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「これからはなんとお呼びいたしましょうか?」
王子様のような出で立ちの花婿がわたくしの手を取って首を傾げた。
基本的に、ダーマッドのする優美な仕草の全てが好きなのだが、これは反則。こてん、と幼子のように愛らしく頭を斜めに、でもわたくしを覗き込むような目は大人の男性の色香に溢れている。白い肌の首もとが酒のせいで紅く色づいている。ジェラルドじゃないが食べてしまいたい。
わたくしにとって彼はいつでも世界一格好いいが、今日は絶世の美男子ではなかろうか。わたくしにしかそうは見えないらしいが。彼は女性に人気がない。今日もこんなに素敵な彼の近くには仲の良い人以外全く女性は近寄らない。
高鳴る胸を落ち着けて、考える。
そう、わたくしをなんと呼ぶか。ダーマッドの顔が近づく。
「グィネヴィア、とお呼びすることをお許しいただけますか?」
耳許で囁く。ふんわりと酒の香りとダーマッドの甘い匂い。
今日で何度目かの、耳許での囁きに、驚きは薄れて来たが慣れはしない。今日はダーマッドから話し掛けてくれるのが嬉しいがなぜいちいちこんなに蠱惑的なのだろう。それでなくてもその服装と髪形はわたくしを殺しにかかってる。格好良すぎる…!
ダーマッドの声と吐息だけで身体の奥がじんじんとして力が抜けてしまう。それに気がついたのかわたくしの手を握っていた手が背中を支える。
とても大切なもののように支えてくれてるのはわかるのだが、身体の密着するところが敏感にざわめいてさらに力が抜ける。立っているのがやっとだ。
そんなわたくしの様子を拒否と受け取ったのかダーマッドが哀しそうに眉根を寄せる。それがまた色っぽくてたまらない。
「駄目、ですか?」
あぁ耳に、ダーマッドの唇が付きそうなくらい、近い。いつもは癒されるはずのまろやかな声音が脳に直接響いて思考を、痺れさせる。
今の、これは傍目には普通に会話している夫婦だと思う。
殿方に免疫がないとはいえ、この程度でこんなに、はっきり言って欲情してる?……わたくしとっても淫らなのかしら。ダーマッドを好きすぎるせい?なんだか異常なほどダーマッドを色っぽく感じてしまう。
でもわたくしの好みが偏っているらしいから、他の方々から見たら多分ダーマッドは普通に話し掛けてくれてるだけ、よね?こんな変態みたいな目線で見てること知られたらきっと引かれる、しっかりしなくちゃ……。
「グィネヴィアと呼んでいいわ」
目をぱっと見開いた一瞬ののち、顔を綻ばせる。わたくしの大好きな優しい笑顔。先程までとは違う方向に心臓がキュンと飛び出る。
「グィネヴィア」
ふわぁぁぁぁ、まろやかな声が、幾分か甘い。耳許で囁かないで、いや、もっと呼んで。嬉しいけど、蕩けちゃう……
「ずっと、そうお呼びしたかった。グィネヴィア」
「ダーマッド?」
不意に彼の手がわたくしの髪を撫でる。え、まって、
「グィネヴィア。あぁ可愛らしい名前だ。名前以上にあなたはとても可愛らしい」
髪を一房取り上げて、愛しそうに口づけする。いや、ちょ、
「可愛らしいなんて失礼でしたね。あなたはとても美しい。この髪の先までも。でも私の目には美しいあなたのことがどうしても可愛らしく映ってしまうことをお許しください」
白くて長い指が美しいダーマッドの手が、今度はわたくしの手を取る。彼の手の甲に浮き出る血管すら艶かしくてぞくぞくしてしまう。絶世の美男子が上目遣いで見つめながら妖艶に、わたくしの手に口づけを落とした。しっかり……しないと、
「どれだけ恋い焦がれたかわからない、あなたの手にこうやって口づけることができる日が来るなんて夢のようです。私の愛しいグィネヴィア。なんと美しい、煌めく黒瑪瑙の瞳、艶やかな黒檀の髪にすぐりのような紅い唇。あぁ、初めてお会いしたときからあなたの虜です。この世でいちばん美しいあなたを妻に迎えることができるなんて、私は世界一幸せな男だ」
わたくしの頬をそっと撫でる。ダーマッドの透き通るような琥珀色の瞳が、潤んで切なそうに見つめる。
「こうして触れていても、信じられない。あなたが、グィネヴィアがすぐ側にいる。幻ではないのだろうか?今にも消えてしまうのではないのか?あなたに触れることすら、出会ったときから諦めていたというのに」
「ダ、ダーマッド?」
「もっと、私の名を呼んでください。その小夜啼鳥も羨む愛らしい声で。あなたのその声では何を言っても愛らしくて堪らない。あなたのどんな悪態も私にはご褒美でしかないのですよ。ご存じでしたか?愛しいグィネヴィア」
ふふ、と微笑む。いつもの優しい顔立ちなのに、なんと官能的なのだろう。小悪魔、いや悪魔か、凄絶に美しい……もう、無理……
「その薔薇色に染まった頬にキスしてしまいたい。でもあなたはきっと倒れてしまう。本当はその果実のような唇を「ダーマッド、水を持って来たよ」
ジェラルドがダーマッドの肩を掴んで引き寄せた。ダーマッドの腕が離れてわたくしの身体をアリーが支えてくれる。
「ありがとうジェラルド、気が利くな。ちょうど喉が渇いたと思ったところだよ」
「そうだろう?こっちの椅子に腰掛けるといいよダーマッド。ちょっと飲み過ぎたようだね大丈夫かい?」
「ああ、大丈夫だよ。気に掛けてくれるなんて本当に優しいなジェラルドは」
ダーマッドを優しく抱き寄せて椅子に座らせている。ダーマッドは麗しい微笑みをジェラルドに向けてグラスを受け取る。素直。
「普段無口な方が酔うとああなるんですね。危険過ぎます。顔に出ないのがこわい。いや、むしろ表情豊かなのがやばい。今後はお酒は控えるよう気を付けていただきませんと」
アリーがわたくしをダーマッドの隣に座らせてくれた。
……酔っ払っているのか。
口調もしっかりしているし、顔もよく見れば紅いかな?くらいだし全然わからない。
全身の力が、さっきとは違う感じで、抜ける。ほっとしたような、残念なような。
酔うとあんなに饒舌になるのか。あんなに情熱的に女性を口説くのか……。
邪魔された、ように見えるけど、助かった。今はいかにジェラルドが美しいか優しいかを褒めちぎっている。おいダーマッド。ジェラルドが顔を紅くして照れている。すっごくわかるわジェラルド。抱かれてもいいかも、とか口走ってるけど、やだけどなんかわかる。お次はアリーがいかに気が利くか、センスが良いかなど感謝を雨嵐と降らせている。さすがのアリーも頬を染めた。
「お酒の力を借りてしか言えないとか普通ヘタレですけど、褒め上戸?あそこまで行くと拍手ものですね。無差別テロになってますが」
「いや、グィネヴィア凄いな、よく耐えたな。僕が持ち帰りたいよもう」
え、なに?なんの内緒話?このふたり最近なんだか仲良しよね?
振り返ると給仕係や侍従、近衛の者たちが慌ただしくしている。貴婦人たちが運ばれている。たまに男性もいる。宴も酣。彼女たちも飲み過ぎたのだろうか?
日が沈んで少し経った頃、わたくしはダーマッドと共に侯爵家の馬車に揺られてあの、古めかしい要塞のようなガラン侯爵邸に迎えられた。ダーマッドはいつもの穏やかな無口に戻っている。少し、残念。
周りをガッチリと近衛と青揃隊に囲まれている。青揃隊はこのまま隣国へ出立のときまで侯爵邸でわたくしの警護をしてくれるとのこと。
改めて侯爵夫妻や家令、侯爵家の使用人たちに出迎えられて紹介される。お疲れでしょう、とすぐさまわたくしの部屋へと案内してくれた。正面の玄関ホールからの居住部分は王宮と遜色のない美しい邸内となっている。
若い女性向けの調度の華やかな部屋だ。昔の城塞らしく、隠し扉があって面白い。ベッドの隣の壁の装飾の一部に見えるところで、把手はなくこちらからは鍵を掛けられないとのこと。天蓋ベッドの頭のところの枕をどけて寄木細工の、ガラン侯爵家の紋章を押すとパカッと扉が少し開いて小さな螺旋階段が見える。降りるとダーマッドの部屋だそう。
アリーや何人かの侍女が付いて来てくれていてわたくしの身支度をしてくれる。
湯浴みをして朝と同様全身くまなく綺麗にしてくれかなり薄手の、可愛らしい夜着を着せてもらってはっとする。朝からバタバタしていたからか?色々とすでに衝撃的だったから?想像すると意識が飛ぶから?
どうしてだかすっかり忘れてた。
初夜だ。




