その7:古いアパートの窓
「それでね、私、言ってやったんですよ。『落ちるのが分かっているのに、なぜ置くのか?』って――」客室乗務員が配ってくれたアップルジュースのおかげで、セールスマン氏の口は更に良く廻るようになっていた。
「私も、先生みたいに学があるわけじゃありませんけどね、それでも。――失礼、先生とお呼びしても?」
そんな彼とは対称的に、ヘンリーの方はと云えば、口に含んだホットコーヒーが熱過ぎたため、返事もままならない。
「よろしいですか?」セールスマン氏が再度確認してくる。
「んんんん、んん」と、ヘンリーは無言のまま首をタテに振った。まだまだ熱いホットコーヒーが、上顎をかすめた。
「よろしい――ですよね?」そう言うと氏は、残りのアップルジュースを一気に飲み干し、話を続けた。「ですからね、先生。それでも義母は、何度言ってもやめないわけですよ。『裏通りに面しているから、大丈夫だ』って」
『何故、こんな話になったのだろう?』と、ヘンリーは思ったが、そんな彼を尻目に、セールスマン氏は、今度は、シャツの胸ポケットからスマートフォンを取り出した。
「でも、裏通りだからと言って人が通らないわけじゃない――」マスクと同じ柄のケースに入ったスマートフォンに電源が入れられる。
「で、ですね……そこで、知り合いの、友人の、孫娘の、ボーイフレンド……ガールフレンド?だったかな……まあ、いずれにせよ、その子の父親の、雑貨店に置いてあった――あれ?写真はどこに入るんだったかな?――を、買ってやったんですよ――――ああ、あった、あった、これだ」
と言ってセールスマン氏は、古いアパートの窓の写真をヘンリーに見せた。
「なるほど。」やっとの思いでコーヒーを流し込んだヘンリーが声を出して答える。「鉢植え用の箱を取り付けたわけですか」
「表は木ですがね、横と下は鉄の格子で、結構頑丈なんですよ」と、ただでさえ得意気な顔を更に得意気にさせながら、氏が続ける。「取り付けも私がしてあげたんですよ。お値段も結構しましたしね」
「それでは、お義母さまも喜ばれたでしょう?」と、ヘンリー。残りのコーヒーは、もう少し冷めてからにしよう。
「まあ、義母がどう思ったかは、正直分かりませんがね」と、少し照れたような、それでいて少し悩ましいような声でセールスマン氏が言った。「――それでも、やはり、いくら小さい鉢植えとは言え、三階の高さですからね。誰かの頭に落ちでもしたら大変だ――そう考えるのが普通でしょう?」
「確かに――」コーヒーに付いて来た小さなチョコの包みを開けながらヘンリーが頷く。
「――ここまでは良かったんですがね」と、氏がため息交じりに呟いた。どうも、まだ話は終わっていないようだ。「そうしたら、この間の地震ですよ――」
『一体、どこに続いていく話なのだろう?』と、チョコを舐めながらヘンリーは思った。
『少しは、冷めてくれただろうか?』チョコと一緒に、コーヒーを少し口に含んでみた。