第五章 戦渦(10)
濃い朝靄が退く、猛将ラルゴを先頭にした細いくさび形の騎馬隊が雄叫びをあげる。
その声は朝の静寂に包まれた戦場にこだまし、その場にいた小動物を震え上がらせ、鳥たちを飛び立たせた。
砂塵を巻き上げ、ラルゴの騎馬隊が駆け出す。
その突撃をじっと待つハーディの陣。
敵兵が槍を並べて構える。その中へ勇を奮って飛び込む。それは戦いになれた戦士にとっても尿意を催し、震えを誘うほどの恐怖が全身を包む。その恐怖を振り払って猛勇を奮い起こす。それは通常の自分から戦場におかれた異次元の勇気を持つ自分への変貌。
ラルゴは、常人には不可能とさえ思えるその作業を、あっと言う間に完了させ、敵に一番槍を差し向ける。それが猛将と言われる所以。
その旗下に弱兵はいない。全ての兵が雄叫びをあげその後ろに続く。
ハーディの方形陣の隙間にラルゴが飛び込む。
馬上から横合いにラルゴの槍が突き出される。
その穂先に貫かれた兵が苦悶の声を上げる。 開いた穴へ次々とラルゴ旗下の兵が襲う。 その突撃を受け、ハーディの軍は損耗を極力抑えるため左右へ開いた。
その隙間を、まるで無人の野を行くようにラルゴの騎馬隊が通り過ぎて行く。
その先にはストラゴスの重装歩兵隊が・・・しかしこの隊列も鎧袖一触とばかりに突き破る。
その先にあるのは・・・ラルゴは強烈な反撃を警戒した。
が、重装歩兵隊を抜けた先にあったのは、あたかもラルゴの隊の態勢を整えさせるかのような広い空間。
ラルゴが握った手を挙げる。
それに従い敵地を抜けてきた騎馬隊が集合する。
後ろを見る。
そこには、長槍を突き出した重装歩兵がラルゴが空けたはずの穴をふさいで整然と並び、両横には、幾層にも重なった軽装歩兵の陣。
前方には後方と同じように重奏歩兵の陣が・・・
謀られた。
ラルゴは臍をかんだ。
しかし、気を取り直し丘の中腹の重装歩兵へ向け隊列を組み直そうとする。そこへ前方の重装歩兵の中から馬に跨った一人の若者が進み出た。
「ラルゴ将軍、ここまで来るが良い。」
その若者は敵意を見せるわけでもなく、ラルゴに呼びかけた。
ラルゴはそれを受け、自分の隊に待つように命を下し、静かにその若者に近づいた。
丘の中腹に登る。
若者が平原を指さす。
「見なさい。
貴方が主と頼む者は貴方を見捨てた。」
首を巡らすラルゴの目に映ったものは、ラルゴが突撃を開始する前と変わらず、両軍が対峙するだけの静まりかえった戦場だった。 「チッ」とラルゴが舌打ちを漏らす。
それにディアスが紙片を渡す。
その横で慌てたようにランシールがそれを押しとどめようとする。
ディアスはそれに静かな微笑みを向け、ランシールを目で制した。
ラルゴが紙片を開く。
「すまない。
貴方をこの窮地に陥れたのは私だ。」
紙片を読み終えたラルゴが、含み笑いを漏らす。
部下を見る眼。
それに、いい笑顔をする。
羨ましそうにラルゴが遠くを見る。
ラルゴがディアスの前で初めて言葉を発した。
「これくらいの策にあっさり乗せられるとはな・・・」
「それで・・・」
「私と一緒に戦ってくれませんか。」
「お前と共に戦えと言うか・・・。
蒼き旗を持つ者・・・そして蒼き鎧を身に着けし者。
俺が『応』と答えるとでも思ったか。」
その言葉にディアスは眼に微笑みをたたえ静かに肯く。
そして続けた。
「もう一度後ろを見てください。あなたを見殺しにしようとしている軍勢を・・・
貴方が仕えるロンダニア侯スクルフはこの戦いに何かの経略を持っていましたか。
只、ロマーヌネグロンが動いたからと言って自分の欲だけで兵を起こし、罪もない民を殺し、略奪し、路頭に迷わす。
己の欲望のためだけに、国を捨て、民を捨て、他国に富と名声を求め・・攻め入る。
そんな主に良いように使われ、挙げ句の果ては私の計に掛かり、簡単に見捨てられようとしている。
そんな主に仕えることが貴方の騎士道ではありますまい。」
ディアスの言葉を聞きながら、ラルゴは彼の乗馬を己の迷いを表すように落ち付きなくぐるぐるとその場で廻らせていた。
幾ばくかの時が流れ、ラルゴはディアスに向け突然、槍を突き出した。
それをすんでの所でディアスがかわす。
ディアスの馬側で、
「あっ」とランシールが声を放ち、後ろに備える騎馬隊に手を挙げかける。
「待て。」とディアスがそれを制する。
「槍を。」
誰かが渡した槍を手に取る。
「『応』とは答えよう。
しかし、俺には俺のやり方がある。
見てやろう。
お前がその勇者の鎧に値するかどうか。」
言葉とともにラルゴがディアスに槍を向ける。
その穂先をディアスが軽やかに裁いていく。
「ほう、一通りは扱えるようだな。」
ラルゴはディアスとの距離をとり突撃の体制をとる。
ディアスは槍を短く持ち直し、身構える。
ラルゴの馬が興奮を隠しきれぬよう前足で土を蹴り足掻く。
ラルゴが手綱を引く。
彼の馬は前足立ちになり、宙に嘶く。
手綱を緩める。
馬はディアスに向かい突進を始める。
ラルゴは姿勢を低くし、槍を懐に抱え込んだ。
しかし、ディアスは微動だにせず馬上で待ち構える。
二人の距離が詰まる。
カツンと乾いた音を残して、突き出されたラルゴの槍が宙を突く。
ラルゴがそれを戻すより早く、槍を投げ捨てたディアスの手がオルハリコンの剣を抜き、ラルゴの槍のけら首を切り落とす。
ディアスはその姿勢から素早く己の馬の手綱をさばき、ラルゴの後ろへ回る。
ラルゴが馬ごと振り向く。その喉元にディアスの剣が突きつけられる。
「参ったよ。・・・俺の負けだ。
あんた大したものだよ。」
ラルゴが敗北を認めた。
「で、どうしたらいい。」
「あなたの隊の馬の尻尾に木の枝を括り付け、そこらを走り回ってもらえませんか。」
「ここで戦いがあっているように見せかけるのか。」
「はい。」
「よかろう。」