138 権威が先か象徴が先か
ヘンリーの放った剣風が、メアリーを襲う。
(く……この風、飛ばされないよう耐えるので精一杯です……!)
両手で体をかばう彼女だが、その体は傷だらけになっていた。
「いい光景だな、メアリー。お前がすり減っていくのを見るには、ここが特等席だ」
ヘンリーは勝ち誇り、これっぽっちも本気を出していないかのような様子で、同じように剣を振り続ける。
メアリーはその場で両足に力を入れ、踏ん張ることしかできない。
「いい機会だ、ヘンリーという男が、何を考えてお前と接していたのか教えてやろうか?」
彼の全てを支配したミティスならば、心を暴くこともできるだろう。
だがそれが真実であれ、嘘であれ、メアリーの心を傷つけるものであるのは想像に難くない。
「前妻の死後、こいつは何度かお前を殺そうとしたことがある。物心付く前のことだ、覚えていないだろうな。あるいは、漠然とした父に対する不満や疑念という形で残っているのかもしれん。幼いメアリーの首に手をかけて――しかしその度に途中で止まってしまうのだよ。ホムンクルスを生み出した自分の罪だと思い出してな」
ヘンリーが苦しんでいたのは、紛れもない事実だろう。
ユーリィが勝手にフランシスと自分の血を混ぜたと聞いたとき、彼は相当困惑したはずだ。
それでも処分しなかったのは、ワールド・デストラクションが成功すれば、『世界』と一緒に消滅するはずだったからだ。
「終いには、その姿をフランシスに見られてしまい、咎められ、それから改心して“良き父になろう”と心に決めたそうだ」
また一つ、フランシスがメアリーを大切にしていた理由を知ってしまった。
知らないほうがよかったのに。
無条件の愛だと思っていたかったのに。
いや、信じなければいいだけの話かもしれない。
だが――その言葉には妙な生々しさがあって――
「それからは知っての通りだ。なかなかに父親らしい言動をしていただろう? しかし違和感もあったはずだ。当然だなあ、ヘンリーは必死に『メアリーは自分の娘だ』と言い聞かせていたのだから。そうしなければ“父”になれなかったのだから」
普通、父親はそんなことを意識せずとも父親だ。
いや、そういう父親も世の中にはいるかもしれないが――その根底にあるものは、娘に対する憎しみではないはずだ。
首を絞めて殺そうなどとは思わないはずだ。
「そんな彼が、キャサリンという心の支えを必要としたのも納得できる――」
浸るようにヘンリーは言った。
一瞬、その攻撃の手が止まる。
メアリーは一か八かで、即座に骨で弓を作り、魔力の矢を放った。
それはヘンリーの胸に当たると、光となって消える。
「今のは……そうか、『恋人』の矢か。残念だが、もはやヘンリーが自我を取り戻す可能性は無い」
「く……」
天使とは違い、まったくヘンリーには変化がない。
支配の強度が高いということなのか。
「しかしだ。そう、メアリーが言っていたように大体二年前ぐらいだったか。少しずつ“私”に心を侵食されていく中で――」
なおも彼は話を続けた。
メアリーの心をえぐるべく。
彼女はそんな中、次の攻撃を試みる。
「ん? 石がへばりついているな。そうか、今度は『教皇』か。だがこの程度の石化ではなあ」
わずかに石化した手の甲から石を剥がすと、ヘンリーの体はすぐに再生した。
条件は『ヘンリーの話をすること』。
そう定めて放ったアルカナの能力も、彼相手では気休めにすらならない。
「話を続けるぞ。ヘンリーの心が私に侵食される中で、彼の苦しみは驚くほどに和らいでいった。なぜだかわかるか?」
メアリーは応えなかった。
そのとき、一瞬だけ剣風が止む。
鎌を手に攻撃を仕掛けようと思った。
だが動き出すより早く――ヘンリーの姿がまたしても消える。
メアリーは後ろを振り向いた。
彼の姿は無い。
「お前を」
声は――横から聞こえてきた。
反撃――否、防御のために骨の盾と『女教皇』の障壁を重ねて展開。
刃が粘土でも切るように引き裂く。
メアリーの腕を飛ばし、体をずたずたに切り刻んだ。
「こうして」
血だらけで「あうぅっ」と苦しむメアリー。
その声を欲するヘンリーは、続けて斬撃を放つ。
「痛めつけられるからだッ!」
容赦のない連撃に、メアリーの体は使い古され、綿のはみ出た人形のような有様だった。
歯を食いしばり、震える脚でどうにか体を支える。
「もはや自分を抑圧する必要などない。なにせ操られているのだからなぁ。自分は悪くない、『世界』のせいだ、と――他人のせいにして、鬱憤を晴らすことができる」
「もう、やめなさい……!」
「娘との間に生まれたホムンクルスなど気持ち悪い」
「やめて……」
ああ、当然そう思っていただろう。
メアリー自身、自分の生まれをおぞましいと思ったのだ。
当事者である父が思わないはずがない。
だが、それが事実だからこそ。
この戦いの中で必要のない痛みだからこそ。
「お前のせいで妻は死んだ。顔も似ていない。フランシスが母のように接する姿もおぞましい。いっそ存在しないほうが――」
「それ以上、お父様を穢すなあぁぁぁああッ!」
叫ばずにはいられない。
感情のまま斬りかかるメアリー。
その鎌をヘンリーは軽く切り伏せると、片手で彼女の頭を掴み持ち上げた。
「余が言っているのは紛れもない事実だよ」
「う、ぐうぅ……頭が、割れる……ッ」
両手で引き剥がそうとしても、脚をジタバタさせてもびくともしない。
「お前がこの世に生まれたことを、祝福する者は誰もいない」
「いやっ、やあぁぁっ!」
ミシッ、と頭蓋骨が潰れる音がした。
脳が圧迫されていく。
眼球が飛び出ていく感覚がある。
「唯一愛してくれた姉すらもお前のせいで死んだ」
「あ……ああぁ……ああああ……!」
「そう、お前の存在そのものが、この世界にとっての呪いなのだよ! お前は最悪の絶望の中で死ななければならない!」
「うああぁぁぁぁあああッ!」
メアリーは、がむしゃらに背中から伸ばした骨の腕で、ヘンリーの腕を強く握りしめた。
今まで通りならびくともしないはず。
しかし――彼の腕は、ぶちゅりと潰れて千切れた。
「何ぃっ!?」
驚くヘンリーの手から逃されたメアリー。
すぐさま頭部の再生が完了し、顔を押さえた手の隙間から、彼をにらみつける。
「余の体から力が抜けていく……? 何か仕掛けてきたか。だがッ、未だ魔術評価で上回るのは余だ! そして心の折れたお前などォッ!」
刃がメアリーの首に迫る。
彼女はそれを、生成した鎌で受け止めた。
「はぁ……その程度で、私は折れませんよ」
「あれだけの話を聞かされて、まだ立ち上がるか」
「たとえ誰一人として、私の誕生を祝福しなかったとしても――」
骨の腕、『吊られた男』、『力』――それはひたすらに単純な、大振りの鎌による斬撃だった。
「今の私を愛してくれる人がいるからッ!」
「その程度の浅い感情でえェッ!」
二つの刃が衝突する。
火花を散らしぶつかり合うと、次の瞬間、ヘンリーの剣はひび割れ砕けた。
彼の見開かれた瞳に、舞い散る破片が映る。
「なぜだ……なぜお前が余を上回るッ!」
「はあぁぁぁあああッ!」
メアリーは問いに答えずに、彼を斬り伏せた。
血を噴き出しながら、深く袈裟懸けに引き裂かれるヘンリーの体。
わざわざ問わずとも、ヘンリーとてわかっているはずなのだ。
(最初に交戦したとき、お父様はあの玉座から動かなかった)
ただ余裕を見せているだけだとメアリーは思っていた。
(ですが戦車で突っ込んだとき、お父様はわざわざエントランスまで出て迎撃を行った)
徹底して余裕を見せるのなら、そこでも座ったまま止めたらよかったものを。
そうできない理由でもあったのではないか。
それらを踏まえた上で、フィリアスと共に観察していたときに気づいた。
ヘンリーの魔術評価の変動は、ある場所を中心点として変動しているのだと。
その場所とは――
「がはッ……そう、か。フィリアスめ、あれを破壊したかッ!」
彼が使っていた“玉座”であった。
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