その16:アメリカの西部あたりの荒野
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「そうなんですよ。会社の新しい設備がトーキョー湾の方に出来まして、そこでは量子重量理論による――――と、ああ、いや、これが元々は大掛かりな設備だったんですが、トーキョーのクルーがコンパクトにまとめることに成功したとかで――」
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「映画とかでさ――」
不意に、隣の席で《捕捉》の準備をしていたアルシュが声を掛けて来た。インド出身の彼はヒンズー語か英語のどちらかで話しているはずだけれど、所内で試験運用されている同時通訳ソフトのおかげで私の耳に入ってくるのは流暢なフランス語だ。
「映画とかでさ、荒野、アメリカの西部あたりの荒野でさ、道端に標識とか看板とかがあるとさ、そこに、その標識とか看板とかにさ、そこ目がけて車がぶつかったりするシーンがさ、よくあったりするじゃない――」
「――ええ、見たことがあるような気はするわ」
“よくある”かどうかは分からないが、伝えようとしているイメージは分かる。ちなみに、私のこのフランス語も、彼の耳には流暢な英語かヒンズー語で聞こえているはずだ。
「俺、子どもの頃からアレが不思議だったんだよ――。何で、だだっ広い荒野の、道路以外なにもないような所で、一本しかない標識だか看板だか目がけて、車がぶつかるのか?」
もともと20~30人向けの会議室として造られた部屋に、今いるのは私と彼の二人だけで、それぞれ作業用の長机にパソコン――彼は三台使いだが、私は一台だけだ――を置いて向かい合っている。部屋の奥には一台の演算装置と二台の記憶装置が置かれている。いずれも中~大型と云ったサイズだろうか。
「――ニッポンの工事屋は神経質だと聞いていたけど、本当だったね」
私の視線が部屋の奥に逸れているのに気付いたのだろう、彼の話も横道に逸れる。
「俺的には、ケーブルなんかむき出しの方が好きなんだけど――」と、足元のケーブルカバーをつま先でなぞりながらアルシュが言う「――キレイにまとめて、床と同じ色のカバーまでしてくれた」
「それが良いところなんじゃない?標識にぶつかるのも、きっとアメリカの車でしょ?」
我ながら気の利かないセリフしか思い浮かばなくてイヤになるが、彼の気には入ったようだ。
「確かに頑丈じゃないとぶつけようとしてもぶつけれらない――いや、まてよ、何かの映画で、ニッポンのエコカーがぶつかっていたな――」
タッタカ、タッタカ――と、彼のキーを打つ手が一瞬早くなり、また元の速度に戻った。子どもの頃からピアノを習っていたせいで『美しくない音がキーボードから聞こえると、自分を許せなくなる』らしい。
「――で、まあ、ニッポン車の批判はさておき、映画の中だけの話なんだと思っていたんだ」相変わらずモニターを見つめたままアルシュが続ける。
「標識の話?」
「そう、実際あったんだよ、アメリカに」
「マサチューセッツで?」
「いいや、テキサス。友だちと行ったんだ」ヘッドセットからメッセージの着信音が聞こえた。この音は、多分、所長だろう。
「君も行ったことがあるかな?――あの辺りは、本当に、道路以外なにもないエリアが延々と続いているんだ――所長、なんだって?」
届いたメッセージをパソコンで確認する。ここでも同時翻訳ソフトが使われていて、私宛のメッセージは既にフランス語に変換されている。
「――例の、今日到着予定のお客さん、飛行機が遅れているみたい」
「本社だっけ?」
「ううん、ロンドン」
「――じゃあ、これ、急がなくても良かったかなあ?」
「結果的にでしょ?ついでだから、先に試運転も済ませてしまえば良いわ」
「まあ、そうなんだけどさ――ああ、そうだ、仕事の話に繋げようとしていたんだった」
「標識の話?!」不意をつかれた形になって変な声が出た「――繋がるの?」
彼が笑いをこらえているのが分かる。
「――そう、これが、繋がるんだなあ。いいかい?」
「繋がるっていうなら――」
「では。――で、その、その何もない道を俺たちは延々と走っていたワケだ。すると、あるんだよ、実際に、車にぶつけられて折れたり曲がったりした看板や標識が、ところどころに――」
作業が一段落したのだろうか、今度はモニターではなくこちらを向きながら話している。
「で、二人して『何故なんだろう?』って話してたら、途中のガソリンスタンドでその土地の保安官に会ってさ――『保安官』って言うんだよな、ああ云う人って?」
「カウボーイハットは?」
「被ってた」
「なら、保安官よ」
「――で、気の良いおじさんだったんだけど、彼の言ったことが面白いと云うか的を得ていてね」
『ああ、「何もないから避けられる」と街から来た人たちは思うようですがね、話は逆なんですよ。――つまり、何もないところに何かあると、人間の意識と云うのは、そこに集中してしまうでしょ?――そう言われて、俺たちはうなずく――、そうですよね?だから、皆さん、延々となにもない荒野をドライブして来て、そこに突然、看板なり標識なりが出て来るものだから、ついついそちらに集中してしまい――』
「ドッカーーン!!」
アルシュが両手を挙げて爆発の真似をするのと同時に部屋の奥の計算装置が一段高い音を出した。が、彼は気にせず話を続ける。
「俺たちの仕事も同じようなものだと思うんだよ。『冬の最初の太陽の光のような』何もないところに、突然飛び出してくる標識を見付けて――《捕捉》して、集中して行く――――どうだい?繋がっただろう?」
ここまで話すと彼は、キーボードを一つ、高らかに鳴らした。《捕捉》の試運転をしてみるらしい。部屋の奥の三台の装置が急速に動き始めていた。
「――でも、私たちの仕事で、ぶつかることはないわよね?――原理的に」
「確かに。でも、ぶつかれば、世界自体がグチャグチャニなってしまうだろうね――」と、アルシュが皮肉混じりに笑った。
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