43 番外編 憂う美貌の王子
※ネタバレを含みます。苦手な方は回避してください。
宮廷貴婦人が中庭廻廊の、石畳の隙間に華奢な靴のかかとを滑り込ませて身体をよろめかせる。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ。助かりましたわ。失礼いたします」
咄嗟に、しかもこれ以上ないほど洗練された優雅な動作で貴婦人を支えた若い騎士に、彼女はちらりと冷たい視線を向けてすぐさまその場を後にする。
若い騎士、ダーマッドを避けるかのように。
「格好いいねー、紳士だねぇー」
ダーマッドは黒い騎士服に身を包み凛とした美しい姿をしている。その顔はいつも通り穏やかだ。
僕の言葉は殆ど彼の耳に入らないらしく返事はない。でも全然気にならない。
彼と一緒にいても宮廷貴婦人やご令嬢方がキャーキャーと黄色い声を上げるのは僕にだけで、この凛々しい、まだ少年のような騎士のことは冷たい目で見やるか無視を決め込んでいるかのどちらかだ。
ダーマッドは顔立ちはとても整っている。僕のように派手ではないが、柔和なふんわりとしたその表情はとても好ましく、一緒にいると癒される。
背はさほど高くない。ギリギリ高身長と言っても大丈夫かな?という僕よりも少し低いくらい。騎士といってもマッチョではなく見目良い儀礼用の近衛かと思うような細身で華奢な身体をしている。
非力な僕がお姫様抱っこをしてあげれるくらいには軽い。触らないと逞しい筋肉が潜んでいるなんて全然わからない。
ぱっと見とても穏やかで無害そうな反面近寄ると、そのしっとりきめ細かな肌は艶かしく、切れ長の印象的な目尻は恐ろしいほど蠱惑的。白く柔らかな頬にぷるりと果実のような唇、その肌の甘い匂いは安心感があるが食べてしまいたい衝動に駆られもする。
剣を握っているなど考えられないような男にしては細く白い指先。所作が優雅な為か動くとさらに美しい。指先だけでなく身体の動きに合わせて滑らかな白い肌の下に蠢く筋や血管は見る者を煽り立て誘惑しているかのよう。
帝国に帰れば大勢の色男を後宮に召し抱えるタマル女帝にさえ悲鳴を上げさせるような、彼女曰く『お色気爆弾』のダーマッド自身にその自覚は、欠片もない。
見れば見るほど、知れば知るほど引き込まれる。面白い男だ。最近はグィネヴィアを除く誰よりも美しいとさえ思えてきた。
本当に、重ねて言うが思いっきり近寄りさえしなければ、穏やかで優しげな好青年といった見た目。爽やかな良いところのお坊ちゃん。うん、ご老人や子供、動物にとっても好かれそう。
筆頭貴族ガラン侯爵の跡取りで次期将軍、しかも実力者。この国でいちばん有望な若者だ。
……どう見ても、絶対モテそうなんだけど。
モテる要素しかないよね。
グィネヴィアが彼に悪態をついていたから、他の貴婦人たちも真似ていたのだろうか?でも、グィネヴィアと結婚する今となってもその態度とはどういうことなのだろう?
最近彼の人為を知った僕にはわからないような残念なところが、やはりあるのだろうか?
グィネヴィア限定でこっ酷く残念なところは、どちらかというと僕には好印象だ。この穏やかな顔が崩れるのは、落ち着き払ったこいつが動揺する姿はとても、可愛らしい。
いい年をした男に可愛いなんて気持ちが悪いが何故かこいつは可愛い。
それは僕だけではないようでダーマッドを取り囲む近しい人の殆どがこいつを可愛いがる様子から、優しく見守る視線から誰にも愛されていることがわかる。つまり、人たらしだ。
出会う人出会う人次々と陥落させている。あの抜け目ないここの国王や王妃も、まるで王子のように溺愛している様子。まぁあの国王は、皆が言うほどケチでもないしなんならとても人情家だ。本人は隠したいようだが。
ダーマッドが、まさかあのタマル女帝まで陥落させるとは、本当に面白い。
アリーを見つけた。王女の部屋へと戻る途中だろう。
「ダーマッド、先に行ってて。僕アリーに相談があるんだ」
「別に来なくていいぞ」
そう言い残してさっさと立ち去る。
この僕にそんなぞんざいな扱いをしても、むしろ可愛くてたまらないのだからこいつ本当にこわい。僕、王子だぞ、君よりも年上だぞー。
グィネヴィアの部屋近くにあるダーマッドの部屋へと、無理矢理押し掛けるところだった。嫌そうに、全く了承しないダーマッドに勝手に付いていく。
丁度良く出会ったアリーに、ずっと抱えていた疑問をぶつけることにする。人目を避けて、柱の影にアリーを呼び込む。
「何ですか?ジェラルド王子殿下」
僕に接する女性は頬を赤らめてそわそわとするものだがこの王女付きの侍女は全く動じない。さすが辺境伯夫人の元で王女を守るために育てられただけある。
「ダーマッドって、いや、ダーマッドに対する貴婦人たちのあの態度は一体どういうことなの?君なら知ってるでしょう?アリー」
「あぁ……」
眉をしかめて残念そうに息を吐く。
「もう、ご存知だとは思いますが、ダーマッド様は姫様の初めての想い人なのです」
「元とはいえ婚約者の僕にはちょっと切ない話だねぇ。まぁ、ダーマッドなら、わかる」
「でも、ほら、ダーマッド様はあのように、色々とご自覚が……」
「ないねぇ。全方位に」
でしょう?とアリーは拳を握りしめた。
お色気だけではない。自分の立場やその強さにもまるで無頓着だ。銀獅子隊も青揃隊もダーマッドにすっかり心服している。銀獅子隊など内輪では「女神様」と神聖視している。それもきっとわかってないだろう。
「姫様は姫様で、あれでかなり嫉妬深くてらっしゃるのです。ダーマッド様のご様子を見ればわかると思うのですが」
「あんな男に惚れたら誰だって嫉妬深くもなるよ。グィネヴィアは悪くない」
あんなに無自覚に色気振り撒かれたら、誰だって心配だ。アリーが思い切り頷く。
「姫様は王妃様に厳しく育てられて、普段は大丈夫なのですが、ダーマッド様には素直でないようでとても素直な反応をなさるのです。例えばダーマッド様に女性が近寄ると」
「苛める、とか?」
「まさか。泣きそうな、死ぬほど青い顔して倒れんばかりになります」
つまり、ダーマッドのように、やはり宮廷で愛される可憐な姫君の心を守ろうと、関わる女性たちはダーマッドから距離を置くことにしたのだそうだ。しかし相手はダーマッド。全方位無自覚お色気爆弾ダーマッド。年々麗しくお色気を放出するダーマッドに同じ宮廷で育つご令嬢方がときめかないはずがない。
僕が度々目にしていた、ダーマッドを通りすがりに横目でヒソヒソしている貴婦人方は、
「今日も麗しくてらっしゃるわ」
「あの流し目たまりませんゾクゾクするわ」
「はぁ~騎士服も素敵ですが今日の典礼用の青い上着、なんてお似合いなんでしょう。足長っ。細身のピッタリパンツ眼福ですわご馳走さま」
「あの手!手フェチでなくても悩殺ものですわね」
「この前、訓練中にブラウスの前を開けてらしたのよ。こっそりと覗きに行った公爵令嬢キャサリン様の取り巻きが二人ほど倒れてしまったらしいわ。キャサリン様もあれは無理、と王女殿下に諌めて頂くよう進言してましたのご存知?」
「無理無理、想像するだけで無理ですわでも見たい」
「カッチリ着込んでらしても近寄るのは危険ですのに」
等と話していたらしい。(アリー調べ)
「あのお色気に当たりさえしなければ、人の良さそうなぽけーっとした坊やという感じなんですけどねぇ。最近修行のために近くにおりますが、姫様向けの残念モードでなければさすがの私でもあの距離は危ないですわ」
男の僕であればダーマッドのお色気にほいほいと呼ばれてくっついて、全身を眺めてどうしてこんなに色っぽいのか前述のように楽しくこと細かく観察することもできる。
恐らく清純な乙女であれば何が起こったのかもわからずに心臓を爆発させてしまうだろう。タマル女帝が乙女のように顔を紅潮させて照れてしまうのだから。
「でもあの過剰なお色気も残念なところも姫様に一因があるのですから」
「グィネヴィアに?」
「はい。もしダーマッド様に普通に女性が近寄れる環境だとして、まぁその、恋人なりなんなりいてもおかしくないお年頃とご身分でしょう?発散するところがあればああまでじゃないと思うんですけれどね。ご自分の女性に対する影響に自覚を持てますし」
「あー、それはわかる。僕もそれなりにモテるからね。好意や女性のかわし方も自然と身に付くよ。こういう動作はヤバいとか表情とか気を付けるもんね」
「でしょう?普通にちゃんとモテていれば自覚して気を付けていただけたことのはずなんですよね。ご本人はモテないから自分は地味で冴えない男だと思い込んでらっしゃるし。まぁぱっと見イケメン!て感じではないからなんかわかりますけど」
確かにそう言っていたな。
「姫様があんなに拗らせてなければダーマッド様もモテる好青年として、色々とおふたりの仲もスムーズだったはずなんですよねぇ」
アリーが深いため息をつく。
「そもそもグィネヴィアはなんであんなに拗れたの?」
「ダーマッド様も姫様に、恐らく一目惚れでらして」
グィネヴィア可愛いもんなぁ。めちゃくちゃモテる僕も一目惚れだったもん。わかる。
「ダーマッド様は姫様にお会いになるまでは侯爵領で、あまり同世代のご令嬢と会うこともなくお過ごしだったらしいんですね。それで初めて会った美しい姫様に緊張してらしたんだと思います。もともとあのように無口で表情にでる方ではありませんし」
子供のダーマッド、静かにぽけーとしてたんだろうなぁ。想像するだけで可愛いなぁ。
「姫様は姫様で、幼いうちからあらゆる世代の男性にうっとりと見つめられて美しさを褒められてらしたものですから。それはそれはちやほやとされて愛の告白なんて日常茶飯事で」
あの美しさ、可憐さでは仕方ない。王妃の心配も心からわかる。
「モテる自信たっぷりに、わかりやすく大好き攻撃している姫様に、ダーマッド様ときたら緊張して話せなかったり、目を逸らしたり逃げてしまったり。いえ、あの年頃の男の子では普通のことで別にヘタレではありませんわ。姫様の方から話し掛ける男の子なんて他におりませんでしたけどあの美貌で王女ですよ?大の大人の男性でさえ緊張してましたから」
「まぁ、そうだよね。僕みたいに王子でモテてれば大好き攻撃も受け留めれただろうけど」
純情な田舎少年には高貴な美人からの大好き攻撃なんて何が起こったのかもわからないよなぁ。固まるしかないよなぁ。
「それで姫様はダーマッド様に嫌われているとすっかり勘違いなさったのです。嫌われているならばと悪態をつくようになってしまわれて。ダーマッド様も軽口や悪態には緊張せず普通に返事が出来るからさらに勘違いを」
「はぁ……なんて」
「お似合いなおふたりなんでしょうね……」
面倒くさいカップルだ。なんて可愛いんだあのふたり。
「アリー、偉いねぇ君。そんなに昔からあのふたりを見守ってたんだねぇ。さぞかし焦れったかったろう?辛抱強いね」
「はい、やっと結婚!ご結婚されるんですよー!結ばれるんですよー!なのに、なのに……」
アリーは涙目だ。これまでの彼女の気苦労が伺いしれる。健気だな。
「あと少しだよ、アリー!がんばろう!僕も出来るだけ応援するよふたりを」
「はい!ジェラルド王子殿下!皆でがんばりましょう!」
アリーと、涙ながらにはっしと抱き締め合って決意する。この侍女は全く僕を異性と認識しないらしい。面白いな。
グィネヴィアとダーマッド。可愛いふたりの行く末を見守らずにいられるだろうか。本当にふたりとも大好きで、ふふ、たまらない。




