その14:席の端に置かれた彼女のバッグ
「『オデュッセウス』だよ」
突然、小さな、だけれど頭の奥にまで届くような声がした。
「O-d-y-s-s-e-u-s」声の方を向くと、先ほどのブルーベリーアイスの男の子が立っていた。「『ユリシーズ』だと数が合わない――違うかな?」
そう言われて彼女は、自身が書き込んだパズルの答えを見た。『ユリシーズ』。確かに、これだと余分な「i」が入っている。
「本当だわ、よく気付いたわね」と、彼女。
「ええ、」と、口元の汚れを拭き取りながら男の子が答えた。「彼のことは、よく知っているんです」
『それにしても』と彼女は思った。『確かに男の子のはずなのに、確かに女の子のようにも見える』他の姉妹たちはどこに行ったのだろうか?
「あなた、他のお姉さんたちは?」彼女が訊いた。
「出ないんですか?」少年が尋ねる。
「え?」
「電話、鳴っているんじゃないですか?」と、少年が、席の端に置かれた彼女のバッグを指差しながら言った。が、携帯が鳴っている様子はない。
『そんなはずは』と思いながらも、ちょっとした胸騒ぎを感じた彼女は、手元にバッグを引き寄せると、その口を開いた。確かに、微かな振動を感じた。
『そんははずは』と、再び思った。普段なら絶対にしないマナーモード状態の携帯が、普段なら鞄に入れるはずのない彼女のエプロンに埋もれた状態で振動している。
「早く、」少年が言った。「つながっている間に」
携帯の発信者欄が『ヘンリー・シルバー』になっている。いや、そんなはずはない。彼は今、トーキョー行きの飛行機のはずだ。
「早く、」再び少年が言った。
少年に促されるままに電話に出た。すさまじい風の音が聞こえた。そして、彼の声も。
「エディスかい?助けてほしい」




