128 リビングデッドが空を覆う
王都の空に、赤い肉の翼が羽ばたく。
天使となった兵士たちは、その瞳から赤い涙を流しながら散開した。
もちろん、メアリーたちのほうにも向かってくる。
「地獄みたいな光景ねぇ。あれ、全部魔術評価2万もあるのぉ?」
「合計で100万ですね」
さすがにキャプティスで戦ったデファーレたちよりは低いものの、あまりに数が圧倒的だ。
はっきり言って、絶望的な光景だった。
フィリアスは今すぐにでも逃げ出したい気分だ。
「足さないでよ王女様」
「大丈夫だよ、殺せばゼロだもんっ!」
アミは両手に1メートルほどの大きな車輪を掴み、前に飛び出した。
そして投擲。
高速回転し、旋風を纏いながら放たれた車輪は天使の胴体を真っ二つに引き裂く。
「まずは一匹――ってあれ、再生しちゃった。切れ味が鋭すぎたかなぁ」
分断された胴体が、肉の糸でつながって再び接着する。
天使はそのままアミに向かって突進した。
彼女もまた、天使に向かって突っ込んでいき、新たに生みだした両手の車輪で、敵の振り下ろす肉の剣と打ち合う。
アミは顔をしかめた。
力比べになると、どうしても天使のほうが上回る。
そして敵は空いたほうの手を彼女に向けると、炎の魔術を渦巻かせた。
放たれる火球。
のけぞり回避するアミ。
そのまま彼女は後ろに宙返りをして、空中に浮いた状態で車輪を投げた。
車輪は天使の目の前で傾き、横ではなく、縦になり――ホイール面を押し付けるように衝突する。
天使の体が、高速で動くスポークに細切れにされていく。
ブシャアァッ、と血肉を撒き散らしながら、再生する余地もないミンチに変えられていく。
一体目は仕留めた――そう確信したアミは、別の天使が頭上から迫った氷の弾丸を前に飛び込んで避けた。
「さて、わたくしのイメージ毀損も今日までよ。最後なんだから思いっきり気持ち悪く暴れなさい、わたくしの蟲たち!」
キューシーの足元――石畳の間に入り込んだ砂が、うぞりとうごめく。
砂の一粒一粒が羽を生やした蟲となり、まるで黒い霧のように滞空した。
前方斜め上に天使の姿。
彼は自らの腕をずるりと引き抜くと、それを弓へと変えて矢をつがえる。
キューシーはすかさずそちらに手をかざした。
蟲の大群が天使に殺到する。
矢が放たれるよりも先に腕が食いちぎられ、さらに胴体までもが食い荒らされた。
「あのガードの甘さなら、『女帝』のカモにできそうですわ」
自信ありげなキューシーは駆け出すと、すかさず次の天使を攻撃するよう、下僕たちに命令を下した。
だが相手もただやられるだけではない。
迫る蟲たちを、手から放った炎で焼き尽くす。
キューシーはすぐさま次の蟲を生みだし、相手との接近を避けながら絶え間なく攻撃を続けた。
「なるほどねぇ」
その光景を見ていたフィリアスは、顎に手を当てながらうなずく。
「要するに、再生できないぐらいギタギタにしちゃえばいいのねぇ」
「そういうことです」
「それなら私にもでき――おっと」
突如、フィリアスを狙って肉片が飛んできた。
彼女は首を傾けそれを避ける。
その肉片は、頑丈な石の壁をたやすく粉々に砕いた。
「怖いわぁ……」
「フィリアスさん、次が来ます!」
メアリーは骨の砲弾を放つべく、腕を上げる。
隣にいるカラリアも銃を構えた。
一方でフィリアスは落ち着いた様子で、天使を指差しながら言った。
「天使の名のもとに命ずる。“そこから動くな”」
大きめの声でそう宣言すると、空を飛んでいた天使が止まる。
羽ばたくことができなくなり、そのまま地面に落下する。
「今のが『節制』の……」
「早く仕留めなさい」
メアリーは背中から大きな腕を生やし、拳で天使を叩き潰す。
「はーあ、ついに見られちゃったわね」
「まだ種はわかりませんが」
「最後まで隠し通して戦いたいわぁ。それにしても、ちゃんと効いてくれると安心するわね。要するに意思があるってことだけど。かわいそうに」
「意思……?」
「種明かししたくないから秘密よ。とにかく、そういうものなの」
こんな状況で――と軽く文句を言いたい気分だったが、今はそんな場合ではない。
(肉体が変わるときも、彼らは苦しんでいました。支配すると言っても、完全に自我が消されたわけではないんですね)
なぜそんなことをしたのか。
完全に洗脳してしまえばいいはずだ。
メアリーはそう思ったが、考えるだけ無駄だと思考を放棄した。
敵の目的はヘンリーやメアリーの尊厳を破壊することだ。
嫌がらせのためなら何だってする、それだけの話だろう。
「また来たわ。固まってたら危険かもねぇ」
「私も前に出ます。お互い、生きて合流しましょうねっ!」
アミとキューシーに続いて、メアリーも天使の大群へと向かっていく。
手には巨大な鎌。
背中からは回転式機関銃。
まるで彼女を待っていたかのように、四方より迫る天使たちを、銃弾と湾曲した刃で迎撃する。
「戦い慣れない相手だろう、無理だと思ったら退いても構わんぞ」
カラリアも手にした黒い鞄を変形させ、背部と腕部のパーツを装着すると、あっという間に空へと飛び上がっていった。
向かった先には、敵からの攻撃を警戒すらしていなかった敵の姿。
手にした刀で切り抜くと、その威力に天使は赤い飛沫となって消える。
「みんなやる気に満ちてるわねぇ。言われなくても、ヤバくなったら逃げるわぁ。命あっての物種だもの」
そうこぼすフィリアス。
すると彼女の真横に、突如として天使が現れた。
まるで転移したようにも見えた。
だがそれは、単純に高速で移動しただけだ。
天使の肉体は『世界』の血で変形したもの。
すなわち、体そのものが魔力で動いていると言っても過言ではない。
つまり魔術評価はそのまま、身体能力の高さに直結するのだ。
人間離れした速度。
人間離れしたパワー。
再生頼りのガードの弱さという弱点を突かねば、この数を相手にするのは不可能だろう。
ゆえにアミの車輪による斬撃は有効打足りえなかった。
一方で、彼女に魔術評価で劣るキューシーは、物量で一気に食いちぎったことで、再生前に撃破できたのである。
天使は肉を変形させた剣を斜めに振り下ろす。
フィリアスは体を傾け、小さな動きで回避。
そして己も剣を抜いた。
刀身が炎を帯びる。
金剛石すら溶かすその灼熱の刃を、彼女は天使の胸に突き刺した。
「実は炎に弱かったとか、そんな設定なぁい?」
肉の脂も相まって、炎は一瞬でゴォッ、と天使を包み込む。
人肉が焼ける不快な匂いが立ち込める。
しかしこれが人なら一瞬で灰になって終わりだ。
彼らはそうならない。
焼けながら、焦げながらも、そのたびに再生を繰り返して、炎上したままフィリアスに剣を振り下ろそうとしている。
「面倒くさいわねぇ」
繰り出された斬撃を、後ろに飛んで避けるフィリアス。
先端が前髪をかすめる――タイミングはギリギリだった。
(近接戦闘はしたくないわぁ)
内心ひやっとしながら、なおもこちらに向かってくる天使に向かって、彼女は銃のように人差し指を向けた。
フィリアスの背中から炎の翼が生まれる。
「本物の天使の名のもとに命ずる。“お前は再生するな”」
瞬間、天使の動きがぴたりと止まった。
フィリアスの目の前で刃を天高く掲げたまま動かなくなり――
「う……あ、ぁああ……っ」
まるで人間のようなうめき声をあげながら、真横に倒れる。
その炭化した体が地面にぶつかると、バラバラに砕け散った。
「ふぅー、陛下と違って割と『節制』の効きも良さそうね。安心したような……胸が痛むような」
フィリアスは、罪なき兵士の亡骸を一瞥すると、背後に気配を感じて慌てて飛び退いた。
目の前を岩の弾丸が掠めていく。
それは奥の民家の壁に衝突すると、ほとんど音も立てずに貫通し、綺麗な円形の穴を作った。
「五百体だっけ。一人百体ノルマなんて笑えないわぁ」
フィリアスは、それぞれ異なる方向から迫る三体の天使を見て、大きくため息をついた。
◇◇◇
空中で天使を撃破したカラリアは、次の瞬間には八方を十体以上の天使に囲まれていた。
「慣れない空中戦などするものではないな」
天使たちが一斉に手をかざす。
そして、魔術評価2万という暴力的な数値から放たれる、威力に特化した魔術がカラリアを襲った。
「だが複雑な魔術が使えないのならばッ!」
背中のバーニアにより、カラリアは“下”へと加速する。
そもそもこの装備は、空を飛ぶためのものではない。
燃費も悪いため、長時間使いっぱなしにできる代物でもなかった。
まずはこの包囲網を突破すること。
とはいえ、完全に囲まれているため、どこを通っても魔術の回避は不可能だ。
ゆえに彼女は二丁拳銃を手に、前方より迫る炎弾を、氷塊を、その他有象無象の“基本魔術”を撃ち落としながら地表を目指した。
本来、王国軍のエリート兵ならば、もっと多彩な魔術が使えて然るべきだ。
だが天使たちは基本的な魔術しか使用しない。
おそらく半端に自我を残した弊害だろう。
異形の体と『世界』の支配に苦しみながら戦う彼らには、複雑な魔術を行使する余力などないのだ。
どうにか魔術の弾幕を抜けると、続けて天使たちがカラリアに迫り、手を伸ばして掴みかかってくる。
それもハンドガンで対処。
伸びる腕を吹き飛ばしながら、動きに余裕が生じたところで、マキナネウスを二丁拳銃モードからロングバレルモードへ変形。
なおも空中に浮いたまま、王城の前に立つ巨人に向かって弾丸を放った。
見事命中。
しかし、弾丸はまるで王城を包む結界に当たったかのように、弾けて消える。
(あの巨人も、力押しで倒せるものでもなさそうだな)
現状、こちらに攻撃を加えてくる様子はない。
城の防衛に専念していると見るべきだろう。
メアリーたちの作戦は、最初に天使の数を減らすこと。
触らぬ神に祟りなし――カラリアはこれ以上の攻撃は行わないことにした。
着地。
頭上より魔術の雨が降り注ぐ。
一発一発が、三メートル級のクレーターを生み出すような高威力の弾丸だ。
当たればカラリアとてただでは済まない。
まずは回避に専念する。
そして走りながらライフルを構える。
空中の天使に発砲。
敵は両手でガードしようとするが、腕ごと上半身を吹き飛ばした。
明らかに威力が上がっている。
同時に魔力消費も。
どうやらピューパの研究所で得た装置のおかげらしい。
魔術評価に換算すれば、3万――あるいはそれ以上の威力にはなっているだろう。
(やはり、明らかに私のために開発されたものだ。ユーリィ、この状況でも姿を現さないあの女は、一体何を考えているんだ―ー)
血のつながった母だ。
しかし、カラリアにとって彼女は、おそらくこの世で最も理解できない生物の一つだろう。
そして理解したいとも思わなかった。
だがこの疑問が解けなければ、武器を使い続けることで生じるこの得も言われぬ“気持ち悪さ”は消えまい。
「うあぁぁ――あ」
その瞬間、背後からわずかにうめき声がした。
振り向く。
刃が眼前に迫る。
慌てて体を捻った、
剣がカラリアの頬を切りつけ、血が流れる。
「チッ、考え事などしている場合ではないか!」
銃を変形、篭手に変える。
続けざまに次の斬撃を放とうとする天使。
カラリアは後ろに飛びながら、刀の柄を握った。
すでに相手は攻撃動作に入った。
彼女は遅れて刃を引き抜く。
だが――そこからの動作は、瞬きにも満たぬ須臾の刹那。
両断。閃光。粉砕。
剣を握る腕のみを残して天使は弾け飛ぶ。
バチィッ! という音はさらに遅れてやってくる。
肉がべちゃりと地面に落ちて、そのままどろりと腐って消えた。
「『世界』と『女教皇』、『皇帝』まで控えているというのに、節約などできそうにないな」
彼女は刀を収めると、再びライフルを手に、近づいてくる天使たちを次々と撃ち落としていく。
本当にキリが無い。
魔術評価2万の相手など、三体も倒せば大金星と呼べる戦果だろうに、それを三桁などと馬鹿げている。
しかし考えれば心が折れる。
今はがむしゃらに戦うしか無い、そうしなければ死ぬだけだ。
ただただ無心に、照準を合わせ、引き金を引く。
次の敵を探し、近い相手から撃墜していく。
それを繰り返していると――ふいに、天使たちが奇妙な動きを始める。
「ああぁ……いやだぁ、あいつに会えないまま死にたくないぃ……!」
「妻に……ひと目だけでも……」
「うっ、うわああぁっ! こんな体ではっ、会えない! もう誰にも会えないいぃぃ!」
両手で頭を抱え、体をくねらせながら、人の言葉で嘆いている。
あるものは自由落下して地面に体を叩きつけ、またあるものは錯乱しながら走り回る。
「な、何だこれは。新たなアルカナの能力なのか!?」
戸惑うカラリアだが、周囲を見回すと、弓を手にするメアリーの姿を見つける。
彼女は弓を手にしながら、しかし矢は持たずに弦だけを引いている。
その指が緑色に発光すると、同じ色をした魔力の矢が形作られた。
発射――真っ直ぐに飛んだ矢が天使の胸を撃ち抜くと、他の個体と同じように、彼も苦しみだした。
「『恋人』のアルカナ! そうか、天使たちにわずかに残った意識をあれで引きずり出したのか……!」
呼び起こされるのは、他者を想う気持ち。
どこかに残して来たであろう、愛する人を思い出し、その苦悩が『世界』による支配を上回ったのである。
もっとも、それは代償として、彼らをさらに苦しめることにはなるが――
「これしか救う方法は無いんだ。許せ」
カラリアは動きが鈍った天使の頭を撃ち抜く。
上半身が吹き飛んで、下半身だけでは再生しきれずに、しばらく痙攣して息絶えた。
「たまには気分良く戦わせてもらいたいものだ」
後味の悪さに、思わず愚痴だってこぼれる。
メアリーの矢が撃ち抜けるのは、その都度一匹のみ。
倒すよりは遥かにかかる時間も負担も少ないため、有効的な戦い方ではあるが――全ての天使の動きを止めるには程遠い。
とはいえ、少しは回避に余裕も出てきた。
攻撃に転じる時間が増えるほどに、天使たちの減る速度も上がっていく。
このまま第一フェーズだけでも楽に終わってくれれば――カラリアがそう思った次の瞬間、側方に殺意を感じ、慌てて体をひねる。
体を掠めていったのは――肉の破片でも、基本魔術でもない。
万物を等しく切り裂く、飛翔する刃であった。
「あいつが来たのか――」
殺意の気配をたどり、その方角をカラリアはにらみつける。
「ディジーッ!」
獣の仮面を被った少女は、屋根の上に立っていた。
ローブが風に舞う。
「ははっ、悲しめるっていいなぁ。羨ましい」
何を考えているのやら――彼女はなぜかカラリアではなく、『恋人』の能力により苦しむ兵士たちを見つめ、そうつぶやいた。
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