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魔女の暇つぶし  作者: 汐 ユウ
2年生編7月
51/53

◆偽物の関係

「ねぇ、若宮さん」


 文化祭の準備をするに当たって、海と礼奈が顔をあわせることは少なくない。礼奈が話しかけてくることは珍しくないが、その度に海は無感情を貫いている。特に七月に入ってからは、なお彼女と極力関わらないようにしていた。


 会って、話してまずいことはないが、極力彼女の周りの環境を壊したくない。海が気づいていないふりをすれば、きっと彼女は人間のふりをして卒業ができる。


「今度ね、バスケットの試合があるの」


 そんなことを考えていたにも関わらず、いきなり文化祭とも関係ない話題を振られてしまう。


「そうなんですか」


 ほとんどの部活は三年の夏に行われる大会が最後になる。バスケ部も例外ではないらしい。しかし、それは海と関係性を持たない。


「そうなんですよ。だから若宮さん、一緒に観に行かない?」


「はい?」


 なぜ、海がわざわざ関わりのない部活動の活動に行かなければならないのか。なぜ、わざわざ礼奈が声をかける相手が海なのか分からない。


「委員会とクラスの方も大丈夫。ちゃーんと宮本さんの許可は取ってるから。……校門前に九時待ち合わせで」


 海の答えを聞きもせず、礼奈は騒がしい人混みの方へ行ってしまった。未だに脳内の処理が追い付かない。


 ……ついに実害が起きてしまった。

 取って食おうとするわけではないだろう。だからこそ、彼女の真意が掴めない。

 でも、上級生として――先輩として振る舞っていた彼女のあんな切ない表情を見せられてしまったら、行かないのも後味が悪い気がした。


  ◆  ◆  ◆


 試合と言われて、てっきり学校で開催されるものと思っていたら、少し離れたところにあるアリーナで行われると知らされて来たことをちょっとだけ後悔した。

 高校生で、アルバイトもしていないはずの彼女は海にタクシーを用意し、決して女子高校生には安くない額を顔色も変えずに支払う。


「お小遣い結構もらってるんですね」


 嫌味を言うと彼女は自嘲気味に、


「もらってもね、使い道がないの。本当に何が欲しいのか……分からないのよ」


 彼女の影を後ろから追いかける。等身大の人間。彼女からは確かに人間らしいにおいがする。


「先に飲み物買っちゃおうかな。……飲めないものあります?」


 しかし、彼女は海を大魔女のカイだと分かっている。徐々に皮を剥いでいく。彼女自身の手で。


「……今は先輩と後輩ですよ。敬語とかノーサンキューです」


「分かったわ」


「ちなみに飲み物はお茶がいいです。五百の」


「そこは後輩らしく遠慮しないのね」


「タクシー代かっこよく出しておいてケチくさいこと言わないでください。センパイ」


 ピッと電子音。少し遅れてガラガラと重たいボトルが大きな箱の中で転がり回る。


「自販機って魔法みたいですよね」


 取り出し口の蓋が思っていたより堅い。


「中身の仕組みを知らなければ、魔法も人間の知恵も分からないですから」


  ◆  ◆  ◆


 海には今から始まる試合が何回戦目で、どのくらい重要な試合であるか分からない。あえてなのか礼奈も説明はしてこない。海も聞かない。ここまで来ても興味が沸かない上に、ルールも分からない。


「ここ、有名なチームのホームアリーナなのよ。まさかここでプレイできるなんて。運を使う場所が違うのよ」


 礼奈がよく分からない愚痴を言っているうちに、館内にブザーが鳴り響く。

 小平藤一郎の背中には4の文字。


「彼、本当は運動神経あまりよくないの。そこそこ身長はあるからバスケットという競技は不利ではなかったけど……、エースを背負えるほどの実力なんてなかった」


 藤一郎にボールが回る。ドリブルをして数メートルでガードに囲われ、同じ色のユニフォームの仲間へと回していく。


「実力ないくせに負けん気だけは強くて、単独行動しがちで、結果が空回りしてレギュラー外されて。未だに本人は分かってなくて無意識にやれるようになっただけだと思うけどね」


 先輩としてしか見てこなかったが、今は礼奈が少し幼い少女に見えた。


 ふと、その表情を見て、頭の中のパズルが繋がった。


「……あなたは、誰かのフリをしているんですね」


「…………さすが」


 牧瀬礼奈と称される個体は話し出す。唐突に、唐突に終わって仕方なく始まった彼と彼女の物語。誰が救われるのかも分からない物語。


「あれは、よくある悲しい出来事だったの。

牧瀬礼奈と小平藤一郎は幼馴染で、小さい頃はよく二人で遊んでいたわ。まるで家族のように、当たり前に一緒にいて――」


  ◆  ◆  ◆


 牧瀬家と小平家はお隣同士、家族ぐるみの付き合いを子供たちが生まれる前からしていた。

 たまたま同じ学年に生まれた礼奈と藤一郎は、必然的に同じ時間を過ごすようになる。

 きっと、少女漫画であれば、二人は紆余曲折あった後に結ばれる。

 しかし、これは漫画ではなく、男女の幼馴染が運命に振り回されるだけの現実。



 思春期の男の子であれは、異性より同性同士で遊ぶ方が楽しい時がある。女の子といたらからかわれる、恥ずかしいと思う時がある。藤一郎にはあった。ちょうど中学生の時だった。

 礼奈は世話好きなところもあり、学ランを纏った藤一郎にとっては恥ずかしい象徴であったのは仕方のないことかもしれない。


 藤一郎がバスケットボール部に入り、礼奈がつられるようにマネージャーとして入部した時も二人の関係は良好とは言えず、


『何でマネージャーなんだよ。お前も女バス入ればよかっただろ』


『うーん。私にはマネージャーの方が性に合うから。それにとうちゃんがバスケしているところを見るのが好きなんだ』


 彼女はいつでも真っ直ぐ彼を見つめていた。


『とうちゃん、何で昨日部活来なかったの?』


『うるせぇな。お前に関係ねぇだろ』


 話をすれば拒否の姿勢。

 機嫌が悪ければ、礼奈のことを無視する。

 それでも礼奈は幼馴染のことをかまう。


 最後の日もいつも通りだった。

 いつもの夏より前日よりもやけに暑くて、蝉だけがうるさい日だった。


『とうちゃん、早くして。遅刻しちゃうよ』


『お前なんでいるんだよ』


『マネージャーだもの。私だって参加するよ。それに部長からとうちゃんのこと連れてこいって言われてるし……』


 部長の単語が出てきた途端、藤一郎の顔が曇る。


『俺はあいつと違ってレギュラーじゃねぇから。今日だって出れやしねぇよ』


『そんなこと言わないで。監督が最後の試合は全員出すって言ってたじゃない』


『そんな情けみたいなことされても嬉しくねぇ』


 重たいスポーツバックを肩にかけ、迎えに来た幼馴染を置いていくように早足で歩き出す。


『待ってよ、とうちゃん』


 コンプレックスを刺激され、理不尽に藤一郎の怒りは高まる。これ以上彼女といるのが辛くて、藤一郎は交通量の少ない道路を横断して逃げようとする。

 確かに住宅街にあるこの道路は交通量が少ない。しかし、ゼロではない。

 車という凶器はあったのだ。


 夏が見せる蜃気楼。


 藤一郎は無事だった。後ろから盛大なブレーキ音にびっくりして足首を軽く捻挫したくらい。このくらい無事以外のなにものでもない。彼からすれば生きているそれだけでいい。

 ツーテンポほど出だしが遅れた礼奈は、大丈夫ではなかっただけの話。


 よくあること。珍しくないこと。


 死亡事故なんて年間三千件ほど起こるのだから、一人の女子中学生が横断歩道のない道路に飛び出して、自動車に撥ねられるなんて珍しいことでもない。


 試合の毎に藤一郎にだけ作ってきた弁当は食べられることなく宙に舞った。それから重力に負けて熱いアスファルトの上に叩きつけられた。


 保健体育の授業で実習した応急処置も心肺蘇生法も役に立ちはせず、藤一郎は礼奈に駆け寄ることもできずに立ち尽くしていた。足が痛いのではない。

 彼女に世界記録のスピードで駆け寄っても助からないと分かってしまっていたから。


 運転手と思われる男と思われる人が、何か言っている。


『れいちゃん……れいちゃん……』


 少年の声は震える。

 先程もきちんと向き合わなかったから、彼女が死を悟った瞬間に何を言ったのか分からない。


『とうちゃん、■■■』


 きっと彼を呼んだ。


「俺だって、大好きなんだ。嘘じゃない。違う。お前のことが嫌いだったわけじゃない。違う、れいちゃん、信じてくれ。俺は」


 自身の叫びも熱い大気に溶かされていく。


 気づいたら救急車が人数分到着していて、少年と少女は別に運ばれた。


「違う!! 俺は違う! あいつが! 早く会わせてくれ!! 頼むよ、会わせてくれ!」


 彼は気づいていなかったが、発狂し、額をアスファルトに叩きつけており、ひどい有様だった。精神的状況も緩和見て、彼女とは別に搬送されたのだ。


 早朝でありながら外気温が三十度を超える真夏の日。牧瀬礼奈、享年十五歳、死因脳挫傷。


  

「私はそれから()()()()として生きているの。彼の記憶齟齬はリセットの影響と記憶改竄によるものね。彼自身、牧瀬礼奈の死をひたすら否定していたから、リセットがあっても結構上手くいってたのよ……」



 失意の底に墜ち、自我を保つために彼女の死の原因を自分にあると責めた。

 空虚な夏休みの最中、突然日常は戻る。


 偽物の牧瀬礼奈は、彼も家族も友達も騙す。高校は彼と二人だけの進学に調整をし、彼の記憶を呼び覚まさないようにした。


 ……魔女にとって、小平藤一郎という人間はどうでもいい。


 彼女が守りたかったのは、牧瀬礼奈の小平藤一郎への想い。


  ◆  ◆  ◆


 まるでアリーナの天井の更に上を見つめるように、彼女は上半身を後ろに倒す。


「……彼が死ぬまで牧瀬礼奈を演じるんですか?」


「さぁ。彼が結婚して、牧瀬礼奈のことを忘れればそこで終わりかな」


 魔女はひと呼吸置いて、独り言のように、


「彼女が生き返ればなんて思わない。それはどんな魔女だってできやしないもの。……ただ、私が牧瀬礼奈に生き変わることはできないのかな……」


 牧瀬礼奈が生きてきた十五年があり、上手い具合にリセット後も藤一郎が魔女との思い出を、幼馴染との出来事に書き換えをしているに過ぎない。記憶の齟齬が起きる限り、永遠に上手くいくわけがない。彼の夢も、彼女の努力もいつか終わる。


「私は……」


 海には彼女の願いを叶える力がある。彼女に不可能なことはない。しかし、それを許すわけにはいかない。世界の調律も彼女の役目だからだ。


「ううん。ごめんなさい。その先は、うん、言わなくていい。忘れて」


 牧瀬礼奈は背番号四をつけた幼馴染の名前を呼び、大きく手を振る。


「ずっと努力していたのにね、バスケ下手だったから。だからね、牧瀬礼奈と上手く関われなかったみたい。人間のプライドなんてドブに捨てればいいのに」


 照れくさそうに幼馴染を見返す彼に、その面影はない。


「すごいのよ、本当に。……あーあ、見せてあげたかったな」


 これ以上彼女は昔話をしなかった。

 海は魔女の名前すら知らない。隣にいる個体の名前は偽物だ。きっとこの先百年近く、彼が生きている限り、彼女は自身の名前を口にしないだろう。


 そしてこの先、彼女の過去について聞くことはない。彼女が本当に大切にしているものも、海には分からないし、知ったところで何もしない。


「試合、終わったね。帰ろうか」


「声をかけに行かなくていんですか」


「……男のプライドがあるだろうから。お疲れ様は今度かな」


 外に出るなり、蝉の声がうるさい。

 頭の中に響いてくるような騒音。


――夏なんて早く終わればいいのに。

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