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「ほら、試してみましょう、ダーマッド様」
アリーが裏口脇のこんもりとした茂みを指差す。
小さなピンクの花が見えた。
「いや……いくらなんでも、これ雑草だろう?王女に失礼ではないか?」
「これはローズマリーといって、薬草なのですが、まぁ雑草っちゃ雑草ですね」
ふふふ、と笑う。
「だから試すんですよ。姫様はダーマッド様からもらうものは何でも喜ぶ、と何度言ってもお信じにならないのですもの」
昨日、昼からみっちり『花婿修行』をして、わりと最初にアリーが言った言葉を私が聞き流していたのをずいぶんと根に持たれている。
やらないとこの先とても修行が厳しくなりそうだ。
……こんなに勇気がいるものだとは思わなかった。
まず、迎えに来て、手を取って歩け、と。そこは頑張れた。昨日ぐったりしてたのもあって、心配で抱き上げて差し上げたいのだがそれは駄目、とはっきり釘を刺されていたのでアリーの言葉を信じる。
嫌がらずに、私と手を繋いで少し後ろを付いて来てくれる。可愛い。細くて柔らかくて、ちょっぴり冷たい指の感触が気持ちいい。階段を降りる前にはカンカンに熱くなっていたが。
馬車に乗り込んでふたりきりになった少しの合間に、さっとグィネヴィア王女の髪にローズマリーを差す。手が震えなくて良かった。でもきっと挙動不審になっているに違いない。
アリーからは、お似合いです、とか美しいです、とか何かひとこと添えるように言われた。
しかし王女が美しいのは当たり前のことだし、お似合いかと言われれば彼女の美しさの前には花は不要のように思われた。言うことが全く思い付かない。
「ありがとう」
ぱっと花が綻ぶように微笑んだ王女は頬を薔薇色に染めた。うるうるとした黒瑪瑙の瞳が私を見つめる。
……私が逆に忍耐力を試されているかのようだ。昨日のように衝動的に動いてしまいそうな身体を押し留める為に、王女から目を逸らす。
……本当に、喜んでくれている。
こんな……その辺に生えてた雑草だぞ?とてもいい香りがするが。
ジェラルドの言ってた喜んでいる素振りなのか、だとしたら演技が上手すぎだ。きっと違う。
フワフワと変な気分になる。
王女がこんな至近距離で微笑んで私を見つめてくれるなんて。
ドキドキしてはいるが、なんというか、もっと密着していた筈の昨日とは違って、愛しい時間を共有しているような、そんな幸せな気分で胸がいっぱいになる。
結婚が決まっても、私からの贈り物など喜ぶわけがない、と思っていた。高価な宝飾品などいくつか見てみても要らない、と言われそうで買うことは躊躇われた。
そう言うとアリーもハーラも少しずつ始めましょう、と優しく教えてくれた。まずは手繋ぎ、ちょっとした贈り物。小さなやり取りを重ねて、王女が(私も)慣れてきたら、次の段階……。
本当にこんな野花でも、こんな愛らしい姿を私に見せてくれる。彼女の笑顔に、急に全てのものが鮮やかに、彩り豊かに目に映るように感じる。
そういえば王女と初めて出会ったときも、同じように感じたな……。
花婿修行、効果あるかも……。
私の独り善がりだと大切な王女を何度も卒倒させてしまったかもしれない。贈り物してもいい、と言われたらきっと宝石商でいちばん高い物をいきなり贈っただろうし、王女に触れていい、と言われたら……。
本当に私は女性の扱いが壊滅的にヘタらしい。女性に嫌われているから接したことが少ないのもあると思う。
花婿修行て……と思っていたが、教わることはけして無駄ではないようだ。ごねまくって申し訳なかった。王女のこれまでよりは穏やかな様子に、今は感謝の気持ちでいっぱいだ。
ジェラルドが乗り込んできて私に抱き付くがもう構わないことにしている。構うと喜んでもっと密着してくる。なんだか田舎の領館で飼っている犬をちらりと思い出す。
それよりも今は、さっきの王女の微笑みを密かに反芻していたい。今は扇子で顔を隠してしまっている。扇子からはみ出た耳や首もとは真っ赤だ。私を意識してくれているのだろうか。なんと可愛い人なんだろう。
アリーがにやにやしているのも今は全く気にならない。ありがとうと伝えたいのを我慢する。王女には、花婿修行のことは内緒にするよう、言われている。
何事もなく、ずっと街道を利用出来たこともあり一泊の道程で王都に帰還できた。少し無理をして急いだので到着は日没を過ぎている。
王宮で馬車を降りると幼馴染みのシャルロッテがトトトッと可愛らしく駆けて来て私に抱き付いた。泣いている。心配かけてしまって申し訳なかった。
その後ろにはエセルレッド王子が、順番を待っていたが如く私を抱き締める。
もう遅い時間なのに国王と王妃、父上も出迎えてくれた。やはり順番に私を抱き締めてくれる。私だけでなく辺境伯夫妻やジェラルドも、もちろんグィネヴィア王女も涙ながらに帰還の抱擁を受けていた。女帝は皆と握手を交わしている。
これまでは、いつもの挨拶だとしてきた抱擁も、辺境伯の奥方にお叱りを受けてからは有難いことだと心から感じる。
大切にされているのだと、自覚せざるを得ない。少しくすぐったいような、でも素直に嬉しく思う。




