存在が表沙汰になることはなく――なおも、ワールド・デストラクションは続いてたんだ。形を変えて、金稼ぎの道具としてな」
カリンガは、記憶の全てを詳細に語ったわけではない。
それでも、かいつまんで話した部分でさえ、結構なボリュームだ。
(話、長いっつうの……体、寒い……死ぬかも……聞くこと聞いたし、もう、終わって、いいかしら……)
現在進行系で、キューシーの命が流れ出している。
元々、戦闘慣れはしていない彼女だ、もちろんこの手の苦痛にだって慣れていない。
ボロボロになって、死にかけてもなお、立ち上がって戦う――そこまでぶっ壊れちゃいないのだ。
「魔術評価の低い弱小貴族から、あるいは商売で成り上がった魔術師じゃない金持ち連中を、アルカナ使いになれると騙して、俺らを踏み台にした研究で王国が金を稼ぐ! こんな邪悪、あっていいはずがない! 主人公として見逃すことはできないッ!」
なおもカリンガの話は続く。
すっかり熱が入り、自分の世界に入りこんだ彼は、口から飛沫を撒き散らしながら怒りを吐き捨てた。
「そしてッ! お前のように、王女のように、カラリアのように! 満たされた者が力を手に入れるという間違いも、見過ごすわけにはいかない! 断罪する、主人公の名のもとに!」
要するに、金でアルカナを買ったキューシーが気に食わないと、そういうことなのだろう。
他人から見れば、そう思われても仕方ない立場ではある。
「何か、言うことはないのか?」
もちろん、言いたいことなんて腐るほどあった。
だが、その全てを彼に言うには、いささか体力が足りない。
「お前の能力は、俺たちの犠牲の上に成り立っているんだ。胸が痛くないか? 申し訳ないとは思わないのか? 言ってみろ、キューシー・マジョラアァァァァァァムッ!」
だからキューシーは、激昂するカリンガを前に、力を振り絞って腕を上げた。
そして、彼に向かって中指を立てた。
「自分に酔ってて、キモい」
感情の逆撫で――なんてもんじゃない。
カリンガは目を見開き、あまりに強すぎる怒りに、怒鳴ることすらしなかった。
「――っ! そうか……そう、なのか。お前も同類だな、あの汚らわしい貴族と。商人というものは、どいつもこいつもこうだ! あの貴族もそういう人間だったなァ。生来の邪悪には、何を言ったところで無駄か! ならばそのままのたれ死――ね……ごふっ……あ……お?」
急に咳き込んだ彼は、反射的に口に当てた手を見つめる。
血で、真っ赤に染まっていた。
「演説、聴いてあげたんだから、感謝……しなさい、よ」
キューシーはニタァっと挑発するように笑う。
「ぐぶっ、ぼ、ご……こ、これは……体の……中……に……っ!?」
「ブラッディ……ジェリー……フィッシュ……人の血なんて、浴びる、もんじゃないわ」
それはカリンガがキューシーを殴った際に浴びた、大量の返り血。
それを能力でクラゲに変えたもの。
密かに、鼻や口から体内に侵入させていたのだ。
「が……はっ……! 主人公、が……ここで、倒れる、わけには……! こんな、簡単、に……!」
とうに体の中はズタズタなのに、それでも彼は倒れない。
キューシーにとってはどうでもいいこと。
しかし彼にとっては、語った全てが、人生の大半を占める重要な要素だったのだろう。
「だって、俺は、アオイ、を……みんな、を……」
しかし、いつまでも命は続かない。
瞳から命の光が失せて、体から力が消えて、カリンガは倒れた。
そのまま、二度と動くことはなかった。
キューシーは重いまぶたが、勝手に閉じないようどうにか耐えながら、浅い呼吸を繰り返す。
そして虚空へ向かって、愚痴っぽく、独り言をこぼす。
「あんたたちも、不幸なのかもしれない。血の繋がりは、大事なのかもしれない」
人を殺したことがないから。
命を捨てる覚悟がないから。
だからといって――背負うものが、無いわけではない。
「でもね……繋がってない、わたくしも、必死なのよ」
キューシーにも同じぐらいの強さで、譲れないものがある。
「お父様の、本当の、娘に、近づく、ために……がんばら、ないと……」
「キューシィィィィィッ!」
戦闘が終わった途端に、父が部屋から飛び出し、傷だらけの娘に駆け寄った。
少し遅れて、カラリアもエレベーターシャフトを蹴り上がり、最上階に姿を表す。
「おいキューシー、大丈夫か!?」
「キューシー、ごめんよキューシー! やっぱり僕が、先に犠牲になるべきだったんだ……!」
キューシーは死んだわけではない。
だが重傷の娘を前に、自分を責めずにはいられない。
カラリアは、そんな親子のやり取りに割り込めるはずもなく――
「一人で倒したのか……やるじゃないか」
手持ち無沙汰に腕を組み、カリンガの死体を見ながらそうつぶやいた。
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